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2022年8月

2022年8月29日 (月)

病んだ日本社会 半数以上が親族殺人

-15歳少女の渋谷通り魔事件- 母と弟殺す予行演習

 状況や動機が明らかになるにつれ一層、戦慄を覚える。先週日曜夜、渋谷区の路上で母と娘が女子中学生に刃物で刺され、重傷を負った。

 この通り魔事件、15歳少女の中に私たち日本社会の犯罪状況が凝縮されているように思えてならない。

 少女は「誰でもよかった」「2人殺せば死刑になると思った」と供述しているという。昨年の小田急線、京王線車内の殺人未遂放火事件。「(被害女性が)勝ち組っぽかったから」。あるいは「平気で人を殺す米映画の主役にあこがれていた。自分も2人以上殺して死刑になりたかった」。こうした無差別殺人が10代の少女にまで乗り移っているのだ。

 また少女は「不登校になった自分より弟をかまっている母と弟を殺そうと思い、予行演習のためにやった」と供述。最終目的は親族殺人だったことがわかった。

 ここ数年、日本の殺人事件の発生件数は900件台で、他国から見たら驚異的な少なさだ。ところが、常にこのうちの半数以上を夫婦、親子、兄弟間などの親族殺人が占め、これも他国から驚異の目で見られている。そんな親族殺人願望が15歳少女の胸も覆っていたのだ。

 無差別殺人と親族殺人。この2つのまったく異質なもので病んでしまっている私たちの社会。それにしても事件の翌日、埼玉県戸田市教委が早々開いた記者会見、あれは一体何なんだ。

 「戸田市の中3女生徒という情報しかなく、詳細はお答えできません」。あきれた報道陣から「なんで会見を開いたんだ」と突っ込まれると「何か隠蔽していると思われたくないので」。

 こんな人たちこそが、この病んだ社会をより重篤にしているのではないのか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年8月29日掲載)

 

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2022年8月22日 (月)

女性議員「数は関係ない」その思い一層強く

-男女共同参画について-

 選挙の特別番組などで 「女性議員はどのくらいの数が望ましいか」とコメントを求められるのは、いわば定番。どの番組でも私は「数は関係ない」と答える。これもまた定番。いま、その思いを一層強くしている。

 女性活用、男女共同参画と言いながら、前内閣より1人減って女性閣僚は2人になった岸田改造内閣。そのひとり、高市早苗経済安保相は「首相に前任者の留任をお願いしたのに変更がなく、辛い気持ちで一杯」とツイート。翌日の大臣引き継ぎもすっ飛ばして記者会見で「いまもつらい気持ちはある」と、いつまでもグジグジウダウダ。聞いている方がうんざりしてくる。

 片やこちらは大臣ではないが、杉田水脈総務政務官。この方、「子どもを作らない同性愛者は生産性がない」と寄稿して、伝統ある月刊誌を廃刊に追い込んだことは周知の事実。さらに朝日新聞の「天声人語」も指摘していたが、じつはこの人、衆院本会議で男女共同参画社会基本法の廃止を求めて「男女平等は絶対実現しえない反道徳の妄想だ」と演説していた。

 この演説は2014年10月31日。このとき岸田さんはすでに安倍内閣の外相。この演説を聞いていなかったはずがない。そもそも、こういう女性を同じ政権内に据えて、小倉将信少子化対策兼男女共同参画社会特命相に一体、どんな仕事をしろというのか。

 女性の側から「男女平等は絶対実現しえない反道徳の妄想」というのなら、男性の側が男女平等社会を望むことなんて、ハナから絶対実現しえない妄想にすぎないということなのか。

 ―ああ、ややこしい。頭がこんがらがってきた。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年8月22日掲載)

 

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2022年8月15日 (月)

平和でなければ野球ができなくなる

-昭和21年 黒田脩さんの夏-

 NHKの高校野球中継が思わぬ〝再会〟を運んでくれた。試合と試合の間に流れる「白球の記憶」に黒田脩さんの姿があった。私の記者時代からの恩師、故・黒田清さんのお兄さんだ。

 その黒田脩さんは、夏の大会、といっても当時甲子園は米軍に接収され、西宮球場で終戦から丸1年後、1946年(昭21)8月15日に復活した戦後初の試合で、当時の京都二中の1番打者として1回表打席に立った。

 「白球の記憶」は白黒映像ながら、白いシャツに埋めつくされ、立ち見まで出た球場を映し出す。4年前、第100回大会を前に夏空を思わせる淡いブルーのネクタイ姿であの日を振り返った黒田さんは「とにかく観衆の多さにびっくりした」と話す。だれもがこの日を待ち焦がれていたのだ。

