日刊スポーツ「フラッシュアップ」

2025年6月30日 (月)

「語り継ぐ」から「どう語り継ぐか」へ…それでいいのか

-6月23日慰霊式典を取材-

 6月23日、かりゆしの喪服を着て取材させていただいた慰霊式典。沖縄は、これまでになくピリピリしているように感じられた。

 先月、自民党の参院議員が、ひめゆり女子学徒隊についての記述が「日本軍が入ってきて隊員が死ぬことになったと歴史を書き換えている」とうそを言い立てた。

 私の取材に応じてくれた玉寄哲永さんは、沖縄戦で3歳の弟を亡くした。米軍から逃げまどう中、弟のためにやっと手に入れたおわん1杯のおかゆを日本兵は、すがる母に銃剣を突きつけて奪った。「どんなにうそで固めようと日本軍が沖縄で何をしたか、10歳だった私の目に焼きついている」。

 その玉寄さんは2007年、高校の教科書検定で沖縄県民の集団自決について日本軍の「関与」「強制」の文字が消えた時、史上最大、11万6000人の抗議集会に向けて走りまわった。その時の女子高校生の「ならば私たちのオジイ、オバアがうそをついているということなのでしょうか」という声は、いまも沖縄の人々の耳に残っているという。

 だが、玉寄さんも91歳。沖縄戦を語り継ぐ最後の世代だ。いや語り継ぐだけではない。どう語り継ぐか。沖縄の地元2紙の悩みも深い。

 〈虐殺 食料強奪 壕追い出し 軍の蛮行 =近年「貢献」と美化に一変〉(琉球新報)。〈日本軍司令官辞世の句 軍が書き換え 戦意高揚 〉〈陸自、記述改変を認識〉(沖縄タイムス)。さらに〈沖縄戦どう語り継ぐ 研究者や小説家トーク〉(同)の記事もあった。

 琉球新報のコラムは、NHKのドラマ「あんぱん」で主人公の1人が中国戦線に送られる。飢えた部隊の兵が〈現地住民に銃を向けて食料を奪おうとするが、住民は行為を哀れみ、ゆで卵を差し出す。それを「略奪」ではなく、「供出」と解釈すれば日本兵の残虐さは薄らぐ。それでいいのか〉と書く。

 戦後81年へ。「語り継ぐ」から、「どう語り継ぐか」へ。日々問い続けたい。「それでいいのか」。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年6月30日(月)掲載/次回は7月15日(火)掲載です)

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2025年6月16日 (月)

小さな映画館で見た「能登デモクラシー」の笑顔

-テレビ放送のその後も…-

 先日のこのコラムで三重テレビが日本記者クラブ特別賞を受賞したことにふれ、「小さな局がテレビの底力と意地を見せてくれた」と書いた。今度は小さな映画館で見た地方局、石川テレビの「能登デモクラシー」に同じ思いを抱いた。

 監督の五百旗頭幸男さんは富山の局に在任中、市会議員の政務活動費問題に切り込み、市議14人を辞職に追い込んだ。石川テレビに転職してからも、ゆがんだ県政に的を当てた「日本国男村」などを制作してきた。

 「能登デモクラシー」の舞台は穴水町。能登半島の真ん中。海に建てた「ボラ待ちやぐら」で日がなボラの群れが来るのを待つ漁法が伝わる町は、過疎化の最終段階といわれながら、町民はいたってのどかで穏やかだ。だけど、それは裏を返せば惰性、忖度、予定調和。議会は常に10人の議員の全員一致。長老議員には20年間、1度も質問に立ったことがない人もいる。

 テレビカメラは、そんな町で手書きの新聞「紡ぐ」を作り、500部を手渡しで配る80歳の滝井元之さんを追う。町長が理事長をつとめる福祉法人が国費と町費で建てようとしている多世代交流センター。〈二元代表制ってご存じですか〉〈議会は町長にこんな姿勢でいいのですか〉。「紡ぐ」は静かにこう問いかける。

 そんな取材の真っただ中の昨年元日、甚大な被害の能登半島地震が起きた。それから4カ月後の5月。五百旗頭さんたちは悩みながらテレビ版の放送に踏み切った。こんな時になぜ、という町の拒絶反応。何より滝井さんへの風当たりが怖い。

 だが、それらは全部杞憂に終わる。映画版はテレビ放送のその後も追う。仮設住宅で新聞を手渡す滝井さんに「待っとったよ」と住民の笑みがはじけ、びっくりするほどカンパも集まった。

