18歳とはなんぞやと考える
-裁判員裁判の目的は?-
先週に続いて今回も裁判への疑問。市民が裁判に参加する裁判員の年齢が引き下げられ、再来年には18、19歳も対象になるという。裁判員裁判は故意に人を死に至らしめた事件について開かれるので、最高刑死刑もある殺人や強制性交殺人などの裁判に高校生が参加するケースも出てくる。
その理由として、裁判員は衆院選の選挙権を持つ人から選任されるが、公選法の改正で18歳以上が対象となった。また少年法も改正され、18、19歳でも一定の厳罰が科せられることになった―などが挙げられている。
だけど、これはあまりに短絡的ではないのか。あらためて18歳とはなんぞやと考える。たしかに公選法と並んで民法も改正され、18歳でもローンを組んだり、住宅の賃貸などさまざまな契約ができるようになった。
その一方でコロナ禍対策の10万円の給付は「18歳以下の子どものいる家庭」への子育て支援となっている。ここでは18歳は、あくまで子どもなのだ。
裁判員裁判に話を戻すと、残忍極まりない殺人。目を覆いたくなる強制性交殺人。それらの事件の証拠写真は成人の裁判員でも精神的負担が重すぎるとして最近はイラストにしているケースも少なくない。また取り調べの録画も映像だと裁判員が情緒的になる恐れがあるとして検察官に文字で読み上げさせる公判も出てきた。
こうした裁判に高校生が入っていく。そのことについてしっかり議論されたのか。最高裁は、7月、HPに掲載しているとしているが、こんな大きな問題にそれでいいのか。
裁判員裁判の目的は「広く国民の声を反映させること」にあったのではないのか。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年11月22日掲載)
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