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2021年6月

2021年6月30日 (水)

市民裁判員入れても「侵害」言えるか

-岡口判事の弾劾裁判所訴追-

 衆参両院議長、総理大臣、最高裁長官の三権の長をもってしても罷免できない人たちがいる。憲法でその身分を保障されている裁判官だ。ただ1つ、国会議員14人からなる弾劾裁判所が3分の2の賛成で罷免を決定した時のみ、その職を失う。

 国会の裁判官訴追委員会は16日、仙台高裁の岡口基一判事(55)を弾劾裁判所に、一般の刑事事件の起訴にあたる訴追することを決定した。さて、その訴追の理由、わかりやすくいうと起訴状の内容だ。

 岡口判事は2015年に東京・江戸川区で殺害された女子高生の命日にあわせて「首を絞められて苦しむ女性に性的興奮を覚える、そんな男に無惨に殺された」とSNS上に投稿。遺族が「死者を傷つけた」として訴追を申し立てていた。

 岡口判事は、それ以前にも白いブリーフ、裸の上半身を自ら縄で縛った写真をSNSに投稿。この件と女子高生の件で2回、最高裁から戒告処分を受けている。

 だが、判事や代理人は戒告や今回の訴追に強く反発。「裁判官の独立に対する脅威であり、国民の権利への侵害」と徹底抗戦の構えだ。

 さて―。女子高生を傷つけ、いかがわしい写真の判事を辞めさせたら、果たして自らの権利も侵害されたと思う国民はいるのか。

 そこで今回、私は提言しようと思う。国権の最高機関の、そのまた上ともいえる弾劾裁判に裁判員制度同様、一般市民の裁判員を入れるのだ。そこで罷免が決定しても岡口判事は「ブリーフ姿の私であろうと、辞めさせるのは国民の権利の侵害だ」と言い張れるのか。

 そんなしなやかで、したたかな発想が、民主主義には求められているように思うのだ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年6月28日掲載)

 

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2021年6月23日 (水)

記者をGPS監視は五輪組織委の傲慢だ

-コロナとオリンピック-

 傲慢としか言いようのない東京オリンピック組織委員会の姿勢にあきれ返る。橋本聖子会長は来日する報道関係者について、これまで認められていた友人宅などの宿泊を禁止してホテルなど150カ所に集約。GPSで一部行動を監視するとともに、14日間の待機期間中の外出、取材は滞在先に活動計画書を提出させることを明らかにした。

 新型コロナの予防はわかる。だけどそれがなぜ、記者の取材活動の提出なのか。嫌~なことを思い出した。

 1990年代初めの中国取材。訪問先、対象者、目的。すべて事前に公安処に届け出る。「不是、ブーシー(ノー)」。外国人立ち入り禁止の未解放地域であることなどを理由に大半が不許可。それでは仕事にならないので勝手に動いて翌日、同じ書類をまた出す。

 「あなたたち、ここと、ここは、きのう行ってきたね」。なんのことはない。24時間、尾行、盗聴、盗撮。行動監視されているのだ。

 1990年代半ばの北朝鮮。政府の案内係と称する労働党幹部がホテルを出てから戻るまでべったりとくっつく。これまた取材にならないので、早朝ホテルを抜け出してピョンヤンの町を走りまわって素知らぬ顔でホテルに戻っていると、労働党幹部はニッと笑って「朝のお散歩はどうでしたか」。市民の密告制度は徹底している。

 別の日、北朝鮮から東京のデスクに電話をしていたテレビ局員が「名物の冷麺は食べ飽きた。カレーが食いたい」とボヤくと、翌朝、食堂に入る前からカレーのにおいが漂っていたとか-。

 そこのけそこのけ五輪が通る。私たちが誇りをもってきた自由の国・日本まで、かなぐり捨ててしまうのか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年6月21日掲載)

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2021年6月16日 (水)

五輪って「楽しくて最高の場所」なのに

-上村愛子選手を思い出した-

 何がなんでも開催をゴリ押ししようとする東京オリンピック。一方で、記者会見を拒否して女子テニス全仏オープンを棄権した大坂なおみ選手。複雑な思いが交錯する中、ふと2014年、ソチ冬季五輪のとき、このコラムに書いた女子スキーモーグルの上村愛子選手のことを思い出した。

 このソチの1つ前、2010年バンクーバーに至るまでの上村選手の成績は、7位、6位、5位。「今度こそメダルを」と、満を持して臨んだこの大会。だが、午後7時半のスタート時点でバンクーバーは氷雨に霧に風。上村選手の黒いヘルメットは水滴で光っていた。