 映画のラストは、穏やかな海でボラ待ちやぐらが右に左に、かすかに動き始めたように感じた。地方のテレビ局が、またキラリと光る仕事をしてくれた。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年6月16日(月)掲載/次回は6月30日(月)掲載です)

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2025年6月 2日 (月)

小さな局がみせたテレビ報道の底力

-ハンセン病療養所追い20年超-

 三重テレビは津市の住宅街、小高い丘の上に立つ小さな局だ。この局で報道一筋の小川秀幸さんとおつき合いして30年になる。その三重テレビが本年度、日経新聞のコラム「春秋」の筆者、大島三緒編集委員が本賞を受賞した日本記者クラブ賞の特別賞を受賞。先週、贈賞式があった。

 贈賞理由は「20年以上、岡山のハンセン病療養所、長島愛生園に通い、元患者と家族の苦悩と喜びに寄り添い、差別や偏見を取り除くため地道で多角的な報道を続けた」(要旨)だった。

 事実、小川さんとスタッフは日々、ニュースを届けながら三重県出身者も数十人いたという瀬戸内海の島、長島愛生園を追い続けた。

 「今度のお正月は?」「ハイ、島と本土をつなぎ、人間回復の橋といわれる邑久長島大橋から初日の出を撮ります」。「この前の連休は?」「県が、がんばってやっと実現させた園から三重への里帰りバスに乗せてもらいました」

 小川さんからは、いつもこんな答えが返ってきた。

 療養所では結婚は許されていたが、子どもを持つことは禁じられ、堕胎させられた赤ちゃんはホルマリン漬けにして保存。多くの夫婦はワゼクトミーと呼ばれる断種や不妊手術を強制された。

 さらに治療薬が開発されてからも隔離政策を前提にした、らい予防法はそのまま継続。廃止になったのは、開発からじつに半世紀以上もたった1996年だった。

 三重テレビは、そんなハンセン病患者に焦点を当てて2002年から昨年までに12本ものドキュメンタリー番組を制作してきた。

 手元に、そこに登場した12人の声を収めた「証言録・島の記憶 生きた記録」がある。山口昇七さん、西口君江さん…いまもなお親族への差別を恐れてその下には(仮名)の文字が続く。

 小川さんたちの仕事は、いま信頼が堕ちるばかりのテレビの世界に、小さな局がテレビが持つ底力と、キラリと光る意地を見せてくれた。そう思えてならない。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年6月2日(月)掲載/次回は6月16日(月)掲載です)

 

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2025年5月19日 (月)

万博会場から約11㌔西成思うDEEPな夜

-大阪でトークイベント-

 先日、大阪・ミナミのロストプラスワンWEST主催、朝日新聞出版「西成DEEPインサイド」刊行記念「西成DEEP潜入トーク」というイベントでルポライターの國友公司さんと、まさにタイトル通り、深いトークを繰り広げてきた。

 西成といっても、トークの対象は大阪・関西万博が開かれている此花区夢洲から約11㌔。日本最大の日雇い労働者の街、釜ケ崎だ。

 この街を私が新聞記者として取材していたのは前回の大阪万博が終わった1970年代初め。万博閉幕で仕事が激減した釜ケ崎の街はすさみ切っていて、3年間で計11回も暴動が起きた。

 なぜ労働者は荒れるのか。日雇いの現場に潜入、紙面で〈熱い夏〉を連載したものの、私に仕事を斡旋した手配師にバレて追いまわされる始末。そんな時、モツ肉に合成酒、労働者の車座に入れてもらって、切ないけどやさしかった釜ケ崎。

 それから半世紀。7年かけて大学を出た当時25歳の國友さんは、釜ケ崎に足を踏み入れ、寮に住み込んでビルの解体現場へ。その後、暗くなると這い出してくるナンキンムシ対策で明かりをつけたまま目隠しして寝床に入るドヤ(簡易宿泊所)の清掃係兼管理人にもなった。

 元やくざの身の上話や、生活保護は受けたくないと、体力づくりに毎日ダンベル体操に励むおっさん。やはり切ないけど、どこかやさしい釜ケ崎を織りまぜて「ルポ西成」を2018年に出版した。

 司会者に釜ケ崎への今の思いを問われて國友さんは「変わるも良し。変わらぬままの釜ケ崎もまた良し」。私は、かつて釜ケ崎の写真を撮り続けた故井上青龍さんの言葉を借りて「泣きたくなるほど嫌な街。泣きたくなるほど好きな街」。

