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2022年3月

2022年3月28日 (月)

山下彩花さんが命をかけて教えてくれたこと

-神戸児童連続殺傷事件から25年-

 ほほ笑みながらピースサイン。山下彩花さん(当時10)の写真になつかしさが込み上げてきた。1997年に起きた神戸児童連続殺傷事件で土師淳君(当時11)の事件の約2カ月前、少年Aに彩花さんが殺害されて3月23日で25年。父の賢治さんが報道関係に手記を公表した。

 賢治さんとお目にかかったことはないが、お母さんの京子さんとは何度もお会いした。自宅のリビングには運動会や遠足のスナップと並んで、その年の書き初め「生きる力」の元気な文字が張り出されていた。

 冬の夕暮れ。学校からの帰りが遅く心配していると、手袋の片方を拾って交番に届けてきたという。「落とした人も困ってるけど、あの手袋も早くもう片方に会いたいやろなと思って…」。

 京子さんは「彩花はそんな心根の子どもでした」と、問わず語りに話してくれた。

 事件から20年の手記に〈家族の絆もさらに強くなりました。それらは決してお金では買うことができない宝物であり、彩花が命をかけて教えてくれたことにほかなりません〉と書かれた京子さんは乳がんを患い、その年の6月、61歳で彩花さんのもとに旅立った。

 現在39歳。彩花さんから「生きる力」を奪い去った加害者は7年前、遺族の気持ちを踏みにじる本を出版。賢治さんらが謝罪の手紙を拒否して以降、音信をプッツリと絶って、いまもこの国のどこかで生きている。

 賢治さんは手記の最後を〈私なりの方法で、今後も「償いと謝罪」を求めていきたと思っております〉としつつ、〈被害者家族に対して償う気持ちがないのでしょうか〉と結んでいる。

 寒さが戻り、底冷えのする春である。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年3月28日掲載)

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2022年3月21日 (月)

裁判所の保身と無実の獄中20年

-警察と検察を訴え判決も-

 「一部勝訴」などと報じられているが、この裁判は控訴審で一からやり直すべきではないか。1995年、大阪市東住吉区で自宅に放火、保険金目当てに娘(当時11)を殺害したとして無期懲役が確定。2016年、再審無罪となった青木恵子さん(58)が警察(大阪府)と検察(国)を訴えた裁判で先週、大阪地裁は警察捜査の違法性を認める一方、検察への請求は棄却した。

 「勝つだけでなく、真っ白な判決を」と白い服で法廷に臨んだ青木さんは、検察の責任が問われなかったことに「負けたような気持ち」と怒りをあらわにしている。

 地裁判決は青木さんに娘の写真を突きつけ、長時間、「鬼親」などと耳元で怒鳴り続けた警察の取り調べを違法としたものの、検察の対応については和解勧告の際、「大いに疑問あり」としていたものを一転、「起訴に違法性はない」とした。

 まことにおかしな話ではないか。警察が無実の女性を心身ともにボロボロになるまで痛めつけた事件を、警察の捜査を指揮、助言する立場にある検察が起訴しても責任は問われないのだ。

 なぜそこまで検察の側に立つのか。そこには検察の味方というより、裁判所の保身が見え隠れしているように思えてならない。無実の人に無期懲役を言い渡し、20年間獄中に置いたのは、ほかならぬ裁判所ではないのか。検察の起訴を違法ではないとすることで、裁判所は自らに累が及ぶことを避けているとしか考えられない。

 先日、児童相談所ではなく母親のもとに置くと家裁が決定した男の子が、その母に殺害されてしまった事件といい、裁判所が市民の心からどんどん離れて行っていると思えてならない。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年3月21日掲載)

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2022年3月14日 (月)

「いつかこの土地を青々とした畑に」

-福島川俣町 元原子力災害対策課長が選んだ新たな道 宮地勝志さん-

 「全部で7000平米。ここに野菜の作付けさ、するつもりだぁ」。いまはまだ深い雪に埋もれている畑地を前に、福島県川俣町の原子力災害対策課長だった宮地勝志さん(62)の声が画面を通して響いてくる。

 東日本大震災は先週、発生から11年を迎えた。東海テレビの番組で、ずっと取材を続けている宮地さんをスタッフが訪ね、コロナ禍のため私はリモートでのインタビューとなった。 

 愛知県日進市から震災の翌年、川俣町役場に応援として派遣され、1252人に避難指示が出た山木屋地区の除染に追われる日々。そうした中で宮地さんは川俣町での永住を決意。3年前に役場を定年退職した。その宮地さんが選んだ新たな道は、まさに畑違いの野菜作り。仲間と営農法人を立ち上げ、主にイタリア野菜を栽培するという。チコリやリーキ、食べたことのない野菜の名が飛び出す。

 その決意の裏には山木屋は寒冷地だが、じつは父祖の汗がしみ込んだ豊穣な土壌があった。だが人が戻るための除染が豊かな土を根こそぎ剥ぎ取ってしまった。

 「いつかこの土地を青々とした畑に戻してみせる」。宮地さんの胸にはそれが本当の復興という思いがある。うれしいことに、山木屋にブドウの木を植え、いずれはワインを、という若者も現れた。ライ麦を栽培、パン作りを始めた女性もいる。

 放射線同様、目に見えないウイルスにさいなまれたこの2年。「来年はおいしい野菜を、ぜひ食べに」という宮地さんの声が響く。

 山の3月 雪が解けて どこかで芽の出る音がする―。遠く離れていても山木屋の景色が浮かんでくるような被災から11年の3・11だった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年3月14日掲載)

 

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2022年3月 7日 (月)

教え子の求めがある限り…教師の責任

-別れと出会いの春3月に-

 春3月は別れと出会いの季節。石川県穴水町の元小学校の校長先生、71歳の中前和人さんから、私たちの小学校時代の恩師、内藤美智子先生が94歳で亡くなられたという先日のコラムを読んでお手紙をいただいた。

 〈内藤先生の見事な生き方や教え子の姿に心打たれました。実は私にも忘れられない教え子たちがいます。

 私が6年生のクラスを担任した時、子どもたちは荒れていました。5年の時には担任が心労で退職したほどでした。そんな状態だったのですが、私と子どもたち、一緒に力を合わせ、なんとか克服したのです。

 それから35年、私の校長退職時、なんとその時の教え子が集まり、「最後の授業」をさせてくれたのです。以来10年、この教え子と毎年、同窓会が続きました〉

 お手紙には2011年の地元紙の記事が同封されていた。「47歳の教え子が臨む最後の授業 『新米担任』の退職ねぎらい 笑顔と涙でエール」の活字が躍る。

 だが、いま身辺に異変が。

 〈妻が7年前、肺がんの手術。続いて娘も同じ病を発症、余命宣告されたのです。校長、指導主事、養護施設園長と教師として自信を持っていた私も、さすがに落ち込み、同窓会も終わりにしようと思ったのです〉

 ―そんな時、あのコラムを読まれたのですね。

 〈私は教師として教え子に対する責任に思い至っていなかったのです。まだまだ教え子から悩み事の相談もあります。求めがある限り、同窓会にも参加しようと思い直したのです〉

 穴水町は能登半島のまん中の町。役場に聞くと、雪はすっかり解けたとか。どこかで春が…ふっとそんな気持ちになるお便りでした。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年3月7日掲載)

 

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