日刊スポーツ「フラッシュアップ」

2026年10月 5日 (月)

災害列島1ミクロンでいい何かできることはないか

 「すまないなぁ。今年は、まんだサンマは送れないんだ」。東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の漁師、千葉正海さんから久しぶりに電話をもらった。

 聞けば、サンマの水揚げは去年同時期のわずか16%。酷暑で近海の海水温が異常に高く、サンマを乗せた親潮は、はるか遠洋。数日かけて船を走らせても折からの燃油高。1000万円かけても水揚げは、せいぜい800万円。震災からやっと立ち直った仲間の廃業が相次ぐ。

 「残念だけんど、あれから15年。もう、わしらのことは忘れられたんかなぁ」。

 言われるまでもなく、あのあと2016年に熊本地震、2024年に能登地震と、その後の豪雨。今年7月の第2次熊本地震に8月の千葉豪雨。9月の台風25号による千葉、神奈川の被災。

 私たち自身が振りまわされ、どこにどんな手を差し伸べたらいいのか、わからなくなっている気がする。熊本の被災地では、1日1500件のボランティアの要請に対して100人も集まらない日が続いている。

 いつになく寂しげな千葉さんの声を聞いて、あの大震災の年のクリスマスイブ、気仙沼市の仮設の居酒屋で出会った秋田の2人の女性を思い出した。

 大学を出て十数年、毎年この時期に旅行をしていたが、この年は同じ東北の被災地でボランティアをすることにした。身を切る寒さのなか、溝のヘドロをかき出してひたすら土嚢に詰める作業。1日中腰をかがめ続け、やっとホテルのシャワーで泥を流してきたところだという。

 「巨大地震の前で、私たちのすることなんて、1㍉どころか1ミクロンの役にも立っていないはずです。でもそれをすることしか…」

 ジョッキを前に、ほんのり赤い顔は輝いて見えた。

 災害から決して逃れることができないこの列島に暮らす私たち。そう、1ミクロンでいい。一人ひとりが何かできることはないか。久しぶりの青空。やっと見つけた小さな秋に、そんなことを考えている。



(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年10月5日(月)掲載/次回は10月19日(月)掲載です)

 

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2026年9月21日 (月)

よみがえった半世紀前の署名記事 人生の師がまた去って行く

-張本勲さん死去-

 張本勲さんが亡くなったと聞いて、私の中に読売大阪社会部時代の上司、故黒田清さんが書いた1本の署名記事が鮮明によみkがえってきた。

 半世紀前、1976年4月の広島―巨人戦。試合中の判定をめぐるトラブルが尾を引いて、市民球場からの帰りに広島出身の張本選手が取り囲んだファンに暴力を振るったとして大変な騒ぎに発展した。

 記事で黒田さんは、張本選手の耳に届いたかどうかは別に、その日観衆のなかから一再ならず民族的侮蔑に満ちたヤジが浴びせられたと聞いたとした上で「張本選手のバット1本、一匹オオカミの生き方も好きだ」としたあと、こう書いた。

 〈だが、一番好きなところは彼が韓国人であることを誇りにしていることと、無類の母親孝行であることだ。チョゴリ姿の母親と抱き合うとき、彼はいつも本当にうれしそうな顔をしている。目は細くなりかけてしまう。彼は、自分の国に対しても、この母親に対するのと同じような愛情を持ち続けているにちがいない〉

 そして暴力否定の金科玉条。さらに、ファンは金を払って見に来ているのだから、という前提は果たして絶対的なものなのかと書き―

 〈逆に言えば、どんなに大金を積んでも、人間がしてはならないこと、できないことがあるのではないか。母に対する愛情とか国に対する誇りとかいうものは、人間の尊厳にかかわる問題であろう。そういうものに対して侮辱を与えられたとき、怒らないのはおかしい。それはプロ野球の選手だからということでなく、人間としてのことなのだ〉

 言うまでもなく当時、張本さんは読売巨人軍の選手。黒田さんは読売の一記者。これを書くことにどれほど勇気と決断がいったことか。
 
 後日談がある。学生野球の発展に尽くされた黒田さんのすぐ上の兄、亡き脩さんがある日、伊豆のゴルフ場で張本さんと偶然出会い、「清の兄です」と言うと痛いほど握手されたと聞いた。

 人生の師が、1人、またひとりと去って行く。


(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年9月21日(月)掲載/次回は10月5日(月)掲載です)

 

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2026年8月24日 (月)

