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2020年9月

2020年9月24日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

「大学の保身」に声あげるのは君だ
-コロナ禍の学生諸君を思う-

 〈繋がらぬ ネット回線 人づきあい〉〈帰省して いない下宿に 金払う〉

 4連休もきょうが最後。「Go Toトラベル」にイベントの人数緩和。秋空の下で賑わいが戻る一方、この2句は関西大学がオンライン授業をテーマに募集した川柳で、学生が詠んだ作品。私もテレビやラジオで取り上げてきた。

 うん、そうだろうな、大変だよね、と同情しつつ、何かもの足りない。若者が怒りを忘れちゃだめだろうという気持ちが強いのだ。

 新型コロナで前期は入学式もなし。やっとオンラインで授業が始まったと思ったら、すぐに夏休み。では秋からの後期授業は、というと、文科省が国公私大1003校を調査したところ、驚くことに後期も8割の大学が対面とオンラインの併用と回答した。もっとびっくりするのは、併用というからには半々くらいかと思いきや、対面は2割弱で、あとはオンライン。前期とほとんど変わらないのだ。

 学生よりはるかに年下の小中学生でも教室で授業を受けているのに、なぜだ。番組で話をうかがった尾木直樹先生はズバリ、「大学の保身よ」と言い切る。いくつかの大学の運動部寮やゼミ旅行でクラスターが発生し、世間の批判を浴びた。大学関係者は、そのことばかりに目がいっているという。

 結果、どんなことになるか。立命館大の学生が在学生1414人にアンケートしたところ、10人が退学も考え、4人に1人が休学を考えたことがあるとしている。

 もちろんそれは授業のやり方だけの問題ではない。私の個人的な経験でも、大学はクラスやサークルで自由闊達に議論する時間を提供してくれると同時に、生涯の友とも出会わせてくれる。そういう場だと思う。そのいずれも得られないと感じたとき、退学、休学が浮かぶのはわからないではない。

 だけど学生諸君、それでいいのか。たとえキャンパスに入れなくてもSNSがあるではないか。まずは学内で、そして大学の壁を越えて手をつなぎ、大学に怒りの拳を突きつけたらどうだ。全共闘世代のたわ言ととってもらってもいい。

 〈学生も 学校行かなきゃ ニートかな〉

 そんなことを言っていてどうするんだ。将来、社会の不合理に、不条理に、怒りをぶつけていくのは君たちではないのか。

(2020年9月22日掲載)

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2020年9月17日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

水害対策でも命より経済優先なのか
-東海豪雨から20年…教訓生かせるか-

 9・11、先週の金曜日は、戦後最大の都市型災害といわれる名古屋の東海豪雨から20年。いつもの東海テレビのニュース番組で、あらためてこの災害を検証した。

 私も被災から数日後、決壊した新川の堤防などを取材した東海豪雨。接近した台風が秋雨前線を刺激して、総雨量は名古屋の年間降水量の3分の1、567㍉に達し、市の面積の38%が浸水して死者は10人となった。川の氾濫に加えて都市の排水能力が追いつかず、地上に水があふれ出す内水氾濫が大きな原因だった。

 では名古屋をはじめ東京、大阪といった大都市で、この教訓は生かされているのか。確かに東京も大阪も地下数十㍍に水をためる巨大な調整池を建設しているが、それでも東京で荒川が、大阪で淀川が氾濫した場合、それぞれ地下鉄の17、14路線が浸水するという。教訓を生かしたくても、ここ数年、激増する局地豪雨にインフラが追いつかないのだ。

 生かされた教訓もある。それまで新幹線について、JR東海は「ぎりぎりまで走らせ、運休はしない」が原則だった。だがこの東海豪雨では、東京~米原間で70本の列車がだんご状にストップ。5万人が車内に閉じ込められた。その中には阪神戦に向かう巨人軍の選手もいて、翌12日、甲子園球場は晴れているのに試合は中止という異例の事態となった。

 以来、JR各社は180度方針を転換、災害時は早めの「計画運休」を実施。職場や学校も早めの休業、休校が当然のようになった。

 生かされなかった教訓のなかに私が心配でならないものもある。大都会は活気があると同時に、人の入れ替わりが激しい。地方の町や村のように何百年前の地震の碑が立ち、何十年前の洪水でも「水がここまで来て」と語り継いでくれるお年寄りがいない。

 東海豪雨から20年。新川の堤防が決壊した西区上小田井地区にも、いまでは若い夫婦向けの建売り住宅がびっしりと並んでいる。マイクを向けた30代の女性は「(豪雨のことは)聞いていないですね。ええ? あの新川が氾濫したんですか」。

 行政がハザードマップを作って協力をお願いしても、地価の下落を恐れて及び腰の地元の人が多いともいう。新型コロナ禍のなか、またまた命より経済活動か。

 9・11の半年後、東日本大震災は発生10年を迎える。

(2020年9月15日掲載)

 

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2020年9月10日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

