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2024年10月

2024年10月30日 (水)

「なりふり構わぬ捏造」どれだけあるんだ

-「福井女子中学生殺害事件」-

 袴田事件では物的証拠を捏造し、福井の事件では証言を捏造する。検察、警察の許し難い不正が、また暴き出された。38年前、1986年に起きた「福井女子中学生殺害事件」で殺人罪に問われ、7年間服役した前川彰司さん(59)の再審請求に対して、名古屋高裁金沢支部は先週、再審を決定。きのう28日開始が確定した。

 私は20年前、出所直後に入院した前川さんに代わって、ひとり冤罪を訴え続けるお父さんや現地を取材。決定当日は福井テレビにリモート出演させていただいた。

 それにしても、この金沢支部の決定は検察の証拠捏造を弾劾した袴田さん無罪判決以上に、これでもか、とばかりに警察、検察を断罪、糾弾。たたきのめしている。

 突然、前川さんを名指して「犯人だ」と言い出した拘留中の暴力団員と、女子中学生事件の捜査員は再々接触。暴力団員の留置場での処遇や取り調べ中の覚醒剤事件で刑を軽くできないか、何度も話し合っていた。

 さらに1審福井地裁の前川さん無罪判決にあわてた検察は、2審の公判に「犯行当日、シャツにまっ赤な血をつけた前川さんを見た」とする男を証人に立てた。だが、この男は今回の再審審理で「出廷を条件にあの時、顔見知りの警官から結婚祝いの名目で金をもらった」と証言。検察に対して、その時の祝い袋まで出してきた。

 こうした検察、警察について、決定書で裁判長は「なりふり構わぬ捏造」としたうえで「(前川さんだけでなく)国民に対する裏切り」とまで激しく指弾している。

 福井事件、袴田事件という重大な殺人事件でさえ、なりふり構わぬ捏造を繰り返す警察、検察。ならば万引、痴漢、少年犯罪…。一体、この国で何万、いや何十万の人々が、でっち上げられた証拠、証言によって生涯、「犯罪者」の汚名をかぶせられていることか。

 近々晴れて無罪が確定する前川さんは、それでもなお、「まだ戦いは続く」と言う。戦うのは、決して前川さんだけではないはずだ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年10月29日(火)掲載/次回は11月12日(火)掲載です)

 

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2024年10月16日 (水)

追い続けた寅さんに重なって見える

-朝日新聞記者の小泉信一さん悼む-

 朝日新聞記者の小泉信一さんが亡くなられた。末期がんで余命宣告を受けていたことは知っていたが、折にふれて私の事務所のスタッフに闘病生活を知らせてくれていたし、5日の夕刊に連載「昭和怪事件」が掲載されていたので、まったく予期せぬ訃報。残念で、悔しくてならない。

 朝日新聞でただ1人の「大衆文化・芸能担当」編集委員。前橋、根室、稚内、横浜、多くの新聞記者がそうであるように、赴任地をいつまでも大切にされていた。

 記者生活の神髄は、大衆演劇に居酒屋、昭和歌謡、銭湯…いつも町場の人々の息づかいのなかにいた。

 とりわけ山田洋次監督、渥美清さん演じる「フーテンの寅さん」は、小泉さんが追い続けた大衆芸能の主役だった。

 長いマフラーに、よれよれのジーンズ、どた靴姿は小泉流車寅次郎だったのかもしれない。

 小泉さんはまた、まれに見る聞き上手な記者だった。2019年、朝日新聞の文化面、「語る-人生の贈りもの-」が15回にわたって私のジャーナリスト生活を取り上げてくれたときの聞き手が小泉さんだった。

 社会部記者だった私の担当地域で労働者の町、「釜ケ崎」(あいりん地区)。〈小さな一杯飲み屋。コトコト煮込んだスジ肉。ふるさとを捨て、家族を捨てて流れてきた人たち。「泣きたくなるほど切ない街。泣きたくなるほど好きな街」〉 

 気がつくと、あの日、あのころの釜ヶ崎の情景とともに、私の胸の底に沈んでいた思いが、ものの見事に引っ張り出されていたのだった。

 63歳。あまりに早い死。いただいた「わたしの寅さん」の本の中にあった渥美さんの遺言と同じように家族だけに見送られたという小泉さん。渥美さんの死に接して、小泉さんは〈車寅次郎という架空の人物は…深い哀しみをたたえつつ、私たちを笑わせ、泣かせた不世出の名優〉と書く。

 その寅さんの姿は、いまペンを置いて去って行く小泉さんと重なって見えるのだ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年10月14日(月)掲載/次回は10月28日(月)掲載です)

 

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2024年10月 2日 (水)

どうか現実の世界に戻ってほしい

-袴田巌さん再審無罪~保釈決めた村山さん-

 この朝、自宅を出た袴田秀子さん(91)の背中はいつになくこわばっていた。だが、数時間後の記者会見で「(弟は)無罪という判決が神々しく聞こえ、あとは涙がとまりませんでした」と笑顔をはじけさせた。

 58年前、1966年に起きた袴田事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審公判で、静岡地裁は先週、「無罪」を言い渡した。当日、私は静岡朝日テレビの4時間特番に出演。そのなかで、10年前、「このままの状態に置くことは、耐え難いほど正義に反する」として袴田さんの釈放を決めた当時の静岡地裁裁判長で、弁護士の村山浩昭さんも取材した。

 この日の再審判決で國井恒志裁判長は検察側証拠の5点の衣類を捏造と断定。さらに1通の調書も「非人道的調べによる」として証拠から排除するなど、証拠のすべてを「違法」として完膚なきまでにたたきつぶした。

 それにしても警察、検察が証拠をでっち上げ、裁判所もそれを見抜けないまま、これまでどれほどの無辜の人々が死刑になったのかと思うと背筋が凍りつく。

 過去に例のない死刑囚の釈放を決めた村山さんは当時を振り返って、当然のことながら死刑囚を釈放するに当たっての法的根拠などあるはずがない。

 「悩みに悩んだ」末に、これは法律の問題ではない。人権上、人道上のことだと思うに至った。それが「(袴田さんを)このままの状態に置くことは耐え難いほど正義に反する」という決定文につながったという。

 そこまで言って村山さんはしばらく沈黙。いまは拘禁症状のため別の世界をさまよう袴田さんに、「無罪判決をきっかけに、どうか現実の世界に戻ってほしい。いまはただただ、それを願っています」。そう言った村山さんの目に、うっすらと涙が浮かんでいた。

 言うまでもないが、人権とは人の権利。そして人道は人の道。だが、これ以上裁判を長引かせない検察の「控訴断念」の決断は、いまもなされていない。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年9月30日(月)掲載/次回は10月14日(月)掲載です)

 

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