何よりも大切にしてきた「平場の検察」を今の世に

-検事総長退任会見と阿波おどりと-

 あでやかな浴衣に編み笠、げたの音。お盆の夜、テレビが映す私の新聞記者としての最初の赴任地、徳島の阿波おどりに、ふと「娯茶平連」などの有名連とともに「桐々(きりきり)舞い」という名の連を思い出した。

 ちょうどこの日、検察のトップ、女性初の畝本直美検事総長が退任の記者会見。「検察なめんな」の暴言検事や、捜査対象の女性との不適切な関係。「国民に申し訳なく思う」と、ほぼ謝罪の言葉ばかりが並んだ会見が私の心に残っていた。

 さて、その「桐々舞い」は私の徳島時代、徳島地検の阿波おどりの連の名だった。検事のバッジが厳しさを表す「秋霜烈日」であるのに対して検察事務官のバッジは高潔さの象徴、「五三の桐」をかたどったもの。連の名は、その桐と日々の忙しさを掛けたものと聞いた。

 ほかに、裁判所は神聖なものしか映さないといわれる神話の「八咫(やた)の鏡」に由来した「かがみ連」。警察は「桜連」。役所のなかでもお堅いといわれている人たちが有名連と並んでカクテル光線のなかにいた。

 普段は仏頂面しか見せたことがない次席検事が、なぜか早くから浴衣の裾をからげ上げている。私たち記者から泣く子も黙る鬼検事といわれているクマさんが、照れ隠しなのか、たる酒をあおっている。

 転勤族の検事が赴任地での思い出を聞かれると、真っ先にこの阿波おどりの連をあげる人が多いとも聞いた。

 単に「郷に入れば、郷に従え」ではない。互いの汗を浴びれば、地位も家族もある人を「幼稚園児か」とは怒鳴れない。捜査のために借り上げたホテルの部屋を女性との密会に使うことなど考えもつかないはずだ。

 総長や検事長の訓話や通達も大事だ。だが、その一方で半世紀も前、先輩検事たちは、権威を保ちながら「平場の検察」をなによりも大切にしてきた。

 そんな姿勢を「よしこの」のお囃子に乗せて、いまに届けることはできないか。ふと思う晩夏の季節である。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年8月24日(月)掲載/次回は9月7日(月)掲載です)

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2026年8月10日 (月)

なぜ被爆国が核を持つ愚かさを伝えようとしないのか

-「原爆資料館」語り継ぐものたち-

 私の上司だった故黒田清さんは「戦争に季節はないが、夏になると戦争を思い出す」と語っていた。

 その夏に「原爆資料館 語り継ぐものたち」が公開されている。私が、かつて一緒に仕事をした広島ホームテレビの立川直樹さんらが監督、制作した映画だ。

 黒こげになったお弁当箱。銀行支店前の「人影の石」。「天国でも遊んで」と遺体と一緒に埋葬されたあと、掘り出された三輪車など被爆の実相を伝える遺品の数々。

 何より重く響くのは、大八車に焼けたモンぺやガレキを積んで資料館開館にこぎつけた初代から現在の14代館長まで、本人や遺族の証言を丹念に引き出していることだ。うち数人は胎内を含めてご自身が被爆者だ。

 半世紀に及ぶアーカイブという局の貴重な財産に加え、歴代の先輩から後輩へと引き継がれてきたバトン。テレビというメディアにしか作れないドキュメンタリーだ。

 ところが画面が終盤に近づくと、ガツンと衝撃が走る。2023年5月、広島での「G7サミット」。当時のバイデン米大統領をはじめ、EU代表らが広島出身の岸田首相のエスコートで原爆資料館を視察した。

 だが館内の取材はシャットアウト。それどころか、全面ガラス張りの館の壁は1㍉の隙間もなく、白い粘着テープが貼られ、視察は被爆の実相を伝える遺品を本来の展示場から一部移して首脳に見せたという。なぜこんなことを。

 私は映画の前半、被爆して3カ月間は目が見えなかったという第8代館長(故人)の言葉を思い起こした。「原爆資料館の遺品は、まさに人間の叫びなんですよ」

 映画はその怒りに応えるようにG7終了後、目隠しテープをバリバリと剥がす場面を流す。なぜ被爆国が凛として核保有国に核を持つことの愚かさ、恐ろしさを伝えようとしないのか。

 いや、それどころではない。あれから81年。防衛大臣が「核保有の本格議論を」と平然と言ってのける、2026年被爆国の夏である。


(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年8月10日(月)掲載/次回は8月24日(月)掲載です)

