日刊スポーツ「フラッシュアップ」

2024年6月11日 (火)

思い出す門田博光選手の言葉

-Eテレ特集「ある野球人の死―」-

 何で今ごろ? 何で私に? 一瞬、そう思った取材依頼がNHKからあった。

 〈プロ野球南海ホークスなどで活躍され、本塁打にこだわって、王選手、野村選手に次ぐ歴代3位のホームランバッター。昨年亡くなられた門田博光さんの特集をただいまEテレで進めております〉

 メールには1988年に私が月刊誌、「中央公論」に書いた〈門田博光 おじさんの出番〉が貼付されていた。

 瞬く間に私は36年前にタイムスリップした。

 浪速っ子にこよなく愛された南海球団の本拠地、大阪球場は新聞記者時代の私の持ち場。難波のど真ん中にあって、その時すでに築38年。振り返れば、1988年は昭和最後の年の前年。40歳の門田選手はこの年、ホームラン44本で本塁打王に輝き、MVPも獲得した。

 私は何試合も足を運んでスタンドから門田選手の姿を追った。この4番DHは、どの試合でも自分の打席の2人も前からベンチを出て、思い切りバットを振り回す。

 試合が終わって汗びっしょりのユニホーム姿で、気さくに取材に応じてくれる。

 「うん、DHいうんは試合の流れをつかみにくいんや。そやから少しでも早く出て行って試合の流れに体を合わせなならんのや」

 その門田選手のこだわりは、希代ののアーチストとまで呼ばれたホームラン。ヒットには当たり損ないもボテボテもある。だけど本塁打は「バットの芯でとらえて、そのあとのフォロースイングも完璧でないとホームランにはならんのですわ」。

 ベンチ横、ひびの入った壁に南海沿線の水間観音のお札が貼られた控室。時は流れ、昨年、門田選手がひっそりと旅立った一方で、大リーグでは10人以上の日本人選手が活躍している。

 Eテレの取材では、その南海ホークスを描いた水島新司さんの漫画の主人公、あぶさんがこよなく愛した通天閣界隈にも足を延ばした。

 NHKETV特集「ある野球人の死 門田博光とその時代」は、15日(土)深夜11時から。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年6月11日掲載/次回は6月24日(月)掲載です)

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2024年5月27日 (月)

「真実明らかに」胸に刻むべきは

-袴田巌さん再審裁判~被害者孫の心情代読-

 事件から58年、この秋、無罪が確定するとみられる袴田巌さん(88)の静岡地裁再審裁判が22日、検察側論告求刑、姉ひで子さん(91)の意見陳述を最後に結審した。この期に及んでなお、「死刑を求刑する」と言い放つ検察官に、いまも背筋が凍りついている。

 メディアの姿勢にも問題はないか。論告は検察の求刑を義務づけているものではない。現に、いずれも再審無罪となった滋賀県東近江市の看護助手患者殺害事件や熊本県松橋町男性刺殺事件の再審裁判で、検察は「量刑は裁判所の適切な判断を」として求刑はしなかった。だが、今回このことにふれたのは地元紙、静岡新聞だけだった。

 袴田さんは、いま社会に出ているものの、長期の拘禁で心神喪失状態にあることに鑑み、検察は「刑の判断は裁判所に委ねたい」とすべきだったのではないか。

 唯一の証拠となった5点の衣類について検察は、再審開始を決定した東京高裁の大善文男裁判長が「捜査機関によって捏(ねつ)造された可能性が極めて高い」とした点については、これまで同様の主張をしてきた弁護側に対して「非現実的だ」と反論しただけで、高裁の指摘には、ふれようともしなかった。

 被告、弁護側には刃を突きつけてきても、裁判所という権威とはことを構えたくない。検察の小狡さ、小賢しさばかりが目につく。

 検察側は結審で、被害者の孫にあたる男性の心情を代読陳述したいと主張。弁護側は、男性は事件当時、生まれてもいなかった。さらに無実の被告側に聞かせる言葉ではないとして反対したが、検察は強行した。

