« 2025年2月 | トップページ | 2025年4月 »

2025年3月

2025年3月17日 (月)

人口流出 福島の町 ささやかな反転攻勢

 

 先週、発生から14年となった東日本大震災。今年も福島県川俣町を訪ね、初めて県立川俣高校の卒業式を取材させてもらった。

 創立117年。町の高台にある学校の広さは東京ドーム1・5個分。かつて320人いた生徒は震災後、町の人口減もあっていまは51人。うち卒業生は14人だ。

 式を終えた卒業生は教室で最後のホームルーム。3年間担任だった50代の男性教師から1人ずつ証書を手渡され、ほとんどの生徒が皆勤賞、精勤賞、生徒会功労賞。何かの表彰を受けて、みんなに向けてひと言話す。

 仙台の大学に行きます。この町のために役場で働きます。震災の時は3歳でしたが、当時のことを親から聞いて看護師の道に進みます。

 驚いたのは、4人もの生徒が「じつは中学時代は不登校だった」と話し出したことだ。「だけどこの3年間は楽しかった」「いい仲間だった」「こんな私が精勤賞。みんな、本当にありがとう」

 その川俣高校が、この春から大きく変わる。こうした学校の雰囲気と恵まれた環境を生かして、県立高校では珍しく全国から生徒を募集することになった。

 そういえば避難地域となって在校生ゼロが続く町内の山木屋小中学校も、この春から校区の学校に通いにくい子どもを広く受け入れる。人口流出に泣かされた福島の町が、ささやかな反転攻勢に打って出たのだ。

 そんな福島の川俣高校最後のホームルーム。先生は、この日で卒業生を送り出すのは8回目。270人になると話し出した。

 「そのうち1人は若くしてがんで亡くなりました。そしてもう1人は、自死でした。仕事に行き詰まったと後で聞きました」。先生はそこでひと呼吸置いて、「だから約束してほしい。きみたちは卒業していくけど、先生は、生きている限り、みんなの担任だと」

 大粒の涙が頰を伝った。

 ♪ぼくら離ればなれになろうとも クラス仲間は…

 残雪の磐梯山に、こだまが吸い込まれていくようだった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年3月17日(月)掲載/次回は4月7日(月)掲載です)

|

2025年3月 3日 (月)

私たちがウクライナになすべきことは何なのか

-ロシアの侵攻から3年-

 「昨年末の岡崎のチャリティーコンサートは300人収容の会場で、客はたった8人でした」。男性は東海テレビの取材に答えて肩を落とした。

 ロシアのウクライナ侵攻から3年がたった。この間、ウクライナでは子どもを含めて1万2600人の民間人が亡くなり、その戦火を逃れて1月現在2747人が日本に避難してきている。 だが、こうした避難民を支援してきた日本ウクライナ協会のナターリヤさんによると、侵攻当初とは様変わり。以前は支援物資であふれた事務所の棚は隙間が目立つ。ナターリヤさんは「ガザ地区の問題。それに能登半島地震も起きて仕方ないよね」とつぶやく。

 だけど、それ以上に避難民の心を暗くしているのは祖国を取り巻く情勢だ。3年前、長女と長男を連れて避難してきたカテリーナさんもその1人。その後、夫も合流して次男が生まれた。だがロシア軍に占領された故郷ハルキウどころか、ウクライナそのものが危うい。

 トランプ米大統領は就任直後からロシアにすり寄り、ウクライナ抜きの頭越し外交。ゼレンスキー大統領に退陣を迫り、「プーチンが望めばウクライナ全土の占領もできる」とどう喝する。

 その一方で支援打ち切りを恐れる弱みにつけ込んで、レアアースなどウクライナの豊かな鉱物資源を開発させろと迫る。こんな暴挙があっていいのか。大国による恐喝事件ではないのか。

 日本で生まれた次男に歯が生えてきたというカテリーナさんは、この子たちの将来はどうなるのか、スマホで祖国の友人と連絡を取り合う日々が続く。

 情けないのは私たちの国だ。暴挙、暴走の米大統領の前でお追従を並べ、日米地位協定もウクライナ問題も持ち出せずに帰ってきた。そんな首相をいさめるどころか、国会もメディアも初会談は大成功と持ち上げる。

 はっきりさせておきたい。私たちがウクライナになすべきことは、チャリティーコンサート会場を埋めることではなくなっているのだ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年3月3日(月)掲載/
次回は3月17日(月)掲載です)

 

|

« 2025年2月 | トップページ | 2025年4月 »