 オンラインを含めて50人を超えたお客さんの半数以上は意外と若い人。イベントを終えて出たミナミの街は日本人を探すのが難しいほど外国の人、人、人。都市にはいろんな顔があっていい―。そんなことを思わせるDEEPな夜だった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年5月19日(月)掲載/次回は6月2日(月)掲載です)

 

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2025年5月 5日 (月)

誓い合ったこの国の安全はどこへ…

-福知山線事故から20年-

 死者107人を出したJR福知山線事故は4月25日、発生から20年となった。事故直後からJR西日本の懲罰的な「日勤教育」や営利主義を厳しく追及してきたJR西労の追悼集会に今回も招かれ、講演してきた。

 会の名称は、この間の思いを詰め込んで「事故から20年の闘いの成果と教訓を確認し、不安全な企業体質を一新する集会」と、まことに長いもの。労組によると、コロナ禍の赤字決算を経て事故直後の安全第一は吹っ飛んで、またぞろ営利優先になっているという。

 言われてみれば、ささいなことだが週に2回は新幹線を利用する私も、この大型連休の間、気になることがあった。今年3月、のぞみ号の自由席を3両から2両に減らし、その上、連休中はお盆や年末年始と同様、ホームの混雑を避けるといった理由で、それもなくして全席指定席にした。

 とはいえ指定券なしでものぞみに乗せないわけではない。車内放送で繰り返し「7号車、11号車のデッキをご利用ください」。つまり乗ってもいいけど、立つか、かがんで行けという。

 東京駅や新大阪駅到着直前に「大きく揺れることがあります。お立ちの方は安全のため座席の背もたれなどにおつかまりください」と車内アナウンスが流れる。ならばデッキの人の安全は一体、どうなるのだ。

 労組の方によると、いまJRの一部の社では、安全のため乗務時間を厳格に決められている運転士を一般職と同じにして、駅の乗客整理や案内係にしようとする流れになっているという。

 そういえば先日、安全業務もになう格安航空会社の客室乗務員が、次の目的地に飛ぶまでの間、機内清掃までさせられて休憩時間がないと訴えた裁判で会社に改善が命じられたばかりだ。

 福知山線事故20年の今年は、死者520人を出した日航ジャンボ機墜落事故から40年。あまたの犠牲者は、そのたびに誓い合ったこの国の安全をいま、どんな思いで見つめているだろうか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年5月5日(月)掲載/次回は5月19日(月)掲載です)

 

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2025年4月22日 (火)

貫通されなかっただけでもまし?

-テスラ車と赤沢大臣…- 

 タレントのユージさんとは静岡朝日テレビの「とびっきり!しずおか」でご一緒するが、子どもの教育からファッション、スポーツ、車。私と年も趣向も違うけど、なぜか息が合う。

 先日のテーマはトランプ関税。中でもアメリカが問題にしている、主に自動車についての日本の非関税障壁。私が「障壁といっても、これは安全に関わること。安易に妥協してほしくない」と話すと、ユージさんが「日本にも欲しがっている人が大勢いるテスラ社のサイバートラックがいい例」とフォローしてくれる。

 女性アナがCM中にスマホで検索した車の画像を見ると、ステルス戦闘機に鋭利なステンレス鋼を張り付けたような車種。ユージさんによると、子どもがちょっと接触しても大けがの恐れがあるし、衝突事故では軽い車体がクッションになる日本車と違って大事故になる。「安全面から日本での走行はまず無理」という。

 そもそもテスラ社のこの車のウリは「サブマシンガンの弾も通さない」だそうで、新車の発表会では銃弾の代わりに鉄球でボディーを打つパフォーマンスをしてみせた。ところがそこで少し見通しが狂って、鉄球を受けても車は壊れなかったけど、ボディーにへこみができてしまったという。だけどユージさんの話は、まだその先にオチがついていた。

 発表会のプレゼンターは「この車には1万回鉄球をぶつけても大丈夫という実験をしてきたんだが、今回が1万1回目だったんだ。それと、どうだ、へこみはしたけど貫通はしていない。なっ、大したもんだろ」と堂々と胸を張ったという。

 ユージさんは、ことビジネスに関して彼らはこれほどまでにタフだと言う。

 さて、そのトランプ関税に立ち向かう、わが日本。首相の「お互いウィンウィンになって来い」の言葉でアメリカに飛んだ赤沢大臣だが、目下のところ成果は??? え?「貫通されなかっただけでもマシ」だって? 「………」

