小さな局がみせたテレビ報道の底力
-ハンセン病療養所追い20年超-
三重テレビは津市の住宅街、小高い丘の上に立つ小さな局だ。この局で報道一筋の小川秀幸さんとおつき合いして30年になる。その三重テレビが本年度、日経新聞のコラム「春秋」の筆者、大島三緒編集委員が本賞を受賞した日本記者クラブ賞の特別賞を受賞。先週、贈賞式があった。
贈賞理由は「20年以上、岡山のハンセン病療養所、長島愛生園に通い、元患者と家族の苦悩と喜びに寄り添い、差別や偏見を取り除くため地道で多角的な報道を続けた」(要旨)だった。
事実、小川さんとスタッフは日々、ニュースを届けながら三重県出身者も数十人いたという瀬戸内海の島、長島愛生園を追い続けた。
「今度のお正月は?」「ハイ、島と本土をつなぎ、人間回復の橋といわれる邑久長島大橋から初日の出を撮ります」。「この前の連休は?」「県が、がんばってやっと実現させた園から三重への里帰りバスに乗せてもらいました」
小川さんからは、いつもこんな答えが返ってきた。
療養所では結婚は許されていたが、子どもを持つことは禁じられ、堕胎させられた赤ちゃんはホルマリン漬けにして保存。多くの夫婦はワゼクトミーと呼ばれる断種や不妊手術を強制された。
さらに治療薬が開発されてからも隔離政策を前提にした、らい予防法はそのまま継続。廃止になったのは、開発からじつに半世紀以上もたった1996年だった。
三重テレビは、そんなハンセン病患者に焦点を当てて2002年から昨年までに12本ものドキュメンタリー番組を制作してきた。
手元に、そこに登場した12人の声を収めた「証言録・島の記憶 生きた記録」がある。山口昇七さん、西口君江さん…いまもなお親族への差別を恐れてその下には(仮名)の文字が続く。
小川さんたちの仕事は、いま信頼が堕ちるばかりのテレビの世界に、小さな局がテレビが持つ底力と、キラリと光る意地を見せてくれた。そう思えてならない。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年6月2日(月)掲載/次回は6月16日(月)掲載です)
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