現場主義と危険性の線引き
-災害と報道-
西日本新聞(福岡)から、6月3日で発生から30年になる雲仙普賢岳火砕流惨事についてリモートで取材を受けた。噴火口近くにできたドームから超高熱の溶岩が時速100㌔以上の速さで襲ってくる火砕流。私も何度か現地に足を運んだが、今回〈災害と報道〉をテーマに取材を受けるまで、あれから30年ということは失念していた。
死者行方不明者43人。うち16人が取材基地にいた記者やカメラマン。その中には私が読売新聞記者時代、何度も一緒に仕事をした田井中次一カメラマン(当時53)の、最後まで胸の下にカメラを抱いた姿もあった。
気が重い取材だった。亡くなった方のうち消防団員12人と警察官2人は、避難勧告が出ても、なお取材を続ける報道陣の周辺を警戒していて犠牲になった。
惨事から30年。その間に阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震。昨年の人吉豪雨もあった。このたびの西日本新聞の取材もまた、心が重くなるものだった。
〈あの惨事が残した教訓は〉〈教訓は生かされているか〉〈行政側の規制と取材の兼ね合いは〉〈現場主義と危険性の線引きは〉…。
丁寧に答えながら私の中では、行き着くところはひとつという思いを深くする。それは「自分自身は決して災害の当事者にならない」ということに尽きる。犠牲になった記者、カメラマンを悼む一方で、命を落としたり、自らの救助を求めるようでは報道に関わる資格はない。そして現場主義と危険性の線引きは、会社でも行政でもない。自分自身が決めるしかないのだ。
6月3日午後4時8分。私はテレビの生番組出演中だが、心の中で静かに手を合わせようと思っている。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年5月17日掲載)
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