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年4月22日(火)掲載/次回は5月5日(月)掲載です)

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2025年4月 7日 (月)

孤児の自立のために

-「竹川お兄さん」お別れ会- 

 先日のコラムに「春は別れの季節」と書いたが、3月半ば、大阪中国帰国者センターで、長らくこのセンターの理事長をされ、昨年秋に91歳で亡くなられた竹川英幸さんのお別れ会があった。

 中国残留孤児の肉親捜しに奔走された故山本慈昭さんが孤児の父だとしたら、竹川さんは孤児たちのお兄さんといった存在だった。自身、旧満州の開拓団で12歳の時に孤児になり、30歳になってやっと日本の実父母に会えたという。私は記者時代に2度、そんな竹川さんと一緒に残留孤児に会いに中国を訪ねた。

 だが、年とともに人々の記憶は薄れ、日本に永住を希望しながら肉親にめぐりあえない孤児が多数となった。そんな孤児のために竹川さんは「多すぎて数えるのをやめた」というほど、身元保証人を引き受けていた。

 だけど国も自治体も、やっと帰国した孤児の自立に向けて腰を上げようとしない。そうした役所との交渉の場で怒りを爆発させた竹川さんは、まるで瞬間湯沸かし器。「国はこの子らを2度も捨てるのかっ」。だが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいたという。

 お別れの会でのみなさんの言葉。その中に私が竹川さんに抱いていた疑問を氷解させてくれる話もあった。

 2000年初め、孤児が文書連絡費1万円を持ち寄って原告団を結成、国に1人3000万円の賠償を求めて集団提訴したが、その弁護団も私と同様、竹川さんは、あんなに国に怒っていたのに、この訴訟には「冷ややかだな」と感じたという。

 あるとき弁護団が説明にうかがうと、竹川さんは話を聞いたあと「孤児の中には1万円払えば3000万円入ってくる。もう働かなくていいと言ってる子がいる。まずその誤解を解いてください」。

 すべては孤児の自立のために―。外は冷たい早春の雨。だが、お別れ会はいつの間にか中国語、日本語が飛び交うにぎやかな懇親の場に。遺影の竹川さんは、そんなこの子らをにこやかに見守っているようだった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年4月7日(月)掲載/次回は4月22日(火)掲載です)

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2025年3月17日 (月)

人口流出 福島の町 ささやかな反転攻勢

 

 先週、発生から14年となった東日本大震災。今年も福島県川俣町を訪ね、初めて県立川俣高校の卒業式を取材させてもらった。

 創立117年。町の高台にある学校の広さは東京ドーム1・5個分。かつて320人いた生徒は震災後、町の人口減もあっていまは51人。うち卒業生は14人だ。

 式を終えた卒業生は教室で最後のホームルーム。3年間担任だった50代の男性教師から1人ずつ証書を手渡され、ほとんどの生徒が皆勤賞、精勤賞、生徒会功労賞。何かの表彰を受けて、みんなに向けてひと言話す。

 仙台の大学に行きます。この町のために役場で働きます。震災の時は3歳でしたが、当時のことを親から聞いて看護師の道に進みます。

 驚いたのは、4人もの生徒が「じつは中学時代は不登校だった」と話し出したことだ。「だけどこの3年間は楽しかった」「いい仲間だった」「こんな私が精勤賞。みんな、本当にありがとう」

 その川俣高校が、この春から大きく変わる。こうした学校の雰囲気と恵まれた環境を生かして、県立高校では珍しく全国から生徒を募集することになった。

 そういえば避難地域となって在校生ゼロが続く町内の山木屋小中学校も、この春から校区の学校に通いにくい子どもを広く受け入れる。人口流出に泣かされた福島の町が、ささやかな反転攻勢に打って出たのだ。

 そんな福島の川俣高校最後のホームルーム。先生は、この日で卒業生を送り出すのは8回目。270人になると話し出した。

 「そのうち1人は若くしてがんで亡くなりました。そしてもう1人は、自死でした。仕事に行き詰まったと後で聞きました」。先生はそこでひと呼吸置いて、「だから約束してほしい。きみたちは卒業していくけど、先生は、生きている限り、みんなの担任だと」

 大粒の涙が頰を伝った。

 ♪ぼくら離ればなれになろうとも クラス仲間は…

 残雪の磐梯山に、こだまが吸い込まれていくようだった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年3月17日(月)掲載/次回は4月7日(月)掲載です)

