戦禍、大災害…「いま私にできることは」
-バイオリニスト天満敦子さんの言葉に思う~脊髄損傷乗り越え「祈り」「望郷」弾く-
師走の大阪・中之島の中央公会堂。演奏会場につえをついて入って来られた時は一瞬ハッとした。だが、その音色は大胆で、時には繊細でやさしく、とても脊髄損傷という大病を乗り越えてきたとは思えなかった。
クラシック音楽とは縁遠い私が、バイオリニストの天満敦子さんと知り合って四半世紀になる。天満さんといえば、ルーマニアの天才作曲家、ポルムベスクの「望郷のバラード」と出合って日本に紹介した演奏家としても知られる。ここ数年は、長野県上田市の早世した戦没画学生を慰霊する美術館「無言館」でも定期的に演奏されている。
コンサートのもう一つの魅力は曲の合間の天満さんの軽妙なトーク。だが、この日は少し違った。闘病の話は笑いをまじえてさらっと流し、話題は何度も足を運んだヨーロッパの国々の戦火に。ルーマニアから隣国、ウクライナへ。キエフと呼んでいたキーウの美しい町並み。素晴らしい音楽家にバレリーナ。そのウクライナが侵攻されて間もなく3年。ルーマニアには、美しい故国を捨ててウクライナの人々が逃れてきているという。そこまで言って天満さんは声を詰まらせた。
一方でこの日の曲目には、ロシアの作曲家、ヴァヴィロフの「アヴェ・マリア」。ユダヤ人のブロッホ作曲、「祈り」もあった。天満さんは自分に語りかけるように「いま私にできることは、祈って弾き、弾いて祈ることだと思っています」。
第2部の冒頭に弾いた「望郷のバラード」。29歳で亡くなったポルムベスクは19世紀半ば、ルーマニア独立運動に参加して投獄され、故郷と恋人を思って獄中でこの曲を作ったという。
この日、天満さんの弦は、あるときは強く叫び、あるときは哀しげにささやくようにも聞こえるのだった。
戦禍に大災害…。2024年が暮れようとしている。天満さんの言葉をなぞるようだが、私も祈って書き、書いて祈り続けたい。みなさま、どうぞ良いお年を―
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年12月23日(月)掲載/次回は2025年1月6日(月)掲載です)
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