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2020年1月23日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

あの時の思いを語り継いでいく
-阪神・淡路大震災から25年-

 この冬一番の冷え込みという予報に反して、神戸は穏やかな朝を迎えていた。6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日、発生から25年となった。神戸市中央区、東遊園地の「1・17のつどい」で、5時46分の時報とともに、私も黙とうをささげてきた。

 胸に行き来するのは、この25年、取材でお世話になった方々の姿ばかりだった。

 当時6歳だった桜子ちゃんが亡くなった東灘区の加賀さんのお宅には年明けお邪魔した。元気だったら桜子ちゃんは今年31。お母さんの翠さんは「でも、ずっと6歳のままだったんです。それが、お友だちがお嫁さんになった、お母さんになったと聞いて一気に、そう、あの子も31なんだって」と、この25年を振り返る。

 あの朝、桜子ちゃんと一緒に寝ていた祖父の幸夫さんは「孫に恥ずかしい町づくりはできない」と、強引に道路建設を進める神戸市と時には涙をためてやり合った。

 震災15年を前にした2009年、久しぶりにお目にかかった直後の大みそか、75歳で旅立たれた。いま自宅前の女の子のお地蔵さんが静かな町を見つめている。

 六甲道の商店街の溝の上に小屋を建て、愛犬チビと一緒に3度も神戸の冬をすごした武田のおばあちゃんには、わが家の愛犬ともども15年間、必ず大みそかにお目にかかった。2011年東日本大震災の前日、病に倒れ、その夏89歳で亡くなられた。 震災でご主人を亡くし、小屋から仮設、そして復興住宅へ。でもめげることのない人生だった。

 1月16日夜、芦屋のマンションの本契約をした9時間後、マンションは傾き、壁が崩落した。「このガレキの山に30年間ローンを払い続けるの。私の人生って、まるで漫画でしょ」と、泣き笑いしていたピアノの教師の女性は、その後、出来たご縁に「これからはついえてしまうもの、壊れてしまうものではないものを大切に生きて行きます」と、新たな1歩を踏み出された。幸せになっているんだろうなぁ─。
 
 25年という歳月は、あくまでひとつの区切り。私たちの仕事は、嗚咽をこらえ、涙をぬぐって取材に応えてくださった方々のあの日、あの時の思いを語り継いでいくことに尽きるのではないか。

 今年、東遊園地の5000本の竹とうろうが描いた文字は「き・ざ・む」だった。

(2020年1月21日掲載)

 

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