 そして結果は-4位。「なんで私、1段1段なんだろう」。だが、上村選手は、その言葉のあとにぬれねずみの姿でコメントを求めて長時間待っていた記者に目を向けると、「私がメダルを取っていたら、みなさんのご苦労も少しは報われたのに、本当にごめんなさい」。そう言って静かに会場をあとにした。

 さらに引退の思いをふっきって、5大会連続出場となった2014年ソチ。結果は、またしても4位だった。だが、少し時間をおいてゴーグルを外し、泣きまねをしてみせた、その目に涙はなかった。

 「そっか、私、また4位だったんだな」と言ったあと、取り囲む記者に「どんなきついことでも、どんどん聞いてください」。

 1998年、上村選手18歳。その長野からソチまで5大会連続のオリンピックへの思いを問われると、「楽しくて、最高の場所!」
 
 オリンピックに、そしてアスリートとメディアに、私たちが思い描く姿がここにあるように思うのだが。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年6月14日掲載)

 

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2021年6月 9日 (水)

失態隠そうとか 政治生命延ばそうとか…小ざかしさはない

-64年読売新聞1面から-

 抜粋になることをお許し願って一文を紹介したい。

 〈白い顔も、黒い顔も、黄色い顔も…若ものたちはしっかりスクラムを組んで一つになり、喜びのエールを観客とかわしながら〝エイ、エイ〟とばかり押し通った。いろとりどりの服装が照明の中でないまぜになって、東も西も、南も北も、ここにはない。

 平和ということばがあった。友情ということばがあった。でも、わたしたちは、それらをことばのうえでしか知らなかった。しかし、いま、目の前に、平和が、友情が、ことばとしてではなく、現実の姿としてある。

 「世界は一つ」と聞かされてきたわたしたち。そのことばはあまりにも美しい響きのゆえに、かえってそのウラに大きな虚偽を隠しているのではないか―としか受けとれなかった。しかし、いまわたしたちの前に、すばらしい光景が展開されている。肌で分ける壁もない。主義、思想の別もない。みんなが肩を組み、いちように笑い、同じく手を振り続けて…〉 

 これは亡き本田靖春さんが、若き読売新聞記者時代、1964年の東京オリンピック閉会式の模様を電話口で吹き込み、1面を飾った記事だ。

 その記事の最後は〈電光掲示板に「サヨナラ」の文字があった。この使いなれたことばが、この夜ほど効果的に人びとの心をつないだことは、かつてなかったように思う〉と締めくくられている。

 そこには、感染症で国民の命を危機にさらした失態を覆い隠そうという意図はない。先細る政治生命の延命を図る小ざかしさはない。

 1964年東京オリンピックが、永遠に最後の東京オリンピックであり続けることを、私は切に願っている。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年6月7日掲載)

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2021年6月 2日 (水)

真筆からも指紋採取で暗い影

-リコール署名偽造問題-

 このコラムでも再々、記者、とりわけ事件記者に欠かせない素養として、理不尽に被害者に襲いかかった犯罪に対する火の玉のような怒りがなくてはならないと書いた。だが、被害者の顔や名前が見えなくても心底怒りに燃える事件がある。

 「あいちトリエンナーレ」をめぐって大村秀章知事のリコールを求めた運動で、集めた署名の大半が偽造だったとして愛知県警は「100万人リコールの会」の事務局長や妻、次男らを逮捕した。リコールの会は河村たかし名古屋市長が呼びかけ、高須クリニックの高須克弥院長が代表となって発足したが、知事解職に必要な署名の半分、43万筆しか集まらなかったうえに、うち36万筆は署名も指印も偽造。正規の署名は7万余りだったというからひどい。

 リコールという民意の発露に対する冒涜というほかないのだが、私にはもうひとつ煮えたぎるような怒りがある。愛知県警は県選管や市民の告発を受けて関係先を捜索。すべての署名簿を押収した。捜査上、当然のことだが、すべての署名簿ということは、真筆の署名で指印を押して知事の解職を求めた人は、名前も指紋も警察が知るところとなってしまったのだ。

 もちろん警察は証拠の他への流用はないと説明するだろうが、果たして署名が安保法制や米軍基地、原発に反対といったものでもそう言い切れるのか。今回の事件は、そうした署名活動に限りなく暗い影を落とした。

 だからこそ県警は捜査を尽くして見逃すことのできない悪質な犯罪であったことを明らかにすべきなのだ。

 捜査は高須院長の女性秘書を連日、厳しく取り調べ、本丸を目指して、いまヤマ場を迎えている。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年5月31日掲載)

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