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2020年8月

2020年8月27日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

コロナ対策…いいかげんにしろ!
-「あの時代」回帰は早そうだ-

 終戦の日について書いた先週のコラムでコロナ禍にふれ、政府は正確なデータも有識者の発言の記録も出さないまま、緊急事態宣言を出そうとはしない。〈75年目の夏が「あの時代」への折り返しでないことを祈るばかりだ〉と書いた。

 そのコロナウイルスの拡大について、日本感染症学会の舘田一博理事長は先週、学会で「(感染は)第2波のまっただ中にいる」と述べた。だがその翌日、政府の有識者会議は「再拡大は減少局面に入った」とした。

 もちろん学者によって見解が異なるケースは少なくない。だが政府は感染症学会が、6万人の感染者のうち4万人がここ2カ月の発症と指摘しても一貫して「第2波は来ていない」と主張。国会でこの点を追及されると、加藤厚労相は「必ずしも『波』の定義があるわけではない」とした。いいかげんにしろ!

 先週はもう一つ、大きな問題が起きた。大阪は、感染者数では東京の半分以下なのに重症患者数が東京の倍以上、72人を記録する日が出たのだ。これに対して吉村洋文大阪府知事は、国や自治体によって重症者の定義が違うとしたうえで「大阪は早めに人工呼吸器をつける積極的な対応をしているため重症扱いになっている」と主張。ところが間髪を入れず専門医が「大阪は搬送時に重症化している患者が多い」と知事の説明に猛反発。府民の怒りが爆発した。いいかげんにしろ!

 この件については私もここ数日、大阪の専門医や看護師さんの話をうかがう機会があった。大阪市内だと、症状があっても50回で保健所の電話がつながったら運のいい方。だが、ほとんどの対応は「少し様子を見ましょう」。発熱やせきがひどくなって、やっと2日ほどあとにPCR検査の手配。

 だがそこから検査機関が決まるのに早くて3、4日。陽性となって入院するまでさらに1、2日。高齢者が高熱のなか、こうして1週間も放置されたらどうなるか。入院時に人工呼吸器がいるのは当たり前ではないか。いいかげんにしろ! 

 この点について、医師は発症から入院までの日数を、各自治体に出させるのが先だという。それによってなぜ重症化するのかも見えてくるという。データも出さず、事実隠しと言い逃れ。この国の「あの時代」回帰は、ことのほか早そうだ。

(2020年8月25日掲載)

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2020年8月20日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

陛下のお言葉と安倍首相のあいさつ
―コロナ禍に触れた戦没者追悼式―
「皆が手を携え」

 先週土曜日、8月15日は75回目の終戦の日だった。東京・武道館の全国戦没者追悼式の中継に合わせて私も黙とうさせていただいた。

 ただ、この日は新型コロナの影響で異例ずくめの式典となった。列席した遺族、関係者は例年の1割以下の約540人。君が代は起立して歌うことはなく、演奏だけ。だれもが思いもしなかった75年目の夏となった。

 これまでもこのコラムで書いてきたように、私はその終戦の年の生まれ。4分の3世紀、日本の戦後とともに歩んできた人生だ。

  4分の1世紀、25年がたった1970年の日本は大阪万博に沸く一方で、よど号ハイジャック事件。そして三島由紀夫の自衛隊での割腹自殺。それからの繁栄の予兆と、不安が入り交じったような年だった。

 そして半世紀、50年後の1995年。バブルの後遺症に苦しむ日本に、なお試練を与えるかのような阪神・淡路大震災の発生に、オウム真理教による地下鉄サリン事件。その一方でこの年、ウインドウズ95が発売された。暗い中に新しい時代の光も見えた年だった。

 それから、さらに25年。だれもが想像だにしなかった追悼式となった75年目の夏。

 天皇皇后両陛下も安倍首相もずっとマスク姿。ただ、全国民と国土のすべてに等しく降りかかったあの大戦以来の災禍、新型コロナに、陛下はおことばの中でいち早くふれられ、感染拡大により新たな苦難に直面しているとしたうえで「皆が手を共に携えて困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と述べられている。

 一方、安倍首相はコロナ禍には式辞の「終わりに」の少し手前で、「現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え…この国の未来を切り開いて」と、通り一遍にふれただけ。そこに「新たな苦難」「皆が手を携え」と述べられた陛下と大きな違いを感じたのは私だけだろうか。

 そのコロナ禍による苦難は、お盆の間も各地で感染者、重症者とも急増。アジアで最悪の感染者を出している中国と並ぶのは時間の問題という。だが政府は根拠となるデータも有識者の発言の議事録も出さないまま、「緊急事態ではない」。

 75年目の夏が「あの時代」への折り返しでないことを祈るばかりである。

(2020年8月18日掲載)

 