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2026年7月27日 (月)

「私たちの方を向いていない」…再審法改正案成立

-袴田ひで子さんの思い-

 こんな法律、会期を延長してまで通して何になると、酷暑の最中、市民から冷ややかな目で見られていた今国会。そんななか冤罪被害者だけでなく、国民的関心を呼んでいた再審法改正案は先日、可決成立した。

 とはいえ、審理引き延ばしのための検察の抗告権容認や証拠の目的外使用の禁止など懸念材料は積み残したまま。リモートで記者会見した袴田事件の袴田ひで子さんは「がっかりでございます。私たちの方を向いてやっていないように見えます」と思いを語った。

 そのひで子さんは法案成立の少し前、春にお会いしたときから「去年はイタリア、今年はフランスだよ」と楽しみにしていたパリにいた。130カ国、1300人が参加した「死刑廃止世界会議」。その総会でスピーチに立ったひで子さんを映像で見せていただいた。

 「きょう6月30日はくしくも60年前、弟、巌が冤罪をかぶせられた殺人事件が起きた日です。それから無罪が確定するまでじつに58年かかりました。弟は死刑の恐怖から精神に異常を来し、いまも元に戻れません」

 凛とした声で冤罪の恐ろしさと、死刑制度の酷さを訴えるひで子さんに、静まり返っていた会場からは、やがてスタンディングオベーションが起きた。国際会議の映像でこんな光景にふれたのは初めてだ。

 そのひで子さんの姿に、ふっと私の胸にわいてきた思いは「お疲れさまでした。どうぞ心置きなく、バトンをお渡しください」というものだった。ひで子さん93歳。巌さん90歳。今回の法改正は、この人たちなしにはあり得なかった。その一方で袴田さん無罪確定まで58年。責任の一端は私たちメディアにありはしないか。

 だからこそ「私たちの方を向いていない」という法を今後、多くの冤罪被害者の方に向けさせる。それがメディアの責任ではないか。無罪確定で「袴田事件」をあわてて「静岡一家4人殺害事件」と言い換える小手先の反省は、もう見たくもない。


(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年7月27日(月)掲載/次回は8月10日(月)掲載です)

 

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2026年7月14日 (火)

易々と口にしてはいけない言葉…「経済最優先」

-中部電力データ改ざん-

  記事を読んで、ある人の顔とエピソードが浮かんだ。

 昨年、浜岡原発再稼働をめぐって偽装した地震動データを原子力規制委に提出したことが発覚した中部電力が、規制委の調査中、またも不正がなかったかのようにデータを改ざんしていたことが明らかになった。 度し難い企業体質。だが中部電力は、今回も原子力土建部などの社員がやったことだとして会社ぐるみを否定している。しかし地震動偽装の震源地とされた社員が同じことをまたやるだろうか。

 そんな折、澤井余志郎さんの顔が浮かんできた。澤井さんは1970年代、高度経済成長の真っただ中に起きた水俣病など日本の4大公害の1つ、四日市公害の語り部。当時、化学工場や、いままた問題となっている中部電力などがコンビナートにひしめいていた四日市の空は、排ガスに覆われて人々は喘息に苦しみ、伊勢湾の高級魚は「油臭い」と市場から突き返された。

 何度話し合いの場をもっても頑として因果関係を認めない企業や県、国。ある日の交渉の場で業を煮やした住民や漁師たちは企業の社長や国や県の幹部、それに大勢のお付きの人たちの昼食に、あの伊勢湾の魚の刺し身や煮つけを並べた。

 すると、国など役所の幹部は一口つけてペッと吐き出し、企業の社長は2、3口で気まずそうに箸を置いた。ところがお付きの社員を見ると、みんな必死に刺し身や煮つけを口に押し込んでいるではないか。中にはゲボゲボと涙目の人もいたが、皿は見事空になっていた―。

 2015年、87歳で亡くなった澤井さんは、その少し前、「私も長い間、勤め人、宮仕えをしていましたが、私たちの社会は、あんなことをしていてはいけません」と静かに話していた。

 四日市公害は、この国が上り坂の真ん中。そしていまは転がり落ちる下り坂の途中。だが、どんな時も為政者が発する言葉は「経済最優先」。しかし私には決して易々と口にしてはいけない言葉に思えてならない。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年7月14日(火)掲載/次回は7月27日(月)掲載です)

 

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2026年6月29日 (月)

