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2024年1月

2024年1月29日 (月)

裏金問題で政治家につける薬なし

-自民党の派閥とカネ-

 読んでいてうなずくことが少ない産経新聞だけど(失礼)、大阪では東京ではなくなった夕刊も健在。中でも1面のコラム「湊町365」は、なかなか楽しい。たとえば1月某日は―

 〈中田カウス・ボタンの漫才。風邪をひいたから薬を飲もうとしたけど、風邪薬が風邪をひいていた(古くてだめになっていた)というボタンさんに、カウスさんがアドバイスする。風邪をひいた風邪薬に風邪をひいていない風邪薬を飲ませて風邪の治った風邪薬を飲めばいい―アホらしくもテンポのいい掛け合いに観客は爆笑…〉

 もちろんこの日のテーマは自民党の派閥裏金問題。カネまみれの議員も顔を並べた〝刷新本部〟をやゆしてのこと。案の定、この数日後に出た刷新案は派閥の解消もなければ、不透明な政策活動費の廃止もなし。

 派閥とカネの問題は、公選法にある議員本人の責任を問う連座制を政治資金規正法にも盛り込むほかないはずなのに、そこにはまったくふれていない。議員が国会で成立させた公選法の連座規定を政治資金規正法ではなぜできないのか。刷新本部の風邪薬は、みんな風邪をひいていたということか。

 それにしてもカウス・ボタンさんに限らず、浪速のお笑いのなんと小気味よく痛快なことか。それにくらべて昨今のお笑い芸人の話題ときたら…古くてだめになった風邪薬どころではない。いやいやこんなことを書いていたら、こちらのコラムは「湊町」と違って、ぼやき漫才になってしまう。

 話を派閥とカネに戻して、何にも刷新できなかった刷新本部。凡庸なオチにはしたくないけど「××につける薬はない」ということか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年1月29日掲載)

 

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2024年1月22日 (月)

指定避難所B&T 国費で全額まかなったらどうだ

-阪神・淡路大震災から29年-  

先週17日午前5時46分、私は神戸・東遊園地からのテレビ中継に合わせて阪神間と、そしてもう1カ所、能登に向けて黙とうをささげた。阪神・淡路大震災は発生から29年を迎えた。追悼のつどいの竹灯籠の文字は、今年は「寄り添うよ」の思いを込めた〝ともに〟だった。

 黙とうの前、テレビに流れた当時の映像と、その時点で1万5000人の人々が避難所生活を送る能登の姿をダブらせながら、私の胸にあの時のひとつの光景が浮かんだ。

 発生から10日余り。早朝、神戸の中学校の避難所を訪ねると、世話役の方が「きょうだけは取材を遠慮して」と言う。先ほど高齢の男性が息をしていないことがわかった。持病があった上に極寒の日々、疲労も重なったらしい。敷き詰められた雑魚寝の布団の向こうに家族らしい人の姿があった。

 そして同じ季節の能登。震災関連死が日々増える中、体育館の床に敷き詰められた布団のテレビ映像を何度見たことか。避難所に欠かせないのはB&T、ベッドとトイレと気づかせられ、この間に吹雪が舞っていたあの東日本大震災も経験しておきながら、一体、私たちは何をしてきたのか。

 段ボールベッドや簡易テントは寒さ対策になるし、プライバシーも守られる。何より軽量で備蓄しやすい。そして避難所に井戸を掘れば、生活用水とトイレの問題が解決することは原発被害の福島で明らかになった。

 いますぐこの2点を指定避難所に義務づけ、国費で全額まかなったらどうだ。

 能登はやさしや、土までも―。そんな能登の人々や土地柄、そして東北の人々の辛抱強さにすがっていてはいけない。阪神・淡路大震災29年は、そのことを突きつけている。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年1月22日掲載)

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2024年1月15日 (月)

懸命の叫び声と責任逃れの声と…

-震災と羽田の事故から-

 今も厳しい状況が続く能登半島地震と、翌日の日航機と海保機の事故から半月。私の胸にはいまだに女性たちの声や姿が焼きついている。 震災発生の日、NHKテレビから津波警報が出た現地の映像とともに、山内泉アナの叫び声が響いた。「逃げて。今すぐ避難して」「大切な人が心配でも、まずは自分の命を」…。

 結果、局地的には5㍍の津波。海辺ではない地域でも、どれほど多くの人が危険な家屋から避難したことか。朝日新聞の「声」欄にも「『逃げて』力強いテレビの連呼」の投稿があった。

 聞けば山内アナの初任地は金沢放送局。見知らぬ土地で出会ったあの顔、この顔を思い浮かべていたのだろうか。

 翌2日の日航機炎上事故。乗客が撮った映像には煙が立ち込めるなか、怖がる子どもに目配りしながら「鼻と口をふさいで姿勢を低くして」「荷物は持たないで」と必死に叫ぶCAの女性の姿があった。わずか18分で乗客367人全員の脱出。海保機の不幸もあって称賛の声は上げづらくても、どれほどの国民が「ありがとう」とつぶやいたことだろうか。

 その一方で、がっかりすることにも出合った。5日夜、新幹線を新大阪駅で降りようとすると、座席にスマホの忘れ物。折よくデッキにいた警備員に伝えると、ここまでの乗務だったのか、嫌そうな顔をして「車掌が気がつくでしょう」と言って降りて行ってしまった。

 忘れ物は業務外かも知れないが、こんな姿勢で1323席の乗客の安全を守れるのか。常々思っているのだが、「運転士、車掌は○○」という車内放送に警備員の名も入れたらどうか。それだけでも気の持ちようが変わってくると思うのだ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年1月15日掲載)

 

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2024年1月 9日 (火)

こころの置き場所を考える1年に

-成人式の苦い思い出-

 能登半島地震に日航機と海保機の事故。悲惨な年明けだったが、きょうは成人の日。20歳を迎えられたみなさんを祝いつつ、実は成人式には苦い思い出がある。

 20年近く前、朝のテレビ番組で式典妨害に路上飲み、荒れる成人式を厳しく批判。「記念講演の依頼は、お断りすることにしている」とコメントしたところ、新成人の女性から「悲しい気持ちです」と便りが届いた。

 〈私のまわりの多くの若者は、進路に迷い、恋に悩み、蹴つまずいて、転んで…それでも必死に前を向いて歩こうとしています〉
 最後に「そんな若者のことも忘れないで」とあった。

 そういえば、昨年亡くなられた伊集院静さんは毎年、成人の日のサントリーの新聞広告に一文を寄せられ、自身のエッセーでも「行事の中で成人式が好きだ」と、こんなことを書かれている。

 小学校時代の楚々とした美しい女性の先生の言葉。「人には〝こころ〟というものがあります。そのこころが目の前にひろがるものを、美しいと感じたり、やさしくされた時に、人のぬくもりを思ったりします」。 それを振り返りつつ、自身の成人への思いをつづる。

 〈大人になるということは、この〝こころ〟の置き場所をきちんとすることではないかと思う。こころの置き方ひとつで、物事の見方、捉え方、処し方が変わってくるように思う。〝こころの置き方〟とは、その人の〝構え〟と言うか、覚悟である〉

 つらく悲しい幕開けとなってしまった新しい年だが、みなさんとともに、こころの置き場所、物事の見方、捉え方、処し方を考える1年にしたい。そんなことを思う2024年初春である。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年1月8日掲載)

 

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