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2020年8月13日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

「生き地獄から解放されて生き続ける」道を
-ALS女性嘱託殺人への思い-

 「この事件で安楽死の是非を問うのは、性急だと思います」―。先日、このコラムでも取り上げた医師2人による難病ALS女性に対する嘱託殺人。自身もALSと闘っているサッカーJ3岐阜(FC岐阜)の元社長、恩田聖敬さん(42)が東海テレビのニュース番組で思いを語ってくださった。

 恩田さんは企業の役員を経験されたあとFC岐阜の社長になって、ラモス瑠偉さんや川口能活さんを招き、ふるさと岐阜の県民に「子どものようにかわいがられるチーム」を目指したが、ALSを発症。4年前、志半ばで社長を退任した。

 ベッドで人工呼吸器をつけ、ヘルパーさんが掲げる文字盤の文字を表情で指定、文章にして記者の質問に根気よく丁寧に答えてくれる。

 ――逮捕された医師は難病の患者は生きている意味がないと言っていますが。

 「もし、自分自身や大切な人がそうなっても同じことが言えますか? ためらいなく殺せますか? と問いたいです。とはいえ私も健常者のままだったら、今回の件をこんなに重くとらえなかったかもしれません」

 ――亡くなられた女性には、どんな思いを

 「ALSとともに生きるのはたやすいことではない。それは当事者の私自身がよく理解しています。生き地獄から解放されたいという思いは心底わかります。ただ解放される手段が『死』しかなかったのか。命を保ちながら彼女の心のケアをする選択肢はなかったのか。無念でなりません」

 だが、ALSの患者は数年で呼吸機能を失い、人工呼吸器をつけて生き続けるか、拒絶して死を選ぶかを迫られる。日本では約7割の患者が死を選択しているのが現実だ。恩田さんは、自身のブログにこうも書く。

 「生き地獄を味わいながら生きるか。解放されるために死を選ぶか。私はそのどちらでもない、『生き地獄から解放されて生き続ける』を選びます。彼女のまわりに、ひとりでもこの『第3の選択肢』を本気で提案する人がいれば、結末は変わったかもしれません」

 もとより人の生き死を軽々に語ることはできない。ただ7割の人が死を選ぶ現実を少しでも変えることはできないか。ひとりでも多くの人が恩田さんのように生き地獄から解放されて生き続ける道を選べないか。投げかけられた命題は、重い。

(2020年8月11日掲載)

 

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2020年8月 6日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

75年前と同じ精神論とごまかし
-戦争と感染症-

 8月、「戦争に季節はないが、夏になると戦争を思い出す」と書いたのは、新聞記者時代のわが恩師、故・黒田清さんだ。

 もちろん終戦の年に生まれた私に戦争の記憶はない。ただ、あれから75年、新型コロナ禍で迎えた夏。戦争と感染症は違うが、どこか似ているように思えてならない。

 戦争の災禍はすべての国民、国土に降りかかった。そして新型コロナ禍もまた等しく全国民、全国土に降りかかっている。それはこの75年間で、私たちが初めて経験することではないか。さらにもう1点。この2つには、極めて似た部分があるように思えるのだ。

 コロナ禍は、ここにきて再拡大している。7月4日から21日後の7月25日に2万から3万人なった全国の感染者は、わずか10日余りで4万人になろうとしている。だが安倍政権は「専門家も爆発的感染ではないと見ており、緊急事態宣言発出の時期ではない」。

 その専門家の1人は「Go Toトラベル」について「政府に先延ばしを提言したが、受け入れられなかった」と明らかにしている。

 あの大戦時の大本営。戦況分析も前線からの情報も無視して、「撤退」を「転進」と言い換えて「ワガ軍の損害ハ軽微ナリ」。

 いまの状況は、まさに75年前そのままではないのか。ひとつのものに打ち勝とうとするとき、必要なのはデータだ。だが、自治体や市民がPCR検査の充実を訴えて半年。日本の100万人当たりのPCR検査数は世界215カ国・地域の中で、なんと159位。ウガンダのひとつ下だという。

 こんな感染症との闘いなのに、欧米諸国から日本のコロナ禍の死者がなぜ少ないのか、と問われた政権幹部は、「おたくの国と、うちでは国民の民度が違う」と言い放ったという。

 ちなみにコロナ禍による死者数は、日本は人口比でアジアの中でベトナム、香港、台湾、タイ、韓国、それに中国などよりはるかに多いのだ。

 科学的データもなしの精神論。そして言い換え、ごまかし。国民の生命財産の上に等しく災禍が降りかかる2020年夏。あさって8月6日は、大本営が「敵少数機により相当の被害」とだけ発表した人類初めての原子爆弾投下。あれから75年の「広島原爆の日」である。

(2020年8月4日掲載)

 

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