沖縄戦の「永遠の語り部に―」98歳の願い

-旧日本軍指令部壕-

 6月23日は沖縄終戦の日。今年も東海テレビの取材で、その10日ほど前に那覇を訪ねた。

 最初に足を運んだのは7年前に火災で消失、今年秋には復元した姿が公開される首里城。古文書の分析などで琉球王国時代の姿に、より近づいたとされる完成間近のお城の、それはそれは美しいこと。

 ただ今年の私たちの取材の目的は、この首里城の地下に南北370㍍、全長1㌔にわたって張り巡らされている旧日本軍司令部壕と、長年この壕の公開を訴えている瀬名波榮喜さんにお会いすることだった。

 先日の台風による倒木が遮る急な斜面を下った先にあった第5坑口。一番保存状態がいいとはいえ、中は立ち入り禁止。この壕では、本土決戦を遅らせる砦として1000人もの兵隊がひしめいていたが、最後は散り散りに南部に逃げ、兵士と民間人の区別がつかなくなった米軍の無差別攻撃で9万人もの県民が犠牲になった。

 瀬名波さんは終戦時16歳。県立農林学校生のとき、鉄血勤皇隊として飛行場造りに従事。逃げ惑った末、山の中で米兵に捕まった。

 後に琉球大学の教授になり、当時同僚だった大田昌秀元沖縄県知事(故人)から、やはり鉄血勤皇隊員として日夜、土を運び出した司令壕を「残すのが私の悲願」と協力を頼まれ、以来30年、保存と公開を訴えてきた。

 首里城守礼門の前でお会いした瀬名波さんは過去5回も焼け落ちながら、また新たに歩み始める首里城と、その下を縦横に走る司令部壕。米軍が「この世の地獄をすべて集めた」とまで表現した沖縄戦。その未来と過去が、この場でしっかり交わってくれたらと言う。

 「沖縄戦の体験者がどんどん減っていく。そうした中で、永遠の語り部になるのは司令部壕以外ない。それが私の考えです」

 瀬名波さん、今年98歳。保存される司令部壕は人間回復の砦。そして物言わぬ永遠の語り部―。いま自らの思いを託そうとしているように思えてならなかった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年6月29火(月)掲載/次回は7月14日(火)掲載です)

 

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2026年6月16日 (火)

多くの命失われた拠点…災害報道のあり方を思う

-雲仙・普賢岳火砕流から35年-

 43人が犠牲になった雲仙・普賢岳火砕流から6月3日で35年。このニュースを報じる毎日新聞で久しぶりに神戸金史さん(59)の名前を目にした。長崎県立大で映像ジャーナリズムを教える神戸さんは、この日4人のゼミ生とともに多くの死者を出した報道陣の取材拠点を訪れた。

 私自身、この取材拠点には思い入れがある。新聞記者時代、一緒に仕事をした先輩カメラマンがあの日、襲いくる火砕流に、まわりの記者に「今度は大きいぞ。逃げて」と声をからし、自らは帰らぬ人となった。

 そんな私が神戸さんを知ったのは、このずっと後。2016年、神奈川の知的障がい者施設で元職員が「障がい者に生きる資格はない」と19人を殺害した事件のとき、神戸さんは毎日新聞から転じて東京のテレビ局の報道デスク。自身、障がいのあるお子さんを持つ神戸さんは、事件に衝撃と激しい憤りを抱いて「息子よ。そのままで、いい」という詩を織りこんだ本を出版。私は、この事件を考える集会にお招きを受けるようになった。

 これまで知らなかったが、神戸さんは、たまたま取材拠点を離れていたが、あのとき毎日新聞長崎支局の1年生記者。その後4年間、普賢岳の火山活動終息まで取材を続けたという。

 大惨事となった火砕流災害で私は「熾烈な取材競争の挙げ句」など現場を知りもしない批判には激しく抗議した。あらためて言うまでもないが、先輩カメラマンがそうだったように最前線で報道陣は互いの安全のため声をかけ合い、常に情報を共有しているものなのだ。

 だけど、これほどの命が失われた惨事の結果は限りなく厳しく、重い。その一方で被災現場に足を踏み入れない災害報道などあり得ない。ではどうするか…その答えは、まだない。

 雲仙で、障がい者施設で、命と向き合ってきた神戸さんに学ぶゼミ生たちは、模索しながらどう歩み始めるのか。私の先輩をはじめ、43人の犠牲者が見守っている。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年6月16日(火)掲載/次回は6月29日(月)掲載です)

