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2026年6月16日 (火)

多くの命失われた拠点…災害報道のあり方を思う

-雲仙・普賢岳火砕流から35年-

 43人が犠牲になった雲仙・普賢岳火砕流から6月3日で35年。このニュースを報じる毎日新聞で久しぶりに神戸金史さん(59)の名前を目にした。長崎県立大で映像ジャーナリズムを教える神戸さんは、この日4人のゼミ生とともに多くの死者を出した報道陣の取材拠点を訪れた。

 私自身、この取材拠点には思い入れがある。新聞記者時代、一緒に仕事をした先輩カメラマンがあの日、襲いくる火砕流に、まわりの記者に「今度は大きいぞ。逃げて」と声をからし、自らは帰らぬ人となった。

 そんな私が神戸さんを知ったのは、このずっと後。2016年、神奈川の知的障がい者施設で元職員が「障がい者に生きる資格はない」と19人を殺害した事件のとき、神戸さんは毎日新聞から転じて東京のテレビ局の報道デスク。自身、障がいのあるお子さんを持つ神戸さんは、事件に衝撃と激しい憤りを抱いて「息子よ。そのままで、いい」という詩を織りこんだ本を出版。私は、この事件を考える集会にお招きを受けるようになった。

 これまで知らなかったが、神戸さんは、たまたま取材拠点を離れていたが、あのとき毎日新聞長崎支局の1年生記者。その後4年間、普賢岳の火山活動終息まで取材を続けたという。

 大惨事となった火砕流災害で私は「熾烈な取材競争の挙げ句」など現場を知りもしない批判には激しく抗議した。あらためて言うまでもないが、先輩カメラマンがそうだったように最前線で報道陣は互いの安全のため声をかけ合い、常に情報を共有しているものなのだ。

 だけど、これほどの命が失われた惨事の結果は限りなく厳しく、重い。その一方で被災現場に足を踏み入れない災害報道などあり得ない。ではどうするか…その答えは、まだない。

 雲仙で、障がい者施設で、命と向き合ってきた神戸さんに学ぶゼミ生たちは、模索しながらどう歩み始めるのか。私の先輩をはじめ、43人の犠牲者が見守っている。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年6月16日(火)掲載/次回は6月29日(月)掲載です)

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