日刊スポーツ「フラッシュアップ」

2019年3月14日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

復興 何ができなにができないか峻別する時
‐福島・山木屋地区 浪江町 双葉町を訪ねる‐

  東日本大震災は、3・11、きのう発生から8年を迎えた。それに先立って2月末、毎年取材を続けている福島県川俣町山木屋地区、そして浪江、双葉町を訪ねてきた。

  例年だとこの季節、特に山間部の山木屋は膝のあたりまでの雪に覆われているのだが、今年は雪はなく、田畑の土が見えていた。その分、妙な言い方だが、復興の地肌というか地金が見えてきた気がするのだった。

  一時は400人が避難していた町営グラウンドの仮設住宅は最後の2世帯2人が3月末には転居、閉鎖になるという。だけど仮設から避難指示が解除になった山木屋に戻った人は少なく、かつて1200人が暮らした地区で、いま生活している人はわずか300人だ。

  去年、このコラムでも紹介した地区の山木屋小中学校は、小学6年の児童5人がこの春卒業。地域外の中学に通学するうえに新入学児もいないことから、心配した通り、開校1年で小学校は休校、中学も来年度末には生徒がいなくなるという。じつに11億円をつぎ込んだ屋内プールつきの学校。6人の先生方は学校見学会を実施して新入生の獲得に必死だと聞いたが、私の率直な思いは、「そろそろ見切りをつけたら」だった。

  地区の区長で仮設住宅でも自治会長をしてきた広野太さん(69)のお宅。昨年までは雪に覆われていた畑に4、5㍍の高さまで原発の除染土などを詰めたフレコンバッグが積まれ不気味な光景になっていた。だが、今年はきれいに撤去され、雪のない畑に地肌が見える。ただ、広野さんは「全町避難が続く双葉町の中間貯蔵施設さ、持って行ってくれたんだ」と口が重い。

  その言葉に押されるようにして訪ねた双葉町中野地区の中間貯蔵施設。施設に入りきらない黒いフレコンバッグが二重三重に取り囲んでいる。まわりはひしゃげた車、家電製品にタイヤ。土ぼこりが舞うなか、ただただ荒涼たる風景が広がる。だが、国は東京五輪までに、この地にアーカイブ(記録庫)や産業交流センター、カフェを開設するという。

  もちろん成功することを願うが、果たして山木屋の小中学校のようにならないのか…。復興計画の何ができて、何ができないか。いまはそれを峻別する時ではないのか。地肌の見えた福島は、そのことを訴えているような気がするのだった。

(2019年3月12日掲載)

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2019年3月 7日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

悩んだら なぜその職業を選んだのかを考えろ
‐企業説明の解禁、就活の開始‐

  春3月、やわらかな日差しがそそいだ1日、いつもの東海テレビ(名古屋)の「ニュース0ne」は来春卒業予定の大学生などに向けた企業説明の解禁、就活の開始を伝えていた。面接や内定の解禁日も定めた、いわゆる経団連ルールは今年が最後だという。

  とは言っても少子化の中、大変な若者不足で、実際は今年もなし崩し。きょうからしっかり企業を回ります、と硬い表情の学生がいる一方で、ニュースはチアリーダーが飛び跳ねる専門学校の出陣式。「4月中に内定をもらって5月の連休は海外で~す」という笑顔の女子グループも伝えていた。

  「まったくの売手市場ですね」というキャスターの問いかけに、こちらも笑顔を返しながら、ついついこんな言葉が口を突いて出る。

  最後はなんとか希望がかなったとはいえ、マスコミ一本に絞って不安のまっただ中にいたわが就職活動。この日解禁になった学生に「そんなときだからこそ」と、コメントをした。

  バブルがはじけて失われた十数年、就職氷河期といわれた時代は、心ならずもその職に就かざるを得なかった人が大勢いた。進路を選べるいまだからこそ、心底、自分がどんな職業につきたいのか、問いかけてほしい。

