亡き宮崎学君は戦争を心底憎んだ
-「キツネ目の男」と呼ばれて-
新聞や雑誌に随分思い出を話したが、改めてこのコラムにも書いておきたい。
宮崎学君が亡くなった。76歳。京都・伏見のヤクザの家に生まれた彼は、学生運動が燃え盛る早稲田大学のキャンパスで共産党系組織の武闘派として暴れまくった。
社会に出て20年。彼はグリコ森永事件のキツネ目の男として浮上する。私は社会部の記者として犯人を追う立場。事件は未解決に終わったが、何度「人生、こんなめぐり合わせもあるんだ」と語り合ったことか。
そんな自身の半生をつづった「突破者」が大ヒットした後も、彼の軸足は常に不当に差別されている人、理不尽にしいたげられている人の側にあった。権力をかさに着てそういう人たちを踏みつける者に、ときには批判を覚悟でアウトローも巻き込んで、火の玉のような怒りをぶつけていった。
その宮崎君と私を半世紀以上も結び付けたのは、ともに終戦の年1945年生まれで、日本国憲法の下で教育を受け、戦争を心底憎むことにあったように思う。
彼が2003年から2年余り、東京新聞にコラムを連載していた時にイラク戦争が起き、自衛隊が海外派遣された。そのとき彼は「戦争とは精神と知性の全くの退廃だと考える」と戦争に突き進む人間に、その愚かさをぶつけている。
だが、その宮崎君の訃報が載った日の東京新聞は、ウクライナ侵攻から1カ月余り。ロシア兵の暴虐の記事で埋まり、〈公開処刑 略奪 暴行 遺体に地雷…〉の黒々とした見出しが並んでいた。
近しい人たちだけの火葬式。翌日のメディアによる報道。その2日間、東京は札幌よりも冷え込み、花散らしの雨が降り続けていた。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年4月11日掲載)
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