心にぽっかり穴 「戦後初」1番バッターの死
-黒田脩さん8月31日逝去-

 黒田脩さんが8月31日、亡くなった。91歳だった。1週間がたつが、心にぽっかり穴があいたままだ。私の新聞記者時代の恩師、黒田清さんの実の兄。新聞社を退社後、一緒に仕事をしていた清さんが20年前に69歳で亡くなり、呆然としていた私の背中を押し、励まし、支え続けてくれた。

 その黒田脩さんは朝日新聞の訃報記事が書くように〈「戦後初」の1番打者〉だった。終戦の翌年、1946年(昭21)に復活、米軍に接収されていた甲子園に代わって西宮球場で開かれた全国中等学校優勝野球大会、いまの夏の甲子園大会の開幕試合。黒田さんは京都二中の1番バッターで打席に立った。

 「1番はその日の朝、監督に言われてな。四球で塁に出たんやけど緊張してバットを振ったかどうかも、覚えてへんのや」。夏の大会100年、第100回。節目ごとに、もう何十回、いや何百回と聞かれたことを、きのうのことのように楽しく話してくれるのだった。

 真夏の太陽の下、白いシャツで埋まった満員のスタンド。それは野球ができる国、平和が訪れた日本の初打席だったかもしれない。

 黒田さんはその後、大阪食糧卸株式会社の社長として事業を発展させる一方で、生涯、高校大学野球を愛し、母校の同志社大学野球部OB会会長や関西六大学野球連盟(現・学生野球連盟)の理事長を務められた。

 3年前、秋風が頬にやさしい神宮球場で一緒に東京6大学戦を観戦する機会があった。関西学生と東京6大学、リーグは違ったが、連盟の理事やOBが次々に駆け寄ってこられ、その人脈の広さに驚かされた。

 長年、親交があった朝日新聞の安藤嘉浩編集委員は追悼記事で〈「何か起きれば、また高校野球ができなくなる。平和を守らんといけません」と願っていた〉と書き、コロナ禍で今年の夏の大会の中止が決まった5月、電話口で「寂しいね。野球ができることが夢だった私たちと同じ気持ちでしょう」と今の球児を気遣っていた、と書かれていた。
  
 西宮市のお寺で営まれた家族葬。私はこんなお悔やみの言葉を送らせもらった。

 ―戦後初の大会の1番バッターは、いま三塁ベースを蹴って、果敢にホームイン。両手を広げて待っていた清さんと、しっかり抱き合っていることでしょう―

(2020年9月8日掲載)

 

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2020年9月 3日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

考慮でも思慮でもない「賢慮」を求める
-安倍首相辞任後のこの国で…-

 その健康状態がコロナ禍下の政治に無用の混乱を招かぬよう賢慮を求めたい―。安倍首相が突然の辞任表明するその朝、毎日新聞のコラム「余録」はこう書いた。

 考慮でも思慮でもない、聞き慣れない「賢慮」という言葉に急いで辞書を引くと「賢明な考え」とあった。

 この日の東海テレビ「ニュースOne」は当然、特番体制。1時間を超える首相会見をつぶさに聞いて、やはり賢慮の結果という思いを深くした。

 同時に在任7年8カ月という日々をねぎらいつつ、だからと言って病魔による辞任にメディアが筆鋒を鈍らすことがあってはならないと強く思うのだ。

 はっきり言って安倍投手、連打を浴びてマウンド上でフラフラだった。民意を圧殺した安保法制に共謀罪。森友・加計問題に「桜を見る会」。いずれも間違いなくピッチャー交代の場面だったのだが、悲しいかな、このチームには「後ろ」がいない。だが、その後に襲ってきた新型コロナ。ウイルスという自然界の猛威に、うそやごまかし、それにごり押しや言い逃れは通るはずがない。

 その結果、感染者数は韓国、台湾、香港、タイ、ベトナムよりはるかに多く、10月には中国も超えるのでは、という東アジア最悪の感染国となってしまった。

 だが、深刻な事態はまだある。国民にこれほど、国政に対する不信感どころか嫌悪感まで抱かせてしまった政権はない。野党の追及に、唇をふるわせて必死に抗弁してきた官僚の虚偽答弁や文書改ざんがバレると、かばうどころか処分までして切って捨てる。

 そんな官僚と自らの正義の板挟みになって命を絶った役人のご家族を弔問した政権幹部は、首相はもちろん、いまだひとりもいない。

 こうした政界と官界の姿に、キャリア官僚を目指す学生はこの政権下、激減した。若者たちが、この国に夢をもつどころか、その行く末にさえ関心を持たなくなっているのだ。政権の罪深さはここにもある。

 ともあれ、マウンドを降りる投手のお尻をグラブでポンとたたいて試合再開。首相辞任から一夜明けて、朝日新聞の政治部長はこう書く。〈―誰が首相に就こうと、荒れた政治のグラウンドを、丁寧にならすことから始めないといけない〉
 
 そのグラウンドを縦横に、そして賢慮に走り回るのは、私たちでなければいけない。

(2020年9月1日掲載)

 

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