  華やいだ雰囲気のなかで、どうしてもこんなことを言っておきたかったのは、たまたまこの日の朝、書店で1冊の文庫本を手にしたからかもしれない。

  朝日新聞三浦英之記者の「南三陸日記」。東日本大震災の年の6月から9カ月、三浦さんは津波で甚大な被害が出た南三陸に身を置いて日記をtづづった。その記事に私も何度、涙をぬぐったことか。それが集英社から文庫本になったのだ。

  忘れられない一文がある。

  三浦さんが駆け出し記者時代、「職業は違うが、目標は一緒だ」と何度も肩を叩いてくれた、その警察官は幹部になっていたが、あの震災で命を落とされた。県警の公葬が終わるのを待って主なき自宅を訪ねた。

  〈最期は女性を助けようと濁流にのまれた、と聞いた。「どうして…」と仏前で言いかけて、彼の口癖を思い出した。

  「悩んだら、なぜその職業を選んだのかを考えろ」

  帰りの車の中で、私は大声をあげて泣いた─〉

  春は、やはり出会いと別れの季節なのかもしれない。

(2019年3月5日掲載)

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2019年2月28日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

発表も謝罪もなし 被害金は補填…では済まない
‐広島県警・死亡警部補の犯行‐

  「広島中央署の8500万円盗難事件の犯人が書類送検されるようです。あの警察官だと大谷さんに伝えていただけたら、わかるはずです」。これまで何度も取材に応じてきた広島テレビの記者から、あわてた様子で事務所に電話インタビューの依頼があった。

   「ええっ? やっぱり事件後亡くなった、あの警官だったのか」

  2017年5月、広島中央署1階会計課の大型金庫に詐欺事件の証拠品として保管中だった現金8500万円余りが盗まれた。警察署内で起きた前代未聞の多額盗難事件に県警は青くなり、市民はあきれ返った。

  だが内部犯行といわれながら捜査は難航。そんな中、詐欺事件の捜査に関わり、事件後借金を返済していた30代の警部補が浮上。しかし頑強に否認したまま、警部補はこの年の9月、自宅で死亡していた。県警はメディアの追及に警部補の関与を強く否定していたが、現金は見つからないまま、近くこの警部補を被疑者死亡で書類送検するという。なんのことはない、1年半も回り道をしていたのだ。

  それにしても警察署内で大金の盗難。結果、内部の警官の犯行。だけどその警官は 死亡していた─。またまたあきれ返る最悪の結末。だけど私は、広島県警が猛省すべきは捜査だけではないと感じている。

  事件から1年10カ月。県警は公には事件の内容を一切、発表していない。それに、ただの1度も県民に謝罪していないのだ。県議会での質問に答えたのと、昨年1月、本部長が転勤する際、記者クラブの強い要請で離任あいさつのついでに事件にふれ、「このような形で離任することを心苦しく思う」と述べただけなのだ。

  加えて「警察官を被疑者死亡で書類送検」の報道が出る直前、県警は被害金について、現職幹部とOBで補填すると発表した。身内の犯行とわかったので、身内で金を出す。県民には迷惑をかけないということだろうが、それですむという問題ではないだろう。

  まず、なぜこの警部補と断定したのか。これほどの大金をいつ、どうやって警察署外に持ち出したと考えられるのか。こと細かく公表したうえで、幹部が打ちそろって心から謝罪する。それなくして、いくら再発防止を唱えようと、空念仏としか聞こえてこないのだ。

(2019年2月26日掲載)

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2019年2月21日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

池江さん 待っているからね
‐励まされた言葉‐

  池江璃花子選手の白血病公表で思わぬ波紋が広がっている。桜田義孝五輪相の「がっかり」発言では、この日刊スポーツからもコメントを求められた。私自身、がん手術を経験していることから、池江さんの件ではテレビなどで思いを聞かれることも多い。

  桜田大臣の言葉は、4分余りの全体を聞くと、激しく人を傷つけていると思えない。だけど、たびたびの不規則発言、それに五輪憲章も読んでいない担当大臣を政権は意固地になって更迭もしない。それがこんな騒動を引き起こしているのだ。これから病と闘う池江さんに、そんな姿を見せてどうするんだ。

