追い続けた寅さんに重なって見える
-朝日新聞記者の小泉信一さん悼む-
朝日新聞記者の小泉信一さんが亡くなられた。末期がんで余命宣告を受けていたことは知っていたが、折にふれて私の事務所のスタッフに闘病生活を知らせてくれていたし、5日の夕刊に連載「昭和怪事件」が掲載されていたので、まったく予期せぬ訃報。残念で、悔しくてならない。
朝日新聞でただ1人の「大衆文化・芸能担当」編集委員。前橋、根室、稚内、横浜、多くの新聞記者がそうであるように、赴任地をいつまでも大切にされていた。
記者生活の神髄は、大衆演劇に居酒屋、昭和歌謡、銭湯…いつも町場の人々の息づかいのなかにいた。
とりわけ山田洋次監督、渥美清さん演じる「フーテンの寅さん」は、小泉さんが追い続けた大衆芸能の主役だった。
長いマフラーに、よれよれのジーンズ、どた靴姿は小泉流車寅次郎だったのかもしれない。
小泉さんはまた、まれに見る聞き上手な記者だった。2019年、朝日新聞の文化面、「語る-人生の贈りもの-」が15回にわたって私のジャーナリスト生活を取り上げてくれたときの聞き手が小泉さんだった。
社会部記者だった私の担当地域で労働者の町、「釜ケ崎」(あいりん地区)。〈小さな一杯飲み屋。コトコト煮込んだスジ肉。ふるさとを捨て、家族を捨てて流れてきた人たち。「泣きたくなるほど切ない街。泣きたくなるほど好きな街」〉
気がつくと、あの日、あのころの釜ヶ崎の情景とともに、私の胸の底に沈んでいた思いが、ものの見事に引っ張り出されていたのだった。
63歳。あまりに早い死。いただいた「わたしの寅さん」の本の中にあった渥美さんの遺言と同じように家族だけに見送られたという小泉さん。渥美さんの死に接して、小泉さんは〈車寅次郎という架空の人物は…深い哀しみをたたえつつ、私たちを笑わせ、泣かせた不世出の名優〉と書く。
その寅さんの姿は、いまペンを置いて去って行く小泉さんと重なって見えるのだ。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年10月14日(月)掲載/次回は10月28日(月)掲載です)
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