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2022年1月

2022年1月31日 (月)

新聞でテレビで報道のあり方問い続けた内田さん

-東海テレビ会長の死…残念-

 惜別の一輪の花を手向けることもままならないようだ。昨年12月20日、亡くなられ、先週末予定されていた内田優東海テレビ会長のおわかれ会が、コロナ禍のため延期になった。

 もう25年も前、中日新聞から東海テレビに転じてこられた内田さんが、やはり新聞からテレビに軸足を移した私に、最初に企画された報道番組「報道原人」のキャスターとして声をかけてくださった。以来、折に触れてグラスを合わせてきた。

 互いに事件記者出身ながら、内田さんは熱烈な野球愛、中日愛。スポーツ記者当時の試合評「球心」は、厳しいなかにも温かさにあふれていたと聞いた。

 その一方で戦争と平和には1本筋を通していた。中日の沖縄キャンプ。元県知事の大田昌秀さん(故人)の取材で「沖縄を米軍基地のベースからベースボールの沖縄へ」と意気投合されていた姿が目に浮かぶ。

 飲めば、話題は新聞を含めて報道のあり方、伝え方。そうした中で「ドキュメンタリーの東海テレビ」の名を揺るぎないものにしていった。「死刑弁護人」「ヤクザと憲法」、そしてテレビ局の負の部分もさらけ出して波紋を広げながらも、メディア評論家に「弱さを見せる強さ」とまで言わしめた「さよならテレビ」。

 内田さんは「何かあったら私に、と言っているだけですよ」と多くを語ることはなかったが、この人の存在なしに作品が表に出ることはなかったはずだ。

 これほどテレビを愛した新聞人はいない。これほど新聞を愛したテレビマンもいない。71歳。がんと懸命に闘っているなかでの突然の死。悔しくて、残念で…いまだあきらめがつかない。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年1月31日掲載)

 

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2022年1月24日 (月)

苦悩とくやしさ 先生の言葉

-東大前3人刺傷事件-

 もう15年以上も前のこと。私の事務所に声変わりもしていない中学1年生から講演依頼があった。スタッフが不審に思っていると、あとからフォローしてくれた先生が学園祭の企画から出演交渉まで、まずは生徒にまかせているという。

 聞けば愛知で有名な中高一貫の超進学校。学園祭は近隣の人も招いて楽しいものだったが、あとにも先にも〝中坊〟から講演に呼ばれたのは、この時だけだ。

 大学入学共通テストの初日、制服姿の男が地下鉄駅に放火。学校名や偏差値を叫びながら試験会場の東大前で受験生ら3人を刺した事件で、男が名古屋から来たと聞いて私に走った嫌な予感は当たってしまった。

 逮捕されたのは「東大医学部を目指していたけど成績が上がらず、人を刺して死のうと思った」というこの学園の高校2年生(17)だった。生徒を信頼し、教師がやさしく見守るあの校風はどこに行ったのか。事件後に出されたコメントに先生方の苦悩とくやしさがにじみ出ているようだった。

 〈本校は、もとより勉学が高校生活のすべてではないというメッセージを、さまざまな自主活動を通じて発信してきました。ところが昨今のコロナ禍の中、孤立感を深めている生徒が存在していたかもしれません。そのような生徒にどのように手を差し伸べていくかということが根本的な再発防止策と考えます〉(要旨)。

 事件にふれたの記事で読売の「編集手帳」が書いたアメリカ映画のせりふが心に残る。

 「人はなぜ落ちるのでしょう? より良い上がり方を学ぶためです」―

 そんな家庭教育、社会教育、何より学校教育はできないものかと、つくづく思う。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年1月24日掲載)

 

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2022年1月17日 (月)

生き方教えてくれた 94歳恩師を悼む

-コロナ禍で面会かなわぬまま-

 東京・原宿のお店に集まった私たち小学校の同級生4人。だが、お気に入りだったいつもの席には花束が置かれ、内藤美智子先生の姿はなかった。

 4年余り前のこのコラムに、目黒区立緑ケ丘小学校で4年間担任してくださった内藤先生のこと、そして90歳の先生と70歳を超えた教え子が日光の修学旅行以来の小旅行。富士の裾野に足を延ばした楽しい思い出を書かせていただいた。

 その内藤先生が昨年11月24日亡くなられた。94歳。肺炎が急に悪化。コロナ禍で面会もできないままの旅立ちだった。冷たい雨が降りそそいだお通夜。そしてあわただしい年末年始がすぎて、あらためて先生をしのばせてもらった。

 50人もの教え子の名字を見ただけで、60年近くたったいまも下の名前がスラスラと出てくる。そしてもうひとつ。軽くお化粧をして背筋をピンと伸ばし、いつ見てもすごくおしゃれ。「初対面で私の年を言い当てた人はまずいないの」。それが先生のご自慢だった。

 20年も前にご主人に先立たれ、1人娘も若くして亡くなって、先生は一人ぼっち。だけど寂しさを口にされたことはついぞない。「今度はいつ集まるの? 先生の年を考えて早めにしてよ」。そう言い残して、さっそうと引き揚げていく。先生はご自分がそうやって生きていくことで、私たちに生き方を教えてくれていたような気がする。

 60年を越えてなお、先生と呼ばせてもらう恩師にめぐまれたことを心底、幸せに思う。そして60年を越えてなお、先生と慕い続ける教え子がいる。教師という職業の気高さと、素晴らしさをあらためて思う。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年1月17日掲載)

 

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2022年1月12日 (水)

首相のモノ言う力に疑問

-米軍基地から染み出るコロナ-

 新しい年、多くの人が仕事始めとなった4日の読売新聞朝刊「編集手帳」は〈去年今年時は流れず積もりゆく〉の句を紹介。続けて「日常も、社会も、時計の針が進んでいるとは実感しがたいままコロナ禍の2度目の正月を迎えた」とあった。

 私の仕事始めは以前、辺野古の取材でお世話になった沖縄タイムスの阿部岳記者からの電話だった。内容は今後の仕事の日程調整だったが、話は当然、沖縄をはじめ、米軍基地から染み出たコロナの感染に向かう。

 「カメラを前に玉城知事があれほど怒りをぶつけたのは初めてではないか」という阿部記者の激しい憤りも受話器から伝わってくる。

 だが「アメリカの感染をそのまま日本に持ち込んだ」と言われる米軍は、日米地位協定を盾に日本国内の基地ごとの感染状況を一切出さない。それどころか、オミクロン株を判定するゲノム検査も拒否し続けている。

 なのに松野官房長官兼沖縄担当大臣は「沖縄県の米軍感染対策に国としても協力していく」と、まるで人ごと。テレビには連日、へべれけになった米兵がノーマスクで夜の街をうろつく姿が映し出されていた。

 岸田首相はなぜ、駐日米大使なり、米太平洋艦隊付司令官を呼びつけて米兵に基地からの外出禁止を命じろと要求できなかったのか。応じないなら基地周辺の飲食店に補償金を支払ったうえで、米兵立ち入り禁止の措置もとらせると言えないのか。

 この首相、聞く耳と、聞く力は持っていても、モノ言う口と、モノ言う力は持っていないということか。

 コロナ禍の下、日常も社会も進んだという実感はなく、重い荷を積んだまま、2022年の船出である。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年1月10日掲載)

 

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お知らせ

大谷昭宏「フラッシュアップ」(日刊スポーツ毎週月曜掲載)が日刊スポーツの公式サイトでもお読みいただけるようになりました。

これに伴い、弊社Webサイトへの掲載日を水曜から月曜夜に変更致します。

どちらも、今後ともよろしくお願い申し上げます。

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