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2022年9月

2022年9月26日 (月)

風化させないことがメディアの責務

-連合赤軍事件から50年-

 群馬の地元紙、上毛新聞から「連赤に問う」の本が贈られてきた。連赤とは連合赤軍。今年は彼らが引き起こしたあさま山荘事件や、群馬県の榛名山や妙義山から男女12人の遺体が見つかったリンチ殺人事件から50年。私も現地を取材して5月、このコラムに「組織はだれひとり幸せにできなかった」と書かせてもらった。

 その節目に地元、上毛新聞の記者が刑期を終えた赤軍のメンバーや学者を訪ねて改めて事件を掘り起こし、記事にしたものをこうして1冊の本にまとめた。

 だけど取材記者は40歳、39歳、33歳。事件を知るどころか生まれてもいなかった。だが、むしろ私はこうした記者のバトンリレーに意義を感じ、本書の巻末インタビューで「風化させないことこそがメディアの責務」と訴えさせてもらった。

 その取材記者のひとりは、本書のあとがきで「連合赤軍事件を肯定的に受け止めることは、未来永劫ない」としつつも時代背景に迫り、「戦後最高の経済状況を謳歌していた当時の日本社会は、その虚を突かれたと言えないか」と書く。

 それから50年。低賃金に物価高、極端な円安。戦後最悪の経済状況に虚な思いでいるところを、私たちの国は、いまさまざまな問題が露呈している宗教団体に突かれたと言えないか。

 理想を掲げて集った組織が、最後はその組織を存続させるがために粛清を繰り返し、自壊してしまった連合赤軍。事件が残したものは国という巨大な組織を含め、あらゆる組織が内に持つ危うさではなかったか。

 いま苦境にあえぐこの国家と深く関わったあの方の国葬は、怒声渦巻くなか、いよいよ明日執り行われる。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年9月26日掲載)

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2022年9月19日 (月)

ある空手家の願いとオリンピック

-組織委収賄事件に思う-

 東京五輪をめぐる汚職事件は出版大手の会長も贈賄で逮捕。収賄の組織委元理事ら、金と利権にむらがった連中の醜い姿が見えてきた。

 そんな時、事件発覚前に1年ぶりに帰国していた今野充昭さんから電話をもらったことを思い出した。空手を通じて日本とオランダの架け橋になっている今野さん。「次のパリは駄目だったけど、次の次、ロスでは復活の目が出てきたんですよ」と声がはずんでいた。

 東京五輪限定競技となっていた空手が2028年ロス五輪で、野球などとともにIOC追加9候補のひとつになったという。追加は多くて4競技。予断は許さないが、五輪で再び空手というのも夢ではなくなった。

 「それと、もっとうれしいことも」と今野さんの電話は続く。いまヨーロッパでは青少年の空手競技人口が柔道の2倍近くになっているという。もともと武道人気が高いところに妙な話、コロナ禍が追い風になった。

 互いが組みあい、寝技もある柔道に対して、相手にふれないノンコンタクトの伝統空手がある。それに空手には相手を想像しながら演技する単独競技「形」もある。

 「コロナがなくなって気がついたら、世界の国々で空手がサッカーや野球並みに子どもたちに親しまれる競技になっているという日も遠くない」と今野さんは意気込む。

 だが、その今野さんが日本を離れた直後に明るみに出た五輪汚職。日本で、オランダで、空手の素晴らしさを訴え続けて半世紀。今野さんの目にはスポーツを食い物にするこんな男たちの姿がどう映ったか。

 空手ダコの拳を「トリャー」の声とともにグイッと突き出す姿が目に浮かぶ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年9月19日掲載)

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2022年9月12日 (月)

“原発再稼働”どんな思いで聞いたか

-野菜の作付け行う山木屋地区-

 チルド便で届いた段ボール箱を開けると、青々とした夏野菜がどっさり。インゲン、ピーマン、ナスと並んでスティックフェンネルなど聞きなれない野菜を含めて全部で8種。3月、このコラムに書かせてもらった福島県川俣町の宮地勝志さん(63)からの贈り物だ。

 東日本大震災の後、愛知県日進市から川俣町に派遣され、原子力災害対策課長として避難指示地区となった山間地、山木屋地区の除染に取り組んだ日々。だが、それは地区の先達が寒冷地のやせた土地に土を入れ、やっと豊かな畑にしたその土をはぎ取る作業だった。

 3年前、役場を退職、町に骨をうずめると決めた宮地さんは、友人と農業法人を設立。標高550㍍の高地で季節の野菜やイタリア野菜作りに取り組んだ。

 送ってくださったのは、その初収穫分。さっそくフェンネルのセロリに似たほろ苦さを味わいながら電話を入れると、「インゲンはふぞろい。市場に出せるようなもんじゃないけんど、まんず味さ見てもらおうと」と明るい声が返ってきた。

 8年に及ぶ避難生活から戻って畑に新たな土を入れ、やっと迎えた収穫の日。山あいの地の人々の苦労は、いかばかりだっただろうか。

 だが岸田政権は、ここにきて原発再稼働に大きくかじを切り、あろうことか首都圏から120㌔、昨年、水戸地裁で「住民の安全性と程遠い」と差し止めが命じられた東海第2原発の再稼働に「国が前面に立つ」と言明した。この知らせを秋冬野菜の作付けに忙しい山木屋の人たちは、どんな思いで聞いたことだろうか。

 東日本大震災は、きのう9月11日、発生から11年6カ月を迎えた。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年9月12日掲載)

 

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2022年9月 5日 (月)

100歳過ぎても「現在進行形」

-カメラとペン亡き2人を思う-

 お会いしたのは1度だけなのに鮮やかな印象だったのだろう、小さな訃報記事に新聞をめくる手が止まった。

 〈笹本 恒子さん=(日本写真家協会名誉会員)15日死去、107歳。国内初の女性報道写真家として活躍。日独伊三国同盟の婦人祝賀会などを撮影した〉

 5年前、「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」の映画の公開に合わせて笹本さんをインタビューした。当時102歳。車いすからカメラを構え、新たな本も執筆中だった。映画を撮った河邑厚徳監督が2人を「しなやかな永遠の少年少女」という通り、笹本さんからは笑顔とともに「いくつになっても現在進行形」の言葉が返ってきた。

 むのさんは敗戦を機に朝日新聞を退社。ふるさと秋田県横手で週刊新聞「たいまつ」を発刊。反戦と平和を訴え続けられたが、映画公開の前年、101歳で亡くなられた。

 小柄な体で、戦後史に残る三井三池炭鉱ストや安保闘争にシャッターを押し続ける一方で、ひたむきに歩んでいく明治生まれの女性たちに目を向けた笹本さん。

 私たちの年代の記者にとっては座右の書ともいえる「詞集たいまつ」に〈人間に美しい生き方があるとしたら自分の立場をはっきりさせた生き方である〉〈たいまつは嵐が強ければ強いほど赤々と燃え上がる〉と書かれたむのさん。

 9月は、1日で108歳になられるはずだった笹本さんの生まれ月。その9月末には激しく国論が分断されるなか、安倍元首相の国葬が行われる。おふた方が健在なれば、果たしてどんな角度からカメラで、ペンで、この葬儀を切り取られたことであろうか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年9月5日掲載)

 

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