 陳述で孫は被害家族のなかで、ただ1人生き残った自分の母が事件後どれほど苦労したか切々と訴え、袴田さんにふれることは一切なかった。そして最後に「事実を再度精査し、真実を明らかにしてください」と強く訴えたのだった。

 この言葉を胸に刻み込むべきは、代読した検察官、そう、あなたたちではないのか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年5月27日掲載/次回は6月11日(火)掲載です)

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2024年5月14日 (火)

京都の町を黒幕で覆うわけにはいかない

-聞きしにまさるインバウンド狂騒-

 「この植民地状態、どないもならんのどすか」。大型連休最後の夜、久しぶりに訪ねた京都。祇園の小さな割烹の女将は、そうため息をつく。聞きしにまさる京のインバウンド狂騒。

 開店と同時にどやどやとやってきて「お好み焼きクダサイ」。そこは、どこの店もお好み焼きを置いているわけではないとお引き取り願うとして、ツアーガイドから「お客さん1人につき、いくらマージンくれますか」と頻繁にかかる電話。表に出れば舞妓さんの前に立ちはだかってスマホをかざして警備員と小競り合い。

 いつもお世話になっている個人タクシーの運転手さんの悩みも深い。毎年、青紅葉のころに来る常連さんの予約は、今年は半減した。円安で外国人客に的をしぼったホテルは1室10万円以上がザラ。日本人にはちょっと手が出ない。それでも来てくれたお客さんは食べ歩きでポイ捨てにされた串、紙皿が散らばる道路に「こんな京都は見たくない」。

 店内飲食をお願いする看板も、東南アジアの訪日客も多いのに、せいぜい英語、中国、韓国語かスペイン語まで。店内が難しいなら、せめて商店街と市でイートスペースは作れないかという。

 京都駅からのお客さんに「清水寺」と言われたら、1日の売り上げに相当響く。道にあふれる人の波と駐車場に列をなすマイカーで、タクシーは身動きがとれない。なにしろ清水は連休中、1日2万人の人出だった。

 だけど外国人に人気なのは、この清水さんをはじめ金閣、銀閣、二条城、伏見稲荷、それに嵐山の〝6カ所詣で〟。ほかに行ってほしいというのが地元の本音だが、これはパリ旅行でエッフェル塔や凱旋門、ルーブル美術館も外してというようなもので、まず無理だ。

 ここは外国人も日本人もお互い「もううんざり」とならないために、知恵のしぼりどころではないだろうか。富士山の絶景スポット前の町道のように、京都の町をすっぽり黒幕で覆うわけにはいかないのだから。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年5月14日掲載/次回は5月27日(月)掲載です)

 

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2024年4月29日 (月)

大阪読売の記事捏造 下地は3年前に

-幹部を一から教育し直しては-

 前回16日のこのコラムに「牛の世話をしている人とかと違って(県職員となった)みなさんは頭脳、知性が高い」と言い放った川勝平太静岡県知事を、読売新聞静岡支局の一記者の記事が辞職に追いやったと書いた。

 だがこのスクープの翌17日、私が記者の第1歩を踏み出し、20年近く勤めた大阪読売の紙面に頭を抱えたくなるおわび記事が載った。

 メディアのタブーの中でも最も悪質な捏造。小林製薬の紅麹事件をめぐって、取材した同社の取引先の社長が「突然、『危険性がある』と言われて驚いた」「補償について明確な連絡はなく、早く説明してほしい」と、あたかも実際にコメントしたように社会部主任がでっち上げたという。会社の聞き取りに主任は「岡山支局から届いた原稿のトーンが、自分がイメージしたものと違っていた」としている。

 先に親会社の下請け、取引先イジメというストーリーを作っておいて、「ええい、取引先に成り代わって記者が親会社を成敗してくれる!」という権力者然とした振る舞い。なにが、この記者をこれほどまでに思い上がらせたのか。じつは下地は3年前からできていた。

 読売新聞大阪本社は2021年末、大阪府と包括連携協定を結んだ。教育、情報発信、災害対策、地域活性化など8項目。ほぼ地域行政全般について手を結び合い、現在、日本維新の会共同代表でもある吉村洋文大阪府知事と大阪読売トップが協定書を取り交わした。