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2025年3月 3日 (月)

私たちがウクライナになすべきことは何なのか

-ロシアの侵攻から3年-

 「昨年末の岡崎のチャリティーコンサートは300人収容の会場で、客はたった8人でした」。男性は東海テレビの取材に答えて肩を落とした。

 ロシアのウクライナ侵攻から3年がたった。この間、ウクライナでは子どもを含めて1万2600人の民間人が亡くなり、その戦火を逃れて1月現在2747人が日本に避難してきている。 だが、こうした避難民を支援してきた日本ウクライナ協会のナターリヤさんによると、侵攻当初とは様変わり。以前は支援物資であふれた事務所の棚は隙間が目立つ。ナターリヤさんは「ガザ地区の問題。それに能登半島地震も起きて仕方ないよね」とつぶやく。

 だけど、それ以上に避難民の心を暗くしているのは祖国を取り巻く情勢だ。3年前、長女と長男を連れて避難してきたカテリーナさんもその1人。その後、夫も合流して次男が生まれた。だがロシア軍に占領された故郷ハルキウどころか、ウクライナそのものが危うい。

 トランプ米大統領は就任直後からロシアにすり寄り、ウクライナ抜きの頭越し外交。ゼレンスキー大統領に退陣を迫り、「プーチンが望めばウクライナ全土の占領もできる」とどう喝する。

 その一方で支援打ち切りを恐れる弱みにつけ込んで、レアアースなどウクライナの豊かな鉱物資源を開発させろと迫る。こんな暴挙があっていいのか。大国による恐喝事件ではないのか。

 日本で生まれた次男に歯が生えてきたというカテリーナさんは、この子たちの将来はどうなるのか、スマホで祖国の友人と連絡を取り合う日々が続く。

 情けないのは私たちの国だ。暴挙、暴走の米大統領の前でお追従を並べ、日米地位協定もウクライナ問題も持ち出せずに帰ってきた。そんな首相をいさめるどころか、国会もメディアも初会談は大成功と持ち上げる。

 はっきりさせておきたい。私たちがウクライナになすべきことは、チャリティーコンサート会場を埋めることではなくなっているのだ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年3月3日(月)掲載/
次回は3月17日(月)掲載です)

 

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2025年2月17日 (月)

新聞 SNS テレビのバトンリレー

-読売新聞静岡支局のスクープ-

 出演している静岡朝日テレビの「とびっきり!しずおか」の控室に、読売新聞静岡支局のM記者が「お目にかかりたいと思って1年たってしまいました」と言って訪ねてきてくれた。

 昨年4月、当時の川勝知事が新入職員の県庁入庁式で「野菜を売ったり、牛の世話をしたりとかと違って、みなさんは知性が高い」と訓示。この発言を読売のM記者だけが問題ありとしてスクープした。と言っても、当初は朝刊静岡県版のみの囲み記事。ところがその日朝から事態は急展開。知事の電撃辞任にまで発展した。

 辞任のニュースを報じる番組で私は「記者に絶対欠かせないのが人権感覚。ひとり、この発言を取り上げた記者にエールを贈りたい」とコメント。それを聞いてM記者は、ひと言私にお礼を言いたかったという。

 「そうか、キミだったか」と言う私にM記者は少し説明を加えてくれた。県版だけ、しかも「議論を醸しそう」という控えめな記事だったが、この日早朝、読売オンラインがスクープとしてトップ扱いで取り上げた。

 するとこれを読んだ電子版の読者がX(旧ツイッター)に「牛を飼っている人やその子どもはどんな気持ちか」「許せない! 知事がまた暴論」などと次々に投稿。それが拡散されていく中、Xをチェックしていたテレビ各局のスタッフも「あの(川勝)知事の発言だけに、これは大問題に」と東京からもクルーを走らせたという。

 「知事辞任とは思いもしなかったけど、地方版の小さな記事が見事にバトンリレーされていったのです」

 凋落が言われて久しい新聞。とかく問題を指摘されることの多いSNS。いま、まさに大問題を抱えて窮地に立つテレビ。だが、この3者が手を取り合って、傷つく人のために立ち向かうことだってできるのだ。

 聞けばM記者は来月、若手と新入記者にバトンタッチ、東京政治部に異動していくという。3月、4月は別れと出会いの季節。

 ―もうすぐ春ですね

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年2月17日(月)掲載/次回は3月3日(月)掲載です)  

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