  じつはこうした流れは、がんと闘う人と、まわりとの間にぎこちない影を落としているように思えてならないのだ。私自身が気にしていないのに、がんのことを口にして急いでとり繕う人。傷つけまいと、がんの話題を避けようとする人。かえって気まずくなったことも多い。

  池江さんの件では先週、朝日新聞が2面トップで「がんとの闘い どう接すれば」の記事を掲載。「応援が励みに」という闘病経験のある選手の言葉を載せる一方、「応援は患者の思いを聞いて」という専門家の声も紹介している。

  なんだかなあ。国民の2人にひとりが、がん患者といわれる時代に、もっと肩の力を抜くことはできないものか。

  ひるがえって私も、かなり難しいがんと宣告されたとき、まわりの方々がさまざまな声を寄せてくださった。もちろん傷つくことを言われた覚えはないが、「がんばって」「負けないで」「いまは医学が日進月歩だから」…。そのとき一番心に強く残った言葉は、いま思い起こしてみると単純に「待っているからね」だった気がする。

  「早く良くなって。待っているからね」「あせらずに。待っているからね」「気長にのんびり。待っているからね」。変幻自在、いかようにもとれるこの温かい言葉に、どれほど励まされたことか。

  池江さんは、「今の率直な気持ち」と題して、たくさんの励ましのメッセージに感謝を込めて更新したツイッターの最後をこう締めくくっている。

  「必ず戻ってきます。池江璃花子」
 
  ─そう、待っているからね。


(2019年2月19日掲載)

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2019年2月14日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

弱者へ決して口にしてはいけないこと
‐麻生大臣、明石市長の発言に思う‐

  大阪から東京に向かう飛行機の中で、いま統計不正問題で政権追及の急先鋒に立つ旧知の野党女性議員と言葉を交わした。賃金、保険、まさに国民生活の根幹にかかわる統計の不正。

  「根本が腐っているなんて言っている場合じゃないよ。最低でも厚労大臣は辞職に追い込まないと」という私に、議員は「わかっているけど結局、麻生さんが壁なの」と力なく笑う。

  あの森友・加計問題の財務省文書改ざん事件。それに女性や高齢者、病気や障害のある人たちへ度重なる心ない発言。「どれも少し前だったら即刻辞任となるはずなのに、のうのうと生き延びているでしょ。だからどの大臣も、この程度で辞めるもんかとなっているの」。

  ところが偶然とはいえ、なんとその数時間後、当の麻生さんは福岡で開かれた講演会で、またしてもこんな持論を展開していたのだ。「高齢者が悪いみたいに言う人がいっぱいいるが、子どもを産まないのが問題なんだからね…」。

  そして2日後には「不快と思われる方には、おわび申し上げる」という毎度おなじみのふてくされ謝罪。

  ここに書き出すだけでも業腹な話だが、「セクハラ罪という罪はないんだよ」。終末医療のお年寄りには「さっさと死ねるようにしてもらうとか考えないと」。医療費の負担には「たらふく飲んで食べて、なにもしない人の(医療費を)なんで私が払うんだ」。

  こんな人物が財務相、副総理の座を追われることもなく、戦後の蔵相、財務相の在籍最長になったという。

  折しも道路買収交渉が進んでいないことに腹を立てて、市役所幹部に「楽な商売じゃ、お前ら」「いまから行って建物燃やしてこい。捕まってこい」と、パワハラ発言していたことが発覚、辞任した泉房穂明石市長。ここにきて「私だったら、(地権者に)土下座してお願いする」とした市長の音声データが出て、にわかに擁護論が浮上。次期市長選への出馬は様子見だという。

  だけど麻生さんも泉市長も本当にこれでいいのだろうか。自分の部下や、社会のなかで苦しい立場、弱い立場にある人に決して口にしてはならないことがある、と私は思う。

  「たるんじゃったな…みんな…」。昨年亡くなられた毎日新聞の岸井成格さんが最期に親しい人に漏らした言葉が浮かんで、消える。

(2019年2月12日掲載)

