やっと言えること まだ言えないこと
-阪神淡路大震災から30年 神戸1・17のつどい-
阪神淡路大震災から30年。神戸・東遊園地の1・17のつどいで最初に出会った方の言葉は「震災の爪痕さえ、残っていないでしょ」。
会場の一部にはルミナリエの美しい壁。まわりは高層ビルにタワーマンション。だけど人々の心のなかは、少し違っていた。親子4人が連れだった中の息子さんは、震災で母と弟を亡くして、この日、遺族代表の言葉を述べた長谷川元気さんの幼なじみ。「泳ぎやキャンプに行ったこと。元気な保育士だったお母さんも忘れてないよ、と伝えたくて」。
娘さんと手をつないだ女性は「10歳のとき被災した私とこの子が同じ年になって、これから私の30年をしっかり伝えていこうと、ここに来ました」。階下で寝ていた1歳の娘と母を亡くしたという男性は「2、3年前まで取材は断ってきました。だけど孫に覆いかぶさってアザひとつ作らせずに亡くなった母のことを知ってほしくなって」。そう言って涙をあふれさせた。
この日出演した東海テレビは地震当日、野戦病院と化した県立淡路病院の生々しい映像を初めて放送した。15分も懸命にCPR(心肺蘇生)をしても回復しない患者に、外科部長の「ストップ。次の人にかかろう」という厳しい声が医師の背中に飛ぶ。究極の命の選択、トリアージの原点ともいわれた救命救急医療の現場だ。
このほかにも、いくつかの震災特番は兵庫県内の消防本部が生き埋め現場で「もう呼びかけに応答がありません。班は別の要請現場へ」と救急隊員が目を赤くして深々と頭を下げる映像を初めて公開していた。
これらはいずれもご遺族への配慮から、やっといま公開に踏み切れたに違いない。
30年たって言えること。それでもなお、心の奥底にしまっておきたいこと。
この日朝、日経新聞のコラム、「春秋」は神戸の詩人、安水稔和さんのこんな言葉を載せていた。
これはいつかあったこと/これはいつかあること/だからよく記憶すること―。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2025年1月20日(月)掲載/次回は2月3日(月)掲載です)
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