日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏
禍をはね返すスポーツの力を思う
-戦後初の甲子園1番打者の死-
黒田脩さんのことをいま1度書かせていただく。1946年(昭21)、西宮球場で復活した全国中等学校優勝野球大会、いまの夏の甲子園の戦後初の1番バッター。そして私の恩師、黒田清さんの実の兄。8月31日、91歳で亡くなられ、先週、大阪のリーガロイヤルホテルでお別れ会が開かれた。
穀物卸の事業に尽力される一方で学生野球の発展に力を注いだ生涯。新型コロナ禍の中、400人もの方が参列された。私は当日、テレビ出演と重なり、ビデオでお別れの言葉を届けたあと、献花に駆けつけた。
会は黙祷のあと各界の方が弔辞を読まれ、元阪神監督の吉田義男さん(87)は、日刊スポーツ編集委員の寺田博和さんによると、〈「野球が戦後復興期の苦難の時代から国民的スポーツになったのは、黒田さんのような情熱のある野球人が支えてきたからです」と語りかけた〉と本紙電子版に書かれていた。
ABCテレビの名アナウンサー伊藤史隆さんは「野球に対する熱気、若者を慈しんだ人生。思い出の写真コーナーで阪神・淡路大震災の痕跡が残る甲子園球場で語り合う脩さんと清さんのツーショットに、しばし動けませんでした」とメールをくださった。
戦争に、震災に、コロナ禍に、押しつぶされようとも、それをはね返すスポーツと、スポーツを愛する人々の力をあらためて思う。
ご家族から「お墓に刻む一文を」とお願いされて、僣越極まりないと承知のうえで、こんなことを書かせていただいた。
球児の夏 戦後初の1番バッターは 平和を尊び 野球を愛し いまここに 静かにバットを置く
(2020年10月6日掲載)
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