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2024年4月

2024年4月29日 (月)

大阪読売の記事捏造 下地は3年前に

-幹部を一から教育し直しては-

 前回16日のこのコラムに「牛の世話をしている人とかと違って(県職員となった)みなさんは頭脳、知性が高い」と言い放った川勝平太静岡県知事を、読売新聞静岡支局の一記者の記事が辞職に追いやったと書いた。

 だがこのスクープの翌17日、私が記者の第1歩を踏み出し、20年近く勤めた大阪読売の紙面に頭を抱えたくなるおわび記事が載った。

 メディアのタブーの中でも最も悪質な捏造。小林製薬の紅麹事件をめぐって、取材した同社の取引先の社長が「突然、『危険性がある』と言われて驚いた」「補償について明確な連絡はなく、早く説明してほしい」と、あたかも実際にコメントしたように社会部主任がでっち上げたという。会社の聞き取りに主任は「岡山支局から届いた原稿のトーンが、自分がイメージしたものと違っていた」としている。

 先に親会社の下請け、取引先イジメというストーリーを作っておいて、「ええい、取引先に成り代わって記者が親会社を成敗してくれる!」という権力者然とした振る舞い。なにが、この記者をこれほどまでに思い上がらせたのか。じつは下地は3年前からできていた。

 読売新聞大阪本社は2021年末、大阪府と包括連携協定を結んだ。教育、情報発信、災害対策、地域活性化など8項目。ほぼ地域行政全般について手を結び合い、現在、日本維新の会共同代表でもある吉村洋文大阪府知事と大阪読売トップが協定書を取り交わした。

 大阪府といえば、地域における最高権力機関。そことの協定に組み入れられて、記者も権力の一翼と思い上がってしまうのも、むべなるかなではないのか。

 あり得ないことだが、朝日新聞が小池東京都政と連携協定を結んだら、都民どころか全国民が腰を抜かす。

 捏造事件を機に大阪読売は記者教育を徹底するとしているが、これまた大きな勘違いだ。いまなすべきことは心ある記者が集って、社の幹部を一から教育し直すことではないのか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年4月29日掲載/次回は5月14日(火)掲載です)

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2024年4月16日 (火)

記者たちは「一発退場」と思わなかったのか

-川勝さんには言われたくないが-

 第一報は読売新聞静岡版の囲み記事。強く批判するわけでもなく「再び議論を醸しそうだ」としていた。

 静岡県の新職員入庁式。「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、基本的にみなさま方は頭脳、知性の高い方たち」。失言ではすまされない差別感にあふれた暴言。発言した川勝平太知事は先週10日、辞職した。

 報道の翌日、「辞任表明は読売のせい。発言の一部を切り取られた」と憤る知事と「切り取りも中略もしていない」と反論する読売の女性記者との緊迫したやりとりが記録されている。

 そのなかで知事は「メディアの質の低下も感じるようになって誠に残念」と語っている。この人には言われたくないと思いつつ、知事の発言を「切り取る」形にはなるが、私は今回の件では知事とは別の視点でメディアを残念に思っている。

 県職員の入庁式という大事な取材現場。私が夕方のニュース番組に出演している静岡朝日テレビをはじめ、県政記者クラブ加盟のほぼ全社が知事のあいさつを取材していたという。

 そのなかで飛び出した発言。これは一発退場と思わなかったのか。日々こうした仕事をしている人はもちろん、子どもや家族が「頭脳が、知性が」と言われて、どんな気持ちになるか。結果、2800件も抗議が来た発言に、記者は心がざわつくことはなかったのか。

 振り返れば、政界の長老と言われる人たちが女性や他民族、他国の人々をさげすんだ発言をしても、追及するどころか、「○○節」「○○語録」と揶揄してすませてきた中央メディアのこんな姿が、一線の記者の心まで干からびさせてしまったのか。

 春4月、はるか昔の新聞社の入社式。当時の編集局長の式辞が浮かぶ。

 「家族を愛し、近隣を大切にし、日々、額に汗して懸命に働いている人たちが、首を長くして待っていてくれる新聞を作りなさい」

 いまも、すべての記者に届けたい言葉だ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年4月16日掲載/次回は4月29日(月)掲載です)

 

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2024年4月 8日 (月)

「フラッシュアップ」の掲載日について

いつも日刊スポーツ「フラッシュアップ」をご愛読いただき有難うございます。

4月から掲載が隔週月曜日となりましたが、新聞休刊日が月曜日の場合は火曜日掲載となります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

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2024年4月 1日 (月)

中村医師信条と「武器輸出国」日本

-新年度に思う-

 4月、このコラムは少しボリュームアップする一方、紙面の都合で今後は隔週掲載に。引き続きどうぞよろしく、と言いつつ、さてこの季節、希望に燃えて社会に新たな1歩を踏み出した方も多いことだろう。

 そんなとき、通信社の依頼で朝日新聞乗京真知記者の著書、「中村哲さん殺害事件 実行犯の『遺書』」の書評を書かせていただいた。

 中村さんは医師としてアフガニスタンで活動するとともに、1600本の井戸を掘って緑をよみがえらせ、65万人の生活を支えた。球技場や通りには「ナカムラ」の名がついたものも多く、現地で知らない人はいない。 20年近く前に1度、中村さんの講演を聞いたが、「3度の食事がとれて家族そろってひとつ屋根の下で暮らせたら、だれもテロリストなんかになりません」という言葉がいまも耳に残っている。

 だが中村さんは2019年12月、現地で数人組に銃撃され、護衛の4人とともに帰らぬ人となった。乗京記者ら取材班は実行犯の男を突き止めたが、直前に殺害されていた。治安が回復しないまま米軍が撤退した現地で、背景を探るのは極めて困難という。

 当時、中村さんの悲報は瞬く間に世界を駆けめぐり、イギリスのBBC電子版は中村さんの信条だった「治安の落ち着かない地域で身を守る最善の方法は、銃を持ち歩くのではなく、だれとでも仲良くなることです」という言葉とともに、その死を悼んだ。

 中村さんの訃報から4年余り。先日、日本政府は、かつて安倍政権が「武器輸出三原則」の武器を「防衛装備品」に、輸出を「移転」と言い換えて骨抜きにした「防衛装備品移転三原則」をさらに改変。日、英、伊3カ国で共同開発する次期戦闘機、つまり武器を、条件つきとはいえ初めて第三国に輸出できるとした。

 果たして私たちの国は国際社会に、どんな歩みを進めていこうとしているのか。おぼろげに不安が募る、春4月である。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年4月1日掲載
次回は4月16日です)

 

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