 大阪府といえば、地域における最高権力機関。そことの協定に組み入れられて、記者も権力の一翼と思い上がってしまうのも、むべなるかなではないのか。

 あり得ないことだが、朝日新聞が小池東京都政と連携協定を結んだら、都民どころか全国民が腰を抜かす。

 捏造事件を機に大阪読売は記者教育を徹底するとしているが、これまた大きな勘違いだ。いまなすべきことは心ある記者が集って、社の幹部を一から教育し直すことではないのか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年4月29日掲載/次回は5月14日(火)掲載です)

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2024年4月16日 (火)

記者たちは「一発退場」と思わなかったのか

-川勝さんには言われたくないが-

 第一報は読売新聞静岡版の囲み記事。強く批判するわけでもなく「再び議論を醸しそうだ」としていた。

 静岡県の新職員入庁式。「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、基本的にみなさま方は頭脳、知性の高い方たち」。失言ではすまされない差別感にあふれた暴言。発言した川勝平太知事は先週10日、辞職した。

 報道の翌日、「辞任表明は読売のせい。発言の一部を切り取られた」と憤る知事と「切り取りも中略もしていない」と反論する読売の女性記者との緊迫したやりとりが記録されている。

 そのなかで知事は「メディアの質の低下も感じるようになって誠に残念」と語っている。この人には言われたくないと思いつつ、知事の発言を「切り取る」形にはなるが、私は今回の件では知事とは別の視点でメディアを残念に思っている。

 県職員の入庁式という大事な取材現場。私が夕方のニュース番組に出演している静岡朝日テレビをはじめ、県政記者クラブ加盟のほぼ全社が知事のあいさつを取材していたという。

 そのなかで飛び出した発言。これは一発退場と思わなかったのか。日々こうした仕事をしている人はもちろん、子どもや家族が「頭脳が、知性が」と言われて、どんな気持ちになるか。結果、2800件も抗議が来た発言に、記者は心がざわつくことはなかったのか。

 振り返れば、政界の長老と言われる人たちが女性や他民族、他国の人々をさげすんだ発言をしても、追及するどころか、「○○節」「○○語録」と揶揄してすませてきた中央メディアのこんな姿が、一線の記者の心まで干からびさせてしまったのか。

 春4月、はるか昔の新聞社の入社式。当時の編集局長の式辞が浮かぶ。

 「家族を愛し、近隣を大切にし、日々、額に汗して懸命に働いている人たちが、首を長くして待っていてくれる新聞を作りなさい」

 いまも、すべての記者に届けたい言葉だ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年4月16日掲載/次回は4月29日(月)掲載です)

 

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2024年4月 1日 (月)

中村医師信条と「武器輸出国」日本

-新年度に思う-

 4月、このコラムは少しボリュームアップする一方、紙面の都合で今後は隔週掲載に。引き続きどうぞよろしく、と言いつつ、さてこの季節、希望に燃えて社会に新たな1歩を踏み出した方も多いことだろう。

 そんなとき、通信社の依頼で朝日新聞乗京真知記者の著書、「中村哲さん殺害事件 実行犯の『遺書』」の書評を書かせていただいた。

 中村さんは医師としてアフガニスタンで活動するとともに、1600本の井戸を掘って緑をよみがえらせ、65万人の生活を支えた。球技場や通りには「ナカムラ」の名がついたものも多く、現地で知らない人はいない。 20年近く前に1度、中村さんの講演を聞いたが、「3度の食事がとれて家族そろってひとつ屋根の下で暮らせたら、だれもテロリストなんかになりません」という言葉がいまも耳に残っている。

 だが中村さんは2019年12月、現地で数人組に銃撃され、護衛の4人とともに帰らぬ人となった。乗京記者ら取材班は実行犯の男を突き止めたが、直前に殺害されていた。治安が回復しないまま米軍が撤退した現地で、背景を探るのは極めて困難という。

 当時、中村さんの悲報は瞬く間に世界を駆けめぐり、イギリスのBBC電子版は中村さんの信条だった「治安の落ち着かない地域で身を守る最善の方法は、銃を持ち歩くのではなく、だれとでも仲良くなることです」という言葉とともに、その死を悼んだ。