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2019年2月 7日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

アベノミクス忖度ではないところに問題の根深さが…
‐厚労省 統計不正問題‐

  朝日、毎日、それに日経新聞も「統計不正問題」。だけど読売は一貫して「不適切調査問題」。産経はその両方を使い分け。さて、どの表現が「適切」かはともかく、私は、この問題の追及の仕方は当初から間違えていると思えてならない。

  厚生労働省が実施している「毎月勤労統計」に続いて「賃金構造基本統計」も長年、定められた方法ではない形の調査が行われていたことが発覚。働く人の実質賃金も国の公表値は誤りとなった。当然、野党はアベノミクス成功の根拠となった賃金上昇は「大うそ、ごまかしだった」と厳しく追及する。なるほど、ここでもまた役人の忖度か、という気がしてくるのだ。

  だけどこの問題、まずなすべきことは、いつ、どこで、だれが、こんなことをしたのか。その目的はなんなのかを明らかにすることではないのか。その結果、「不正、不適切なことはしたけど、それがアベノミクスにどう影響するかなんて眼中になかった」となったら、野党もメディアも、まさに空を切って刀をふりまわしていることになる。

  こう書くのには、じつは根拠がある。問題発覚後、中央省庁の元キャリアと話す機会があったのだが、その元官僚は各省庁にある統計部局を伏魔殿としたうえで、「トップクラスのキャリアを除いて人事異動はほとんどない日の当たらない専門部局。省庁の中枢になることのない彼らに時の政権への思惑などあるはずがない」と言い切るのだった。

  その言葉を裏付けるように毎日新聞は今回、問題が発覚した厚労省の雇用・賃金福祉統計室は3万人の職員のうち、わずか17人。調査にあたった特別監察委は「安易な前例踏襲主義で長年、漫然と業務を続けてきた」と断じていると伝えている。また産経新聞も、この問題の震源地は統計部局としたうえで、「政策部門と切り離された閉ざされた組織」としている。

  ならばそんな人たちが、それでもアベノミクスに忖度したというのか。そうではないところにこの問題の根深さがある。こんな日の当たらない組織が漫然と出してきた数字をもとに、長年あらゆる施策が決められてきたのだ。まずはこの組織の実態を白日のもとにさらし、そのうえで統計をうのみにした政権が責任を取る。それが物事の順番というものではないのか。

(2019年2月5日掲載)
   

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2019年1月31日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

現職警察官が昇任試験めぐり多額報酬
‐なぜか全国紙報じぬ大問題‐

  事件、事故、災害取材。新聞、テレビといったメディアがもっとも関わりの深い公的機関といったら、やはり警察だろう。ただ大きく違うのは、警察組織は昇任試験に支えられた徹底した階級社会。それこそ上官の命令は絶対。「悔しかったら、(階級章の)星の数を増やしてからものを言え」の世界なのだ。だが、いまその昇任試験をめぐって警察組織が大きく揺れている。

  東京の出版社の依頼で、現職の警察官が昇任試験の対策問題集や模範解答に長年、原稿を執筆、相当額の報酬を受け取っていたことが明るみに出た。ただし、この問題、年明け早々に九州の西日本新聞がスクープ。先日、私のところにも京都新聞からコメント依頼があったように一部のブロック紙や地方紙が連日、報道しているのに、なぜか全国紙の大半は、いまのところ報じる気配はない。

  だけど、西日本新聞などの報道によると、現職警察官が執筆していたのは警察庁はじめ、福岡、広島、京都、愛知、神奈川など17道府県に及ぶ。このうち京都府警の警視は偽名を使うなどして5年間で計795万円を受け取り、西日本新聞が取材に入った昨年末、退職している。さらに神奈川県警の元警視は在任中、1000万円近い報酬を受け取っていた。もちろん副業を禁じた職務規定に違反しているし、税務申告していなかったら所得税法違反だ。

