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2026年1月26日 (月)

阪神大震災31年「つむぐ」思い

-大みそかに届いた1通のメール-

 昨年は阪神・淡路大震災発生から30年。その年がまさに暮れようとしている23時57分、私の事務所経由で1通のメールが届いた。

 差出人はNHK鳥取放送局の藤本幸也記者。お会いしたことはないが、阪神・淡路大震災について2002年に「心の断層」という本を出版されたとある。

 〈その際、小生の駄文に過褒なまでの書評をいただき、またテレビの「徹子の部屋」に出演された時も拙著を持ち出し、そこに出てくる焼山昇二さんにふれて下さいました。覚えておられるでしょうか。その焼山さんが震災30年の1月17日の翌日亡くなられました〉

 情けないことに私、「徹子の部屋」は、おぼろげに記憶はあるが、ほかのことは、すっぽり抜け落ちている。改めて「心の断層」のページを繰ってみると―。

 その焼山さんは、かつてはゴンタクレ(暴れん坊)だったが、震災当時46歳。高齢者、外国人が市内で最も多い神戸市長田区で4町連合の自治会役員をつとめる、うどん屋のおっちゃんだった。

 大火に見舞われた長田で震災当日、地区唯一の総合病院は裏手まで火が迫っていた。待合室のソファに乗った焼山さんは冷静に患者に呼びかけ、歩ける人は点滴をしたまま歩き始めた。

 圧巻は、そんな現場を冷やかしに来た〝腐ったサバの目〟の少年たち。焼山さんは胸ぐらをつかんで彼らに4、5人ずつ隊を組ませた。すると少年たちは、病院の長いす、そばにあった戸板、何でも担架にして、患者を近くの公園に運んだ。

 藤本さんのメールは〈「徹子の部屋」で大谷さんはそんな焼山さんの「みんな素晴らしかった」という言葉を紹介され、番組を見ていた焼山さんは、お母さんに「ばあさん、俺のことを言うとる。生きていれば、いいことがあるよな」と言ったそうです〉と結ばれていた。

 顔も知らない方々が織りなしてきたこんな思いもしっかり受け継いでいきたい。震災から31年となった今年、慰霊の集いに浮かんだ竹灯籠の文字は「つむぐ」だった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年1月26日(月)掲載/次回は2月9日(月)掲載です)

 

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