 中村さんの訃報から4年余り。先日、日本政府は、かつて安倍政権が「武器輸出三原則」の武器を「防衛装備品」に、輸出を「移転」と言い換えて骨抜きにした「防衛装備品移転三原則」をさらに改変。日、英、伊3カ国で共同開発する次期戦闘機、つまり武器を、条件つきとはいえ初めて第三国に輸出できるとした。

 果たして私たちの国は国際社会に、どんな歩みを進めていこうとしているのか。おぼろげに不安が募る、春4月である。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年4月1日掲載
次回は4月16日です)

 

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2024年3月25日 (月)

発生40年…グリコ森永事件が問いかけること

-似顔絵 広域捜査 劇場型犯罪-

 3月18日は、グリコ森永事件、私が社会部記者として最後の非常招集を受けた事件の発生から40年だった。全国紙では産経1紙が大きく検証記事を掲載していた。

 〔キツネ目の男 消えぬ残像〕
 似顔絵は確かに有力な手がかりだ。だが、公開と同時にそれに関する情報しか集まらなくなるというリスクもあって、この事件でも〝キツネ目の男〟の公開には議論が分かれた。今なら、より鮮明な防犯カメラ映像となるはずだが、公開の功罪は論じられているのか。

 〔広域捜査徹底できず「警察の敗北」〕
 府県警間の連絡のまずさから不審車両を取り逃がした滋賀県警の本部長が焼身自殺するという痛恨の事態を招いた。だが、いまも海外に指示役を置く連続凶悪強盗事件を東京、千葉、広島で起こさせてしまった。

 広域捜査を阻む壁はまだ取り除かれていない。

 〔一網打尽優先 不審者職質せず〕
 この事件で電車内から〝キツネ目の男〟を追尾した刑事に出した幹部の指示は「接触せずに仲間と合流させて全員逮捕せよ」。結果、男は雑踏に紛れてしまった。特殊詐欺の受け子を逮捕して指示役を自供させるのか、泳がせてグループを割るのか。いまも議論が分かれる。

 〔警察組織のメンツ〕〔劇場型の教訓〕
 「かい人21面相」の名前で、捜査幹部をからかった脅迫文を送りつけてくる劇場型犯罪。日増しに過熱する報道にいら立った警察組織とメディアの間には、かつてないほどの亀裂が走ってしまった。果たしてそれは修復されたのか―。

 さまざまなことを問いかける、あれから40年である。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年3月25日掲載)

 

★4月からは分量をボリュームアップし、隔週月曜日の掲載となります。初回は4月1日です。今後ともよろしくご愛読下さい)

 

 

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2024年3月18日 (月)

女性記者達の「格闘」と「確執」の歴史

-ドラマ「テレビ報道記者」-

 これは「奮闘」というより、「格闘」であり、「確執」の歴史なのだ。そんなことを考えていたら、2時間54分はあっという間だった。
 日本テレビ5日放送の番組を、少し長くなるが新聞のテレビ欄のまま紹介する。

 「開局70年スペシャルドラマ〝テレビ報道記者〟~ニュースをつないだ女たち…ニュースの裏側で奮闘し映像と言葉で伝えた女性記者たち…記者ら80人を取材し描くヒューマンドラマ」

 オウム事件からコロナ禍まで。4世代にわたる女性記者たちには、女性初の事件記者、女性初の警視庁キャップ、女性初の社会部長…。全部に「初」と「女性だけど」「女性なのに」がついてまわる。

 若い世代はコロナによる保育園の突然の休園にうろたえ、上の世代は親の介護に頭を抱える。

 ライバル局だったが、長年テレビの夕方ニュースに関わってきた私は、番組が終わるなり、保育園のお迎えに駆け出す女性記者を毎日のように見てきた。そのころ男性デスクが言った「彼女たちは、後に続く女性記者のためにも短い時間に人の倍は働いて帰りますよ」という言葉がいまも耳に残っている。

 局の情報番組をめぐる取材先とのトラブル。局内部署間の確執、軋轢。事件の関係者から浴びせられる「人の不幸で飯を食ってるのか」という罵声。「なんのために、誰のために、なんでこうまでして…」。