  ただ、そういったこととは別に、大半の警察官が激務の合間に少しでも上の階級を目指して眠い目をこすって勉強している。私もかつてそんなデカさんたちを見てきた。なのにその上司の警部、警視が民間の出版社に問題例を流して多額のお金を手にしている。現場で働く警察官が聞いて心穏やかでいられるはずがない。

  一方で災害の多い県警。山岳事故、海難事故への対応が求められる県警。設問がそれぞれ違う昇任試験。効率的な参考書を求める声も根強い。ここはどうだろうか。各警察本部が警務課や教養課に匿名の考査委員を置き、その委員が出版社との契約で地域の特性を生かした問題と模範解答を執筆。報酬は委員の慰労と警察官の福利、厚生に充てる。

  もちろん警察組織への批判も大事だ。だが一方で古いおつき合いの間柄。メディアの側からそんな提案があってもいいと思うのだ。

(2019年1月29日掲載)

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2019年1月24日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

神戸、宮城、東京「つなぐ」1・17
‐あの日から24年…風化のさざ波‐

  ここ2、3年、東京のホテルで西の空に向かって手を合わすことが多かったが、今年は午前5時46分、民放の特別番組を見ながら大阪の自宅で黙とうをささげた。

  先週木曜日、阪神・淡路大震災は、あの日から24年を迎えた。私も何度も足を運んだ神戸市中央区、東遊園地のつどいで竹灯籠が描きだした文字は「つなぐ」だった。平成最後の1・17、いま多くの人がこの災禍をどうやって次世代につなぐのか、心を砕いている。

  言葉は適切かどうかわからないが、私はこの震災を災害列島元年と位置づけている。初めて大勢の人が極寒のなか神戸を目指したボランティア元年であったし、あれから国の耐震基準も定着した。国費による倒壊家屋の撤去、区画整理、防災公園。その後の中越、東日本、熊本、そして昨年の北海道。これらの災害にこの震災がつないだものは数知れない。

  一方でこの日、つどいに参加された方は5万人弱、また市民による追悼行事も53件と、いずれも過去最多時の半数以下となっている。町を一望できるビーナスブリッジで20年続いてきた追悼の調べはトランペット奏者が高齢化、今年が最後となった。風化のさざ波がじわりと迫っているのだ。

  ただ私は、それを決して悲観してはいない。ある意味で、それが時の流れというものではないかと思っている。

 そんななか、この日午後2時46分、HAT神戸では、東日本大震災で妻を亡くし、神戸からのボランティアに励まされてきたという男性をはじめ、宮城県名取市閖上地区のみなさん20人が市民とともに黙とうをささげた。

  そしてつどいから12時間後の午後5時46分、今度は東京・日比谷公園で、この朝、東遊園地の「希望の灯」から取った種火を空路、東京に運んで点火したキャンドルが1・17を描いていた。15歳のとき、神戸で被災した女性たちが「東京でも黙とうを」と呼びかけ人になって、初めて開いた鎮魂のつどいだった。

  宮城から神戸へ、神戸から東京へ。縦糸が風化していくのなら、たとえ最初は細くても、横糸を広く、長く、遠くに伸ばして―。

  来年は震災から四半世紀、新元号で迎える初めての1・17。神戸は何をつなぎ、何を伝えていくのだろうか。

  鎮魂のつどいから3時間後、テレビは口永良部島の爆発的噴火を伝えていた。

(2019年1月22日掲載)

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2019年1月17日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

デタラメばかりの国のデータを質せ
‐19年 念頭に思うメディアの役割‐

  つくづく私たちは3等国家か4等国家で暮らしているのだということを思い知らされる。厚労省が従業員500人以上の全ての企業を対象に調査、失業や育児、介護などの給付金の支給額の指針としている「毎月勤労統計」が、実際には東京では3分の1ほどの企業しか対象になっていなかったことが発覚した。

  このため雇用保険などで本来の支給額より低い金額を受け取っていた人は延べ1973万人、金額は雇用保険で1人平均1400円になるという。あわてた国はその分を追加給付するとしているが、一体どうやって2000万人近い人にこの金を返すのか。手間を考えただけで気が遠くなる。結局は大半の人が泣き寝入りした消えた年金と同じことになるのではないか。

