日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏
陛下のお言葉と安倍首相のあいさつ
―コロナ禍に触れた戦没者追悼式―
「皆が手を携え」
先週土曜日、8月15日は75回目の終戦の日だった。東京・武道館の全国戦没者追悼式の中継に合わせて私も黙とうさせていただいた。
ただ、この日は新型コロナの影響で異例ずくめの式典となった。列席した遺族、関係者は例年の1割以下の約540人。君が代は起立して歌うことはなく、演奏だけ。だれもが思いもしなかった75年目の夏となった。
これまでもこのコラムで書いてきたように、私はその終戦の年の生まれ。4分の3世紀、日本の戦後とともに歩んできた人生だ。
4分の1世紀、25年がたった1970年の日本は大阪万博に沸く一方で、よど号ハイジャック事件。そして三島由紀夫の自衛隊での割腹自殺。それからの繁栄の予兆と、不安が入り交じったような年だった。
そして半世紀、50年後の1995年。バブルの後遺症に苦しむ日本に、なお試練を与えるかのような阪神・淡路大震災の発生に、オウム真理教による地下鉄サリン事件。その一方でこの年、ウインドウズ95が発売された。暗い中に新しい時代の光も見えた年だった。
それから、さらに25年。だれもが想像だにしなかった追悼式となった75年目の夏。
天皇皇后両陛下も安倍首相もずっとマスク姿。ただ、全国民と国土のすべてに等しく降りかかったあの大戦以来の災禍、新型コロナに、陛下はおことばの中でいち早くふれられ、感染拡大により新たな苦難に直面しているとしたうえで「皆が手を共に携えて困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と述べられている。
一方、安倍首相はコロナ禍には式辞の「終わりに」の少し手前で、「現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え…この国の未来を切り開いて」と、通り一遍にふれただけ。そこに「新たな苦難」「皆が手を携え」と述べられた陛下と大きな違いを感じたのは私だけだろうか。
そのコロナ禍による苦難は、お盆の間も各地で感染者、重症者とも急増。アジアで最悪の感染者を出している中国と並ぶのは時間の問題という。だが政府は根拠となるデータも有識者の発言の議事録も出さないまま、「緊急事態ではない」。
75年目の夏が「あの時代」への折り返しでないことを祈るばかりである。
(2020年8月18日掲載)
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