 だが、女性のデスクが若い女性記者に静かに語りかける。

 「テレビを頼りに思ってくれている人にまで必要な情報を届けなかったら、本当に終わっちゃうよ」

 テレビに限らず、全てのメディアに向けられた言葉と受け止めた。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年3月18日掲載)

 

★4月からは分量をボリュームアップし、隔週月曜日の掲載となります。初回は4月1日です。今後ともよろしくご愛読下さい)

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2024年3月11日 (月)

阪神から東日本。そして能登へ

-久しぶりに女川へー 

 きょう3月11日は東日本大震災から13年。東海テレビの取材で久しぶりに訪ねた宮城県女川町は、元気を取り戻しつつあった。

 人口の1割近く、827人が犠牲となった町の中心部はJRの駅からズドンと海に続くレンガ道の両側にカフェや楽器店が固まって並び、週末は人波が絶えない。

 震災後の町の復興連絡会。当時の商工会の会長から「還暦過ぎた者は一切口を出さない。次世代の町づくりは君たちで」といわれた当時40代の阿部喜英さんらは戸惑うことばかりだった。

 そんなとき、声をかけてくれたのが神戸の大正筋商店街の人たちだった。阪神・淡路大震災のあと、下町に巨大な駅ビルを建てて大失敗した神戸・新長田の再開発を近くで目の当たりにしてきた。

 「具材もないのに大鍋用意してもアカン。やる気のある人を集めてから町づくりや」。それがいまのコンパクトシティー構想となった。

 町で唯一のスーパー、「おんまえや」の6代目社長、佐藤広樹さんは祖父母、母、姉、従業員5人と店を津波で失った。当時29歳。復興連絡会の会員というより、先輩に肩を抱かれて励まされることが多かった日々。震災からじつに9年、4年前の3月、店を新装オープンさせた日、佐藤さんのあいさつは海風ではなく、涙で何度も途切れた。

 そして今年1月3日。佐藤さんは元日、地震に見舞われた能登に向けて徹夜で物資を積んだワゴン車を走らせていた「物を届けるのと同時に、今度はぼくがまた一から始めたいという人の力になってあげたい」。

 災害は、あってはならないが、災害への思いは阪神から東日本へ。そして能登へと引き継がれていく。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年3月11日掲載)

 

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2024年3月 4日 (月)

ウクライナ避難家族に「安心」を

-日本から停戦の叫び-

 「好き嫌いはないみたいね」「先生もご飯好きでしょ」。ミアちゃん(4歳)は、母のマリッチ・ナタリアさん(34)と姉の3人でウクライナから岐阜県に避難してきた。おととしの春、幼稚園入園のとき、東海テレビのカメラの前で大泣きしていたミアちゃんは、いまではお母さんより日本語が上手だ。

 ロシアのウクライナ侵攻から2月24日で2年。ナタリアさんのようにウクライナから日本に避難している人は、いま2099人。全世界の807万人に比べたら微々たる数だが、ここ1年で大きく変わったことがある。このまま日本にいたいという永住希望者が約4割と大幅に増えているのだ。

 ナタリアさん家族も同様だが、悩みは深い。ウクライナ政府はロシアの侵攻後、18歳から60歳までのすべての男性の出国を禁止した。そうなると、「ロシアは侵攻をやめて。1日も早い停戦を」と願っている女性や子どもは国外に避難。昨年からのイスラエルのガザへの残虐行為も相まって、ナタリアさんたちの声がかき消されてしまうのでないかという。

 だが、それは違う。こんなときこそ、「安心して日本にいてください。1日も早い停戦を、と私たちが世界に訴えますから」と約束することが平和国家、日本の役割ではないのか。

 警察官をしているナタリアさんの夫は電話をしてくるたびに「これが最後かも」とつけ加えるという。侵攻から2年の日、朝日新聞の「天声人語」は、ウクライナの国民的作家の言葉、〈自分たちの一生は「戦前」と「戦中」の二つに分けられる〉を紹介していた。

 「戦後」がなくて、いいはずがない。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年3月4日掲載)

 

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