  思い起こせば、裁量労働制の実際の労働時間。外国人技能実習生の失踪理由。データはどれもうそ、デタラメ、インチキ、ごまかし。そんなとき、ふっと救われる毎日新聞の記事に出会って、今年最初の文化放送の番組、「くにまるジャパン極」で紹介させもらった。

  〈就学不明 外国籍1・6万人。100自治体〉の見出し。記事によると、全国100の自治体にアンケートしたところ、日本に住民登録し、小中学校の就学年齢にある外国籍の子どもの約2割、1万6000人が学校に通っているか確認できない「就学不明」になっているという。だが外国籍の子どもは義務教育の対象外なので、自治体の多くはそれらの子どもの状況を把握していないという。 記事を読んで昨年秋、外国人労働者が数多く暮らす群馬の中学校教師の言葉を思い出した。「3者面談といっても働いているお母さん、それに通訳さんの都合をつけていると、子どもをまじえて夜の8時9時の面談になることもあります。そのうち親も子も学校から遠ざかってしまって…」。

  こんな状況なのに、国は今年4月からいきなり34万5000人の外国人労働者を受け入れるという。果たして今度はこの外国人の実態に、どんな調査結果を出してくることやら。

  国が、役所が、こうだからこそ、毎日新聞のような地味だけど地道な調査報道がいぶし銀のように光って見える。メディアの役割をあらためて思い知らされる2019、年の初めである。

(2019年1月15日掲載)

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2019年1月10日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

人間のなす業に手も足も出ぬ千年の古都
‐災害にも明るいご住職や宮司さんだが‐

  今年初めてのコラム、本年もどうぞよろしく。さて、お正月はいつもどおり京都。ただ、天皇退位まで4カ月ということもあってか、天皇と京都がより色濃く感じられる初春だった。

  ホテルからちょっと足を伸ばした紫式部源氏物語執筆地の盧山寺。寺史には「現在の本堂は光格天皇が仙洞御所を移築し」と、今上天皇からさかのぼること202年、生前退位された天皇のお名前が出てくる。拝観させてもらった寺社仏閣の沿革には勅命、ご下賜といった言葉が、さりげなくではあるけど何度も出てくる。

  ただ、そんな京都が去年受けた打撃は、私たち旅の者の想像をはるかに超えていた。9月の台風21号。周山街道を上った京北は北山杉が幾重にも倒れている。植林したとしても銘木になるには、数十年かかると聞く。その前に立ち寄った白椿で名高い平岡八幡宮は社領地の裏山で樹齢100年を超える古木を含め250本が根こそぎ倒れたという。足を運んだ寺社の多くが「緊急のご寄進を」の立て看板を出していた。

  6月に大阪北部を襲った地震。洛南のお寺では、鐘撞き堂の瓦がずれて除夜の鐘を見送ったという。

  だけどこんな深刻な事態に、ご住職も宮司さんも意外と明るい。「京都は千年の古都どす。その間、何百年、いや何十年に1度は大変な自然災害におうとるんです。それを乗り越えていまがあるんやないですか」。 「それよりも」と、住職たちを悩ませているのは今年のエトのイノシシにシカ、それにサルだ。イノシシはミミズを狙って寺院のコケを片端から掘り起こし、名庭園を台無しにする。シカは境内を踏み荒らし、サルは山里のカキ、ミカンを抱えて走る。

  もちろん数が増えすぎたこともあるのだが、イノシシやサルが食べる木の実をつける落葉樹のブナやナラを切ってスギ、ヒノキを植林。それがお金にならないとなると、そのまま放置林に。食べ物を奪われたイノシシやサルは人里を襲い、スギなどの若芽が大好きなシカは爆発的に増えた。

  台風や地震、自然がもたらす災害はたくましく、しなやかに乗り越える古都も、数十年、いや数年先しか見えない人間のなす業には手も足も出ない。そんなことを教えられた、平成最後の古都の初春だった。

(2019年1月8日掲載)

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