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2026年6月 1日 (月)

ペンでマイクで怒りを爆発させないと

-「人を殺した」男を深夜の住宅街に~恐怖に震える市民-

 地方の静かな町で民家に押し入ったトクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)の少年に家族がメッタ打ちにされる。兵庫や大阪では高齢の母と娘が惨殺された。人々が恐怖に震えているときに記者たちは、ただ警察が言うがままを右から左に流すだけでいいのか。ふつふつと怒りがわいてくる。

 兵庫県たつの市で母親(74)と娘(52)の刺殺体が5月19日、自宅で発見された事件は、半月たっても犯人は逃走したというより、取り逃がしたままだ。

 この事件で県警は24日夕、突如40代の男の逮捕状を取ったと明らかにした。NHKの「ニュース7」では放送終了間際に「大山賢二容疑者(42)を全国に指名手配」と報じ、同時に顔写真とリュックを抱えて歩く姿を放送。県警が情報提供を呼びかけているとした。

 だが母娘と容疑者の関係にはふれずじまい。ところが、その後流れ出した地元紙や全国紙の電子版を見て卒倒しそうになった。

 大山容疑者は10年前まで、いまは空き家の母娘の隣家の住人。それも驚きだが、この男、2人の遺体が発見される3日前の16日深夜、警察官と一緒にいたのだ。

 たつの市とは姫路市を挟んで西、高砂市で道路に寝ているところを通報で警察官が駆け付け、署で話を聞くと「たつので人を殺した」と言う。だが意味不明の言葉も多く、話がかみ合わず、署員が男をたつの市の10年前の自宅まで送り届けたという。大山容疑者の犯行は13日ごろ。この時、隣家には母娘の遺体があったのだ。

 兵庫県警は事件発覚直後から、この事実をつかんでいたはずだ。だが「市民に知らせる必要性はないと判断した」という。

 すでに母娘を殺害。警察官に「人を殺した」と言う男を深夜の住宅街に放り出すとはどういう神経か。記者はペンで、マイクで怒りを爆発させないでどうするんだ。こんな警察とメディアに囲まれて市民は、きょうも凶悪事件の発生に身を震わせておびえている。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年6月1日(月)掲載/次回は6月16日(火)掲載です)

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2026年5月18日 (月)

なぜ結希くんを救い出すことができなかったのか

-社会が求める事件報道の在りよう-

 京都府南丹市で安達結希くん(当時11)を殺害、山林に遺棄した義父(37)が再逮捕された。大分では58歳の男が18歳の女性を殺害して山中に遺棄。広島県三原市では男性(29)の遺体が会社の敷地内に埋められていた。北海道の旭山動物園では職員の男(33)が園内の焼却炉で妻の遺体を焼いていた。

 かつてバラバラ殺人や死体遺棄事件は猟奇殺人として大きく報道されたものだが、それも今は昔。とはいえ、被害者は体と尊厳、2度殺されたことに変わりはない。

 なかでも結希くんの事件では私たちメディアの報道のあり方も変わっていかなければ、と強く思う。行方不明から3週間以上たって見つかった遺体は捜査員も目を覆う姿だったという。

 事件解決後、「地域の方々の不安を解消した」と語った捜査幹部のコメントも、テレビで連日流れた元警察官たちの解説とやらにも私は強い違和感を抱いた。

 引きずり込まれた公衆トイレで、首を絞め上げてくる義父の形相が結希くんにはどれほど怖かったか。殺害された後も遺体からランリュックも靴もはぎ取られ、4カ所を転々として、最後は変わり果てた姿に。この子は11年の人生をなぜこんな形で終わらされたのか。

 容疑者のほかに曽祖母、祖母、母もいたという家庭環境で、1人でも、このままではこの子は危ないと感じなかったのか。

 児童相談所には虐待や暴力の相談はなかったというが、友だちからは、結希くんが「あいつ」と言って義父を嫌っていたという証言が出ている。多感な年ごろ。学校の先生にも自分の家庭のことを口にしたくなかったのかもしれない。

 ただ、そうしたなかで結希くんの人生は、たった11年でガチャンと閉じられてしまった。本当に私たちの社会は何もできなかったのか。なぜ、この子を救い出すことができなかったのか。胸かきむしられる思いで訴え続ける。それが、いま社会が求めている事件報道の在りようではないのか。

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年5月18日(月)掲載/ 次回は6月1日(月)掲載です)

 

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