風化に抗い続ける未解決事件被害者家族
-名古屋市西区主婦殺害事件-
名古屋市西区のマンションの一室。玄関のたたきには、変色しているが、靴底についた血の痕。食卓のコップも、壁のカレンダーも事件の日のままだ。
1999年11月13日白昼、この部屋で高羽奈美子さん(当時32)が刃物で殺害された事件から25年がたった。
遺体発見時、食卓の子ども用のイスで泣きもせず、ちょこんと座っていた当時2歳1カ月だった航平さんは、27歳になった。
事件から15年の節目。2014年に、やはりこの主なき部屋で取材した夫の悟さん(68)は当時、このまま部屋を借り続けるか悩んでいたが、「血の痕をはじめ、手がかかりは少しでも残しておきたい」と結局、そのまま借り続け、払った家賃は25年間で2188万円にのぼるという。
部屋をそのままにする一方で、高羽さんは航平さんを育てながら前へ前へと歩む年月だった。「この子が大人になっていく中で懸命に犯人捜しをしている父の姿を見せたかった」。そしてもう一つ。「奈美子に限らず、犯罪被害者の死を決して無駄にしてはならないと思い続ける毎日でした」。
25年で大半が入れ替わった所轄署の警察官を現場に招いて、事件の検証と、これまでの思いを知ってもらう。風化という流れは、自分の事件だけに止まらない。世田谷一家殺害事件の遺族をはじめ、被害者家族で作る「宙(そら)の会」の代表幹事をつとめて15年になる。
「悲しみと同時に生活もどん底に突き落とされた被害者への国の対応は、余りに冷たい」「きちんと管理できればDNAはもっと捜査に有効に使えるはずだ」
そうしたことを訴える日々に、うれしい出来事が飛び込んできた。航平さんがこの秋、結婚。お相手は奈美子さんのママ友の娘さん。0歳、1歳児同士で遊んでいた2人が、なんと高校の同じクラスで再会したのだ。
「奈美子が結んでくれた縁なのに…」。高羽さんの声は未解決事件への重く悔しい思いをにじませていた。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年11月25日(月)掲載/次回は12月10日(火)掲載です)
| 固定リンク
「日刊スポーツ「フラッシュアップ」」カテゴリの記事
- やっと言えること まだ言えないこと(2025.01.20)
- 敗戦から80年 戦争は絶対にするな(2025.01.06)
- 戦禍、大災害…「いま私にできることは」(2024.12.25)
- 袴田事件に全霊ささげ燃え尽きた(2024.12.11)
- 風化に抗い続ける未解決事件被害者家族(2024.11.27)