 その後の人生も学生野球の発展に尽くされた黒田さん。「何か起きたら、また野球ができなくなる。だから平和を守らなければ」と口癖のように言われていた。

 2020年、猛威をふるうコロナ禍で第102回大会の中止が決定。それを聞いて自身、野球ができなかった戦中を思い出して黒田さんは、「あの子ら悔しいやろなぁ」と言い残されて8月、91歳で旅立たれた。 だが一向に衰えを見せないコロナ禍。今大会では10人もの選手を入れ替えて試合に臨んだチームもあった。ウクライナに続いて暗雲漂う台湾海峡。市民の生き血を吸うような教団と一部政治家の醜悪な関係。私たちは平和のために、何かを起こさせないために、真剣に立ち向かっているだろうか。

 きょう8月15日終戦の日。正午にはサイレンの音とともに、甲子園でも黙とうがささげられる。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年8月15日掲載)

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2022年8月 8日 (月)

今だからこそ胸に迫る四日市判決

-公害を学ぶ「判決50年展」-

 今年は、連合赤軍あさま山荘事件や沖縄本土復帰から50年。さらに四日市公害訴訟判決からも50年。先日、小学生のための公害学習や「判決50年展」を取材した。

 巨大コンビナートの煙突から吐き出される有害物質。ぜんそくや肺疾患に苦しみ、企業にも行政にも裏切られ続けた人々が最後にすがった公害裁判。津地裁四日市支部が1972年7月に下した判決はいまも、いや、いまだからこそ一層胸に迫る。

 〈企業は経済性を度外視してでも世界最高の技術を動員して公害防止に努めるべきである〉

 企業が経済性を度外視したら、間違いなくつぶれる。だが裁判官は「公害を止められないなら、どうぞつぶれてください」と言い切ったのだ。

 数少なくなった語り部。当時9歳の娘をぜんそく発作で亡くした87歳の谷田輝子さんに、公害学習でいくつも質問をぶつける小学生。だが、いま私たちの社会はどうか。

 6月、最高裁は福島、前橋など4地裁で起こされた福島原発訴訟で、「津波の高さは想定外だった」と国の責任を認めない判決を確定させた。果たして原発は、国の立地条件や規制基準とかかわりなく建設されてきたとでも言うのか。

 一方、先月、東京地裁は原発事故で旧経営陣が会社に多大な損害を与えたとして訴えられた株主代表訴訟判決で元会長ら4人の責任を認め、総額13兆3000億円の支払いを命じた。国の防衛予算のじつに2倍。4人が全財産をなげうっても払えるはずがない、現実を度外視した判決。一般市民は、これで留飲を下げておけとでも言うのか。

 四日市判決から50年。私たちは歯車をどこに向けて回転させてきたのだろうか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年8月8日掲載)

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2022年8月 1日 (月)

鮮やかに甦る市民の救助活動

-秋葉原無差別殺傷で死刑執行-

 秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚(39)の刑が先週、執行された。これまで複数人の執行が通常だったが、この日は1人という異例の執行。毎日新聞によると、日曜白昼の歩行者天国で7人を殺害、10人に重軽傷を負わせた衝撃的な事件だけに、法務当局は執行のタイミングについて検討を重ね、この日単独執行に踏み切った模様だという。

 結果、テレビは昼ニュースから。新聞は当日夕刊と翌朝刊でトップ級の扱い。加藤死刑囚は居場所だったネットの掲示板に嫌がらせをされ、「帰る場所がなくなった。怒りをぶつけるために大勢を殺そうと思った」という身勝手な動機。

 さらには昨年、小田急線や京王線で起きた無差別殺人未遂放火事件。加藤死刑囚の執行をもって、こうした犯行に対して国が厳然たる態度を示したといえる。

 だが事件から14年。何度も現場に足を運んだ私にいま鮮やかによみがえるのは、商店街会長やカフェの女性から何度も聞いたあの日の市民の救助活動だ。

 たまたま楽器を買いに来ていた医師や、数日前に救命講習を受けていたという女性ばかりではない。近所のエステ店が「全部運んできた」というタオルで若い男女が服をまっ赤に染めながら必死でけが人の止血をしていた。

 事件後、警視庁万世橋署が感謝状を贈った人は実に69人に上った。もちろん私の取材経験で初めてだ。

 死刑執行で事件を終わらせてはいけない。心に傷を負った人。社会に居場所をなくした人。寂しさに耐えかねている人。そんな人たちがいつでも帰ってこられる場所を用意しておく。それがいま社会に求められていることではないだろうか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年8月1日掲載)

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