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2020年1月

2020年1月30日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

パラ用具の試行錯誤どうなる?
-ナイキ厚底シューズ-

 テレビ番組のスタジオ。陸上競技の実業団の監督やスポーツライター、そんな方々の間で素人の私もトークに加わらせてもらいながら、抱いていた疑問がますますふくらんできた。

 ナイキの厚底シューズ、ヴェイパーフライについて国際陸上競技連盟(IAAF)が調査に乗り出し、結果によっては使用禁止など規制がかかるのではないか、と海外メディアが報じた。

 なにしろ、この厚底ナイキの威力たるやすごい。正月の箱根駅伝で優勝した青学大10人の選手全員がこの靴を履いて大会新記録。また区間記録も次々に更新された。今年の箱根は全出場選手210人中じつに84・3%、177人もの選手がこのナイキの厚底を履いていて、テレビに映る足元はピンクにピンク、またピンク。19日に広島で行われた男子駅伝もまたしかりだった。

 もちろん日本だけではない。昨年10月にウィーンで行われたマラソンでケニアの選手がこの靴で非公式ながら、ついに2時間切りのタイムを出し、女子もまた、やはりケニアの選手が16年ぶりに記録を塗り替えた。

 厚底の部分に反発力の強いカーボンプレートを仕込み、その感触は選手に「勝手に足が前に出る」「水上を走っている感覚」とまで言わせるほどなのだ。

 だがここにきて国際陸連から待ったがかかった。

 「選手は用具に関して公平で、かつ技術がスポーツと相いれないサポートを選手に提供してはならない」とする連盟規約に抵触するのではないかというのだ。

 さて、そこで私の疑問だ。この問題を知ったとき、真っ先に思い浮かべたのはかつて見たテレビドキュメンタリーだった。パラリンピックを目指す女性ランナーのために足にフィットし、より強く、より高く、バネのようにしなる義足を試行錯誤しながら作り出していく技工士。まさに二人三脚。そこに流れる信頼関係に胸を熱くした思い出がある。

 それにこうしたスポーツ用具の進化が一般社会を、より豊かなものにしたケースも多々あるのではないか。だけどそれもこれも連盟のいう「スポーツと相いれない技術のサポート」なのか。だったら、そもそもパラリンピックもパラスポーツも成り立たないのではないか。

 今回は、どなたかこんな私の疑問に答えてくれないかと思い、コラムに書いてみた。

(2020年1月28日掲載)

 

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2020年1月23日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

あの時の思いを語り継いでいく
-阪神・淡路大震災から25年-

 この冬一番の冷え込みという予報に反して、神戸は穏やかな朝を迎えていた。6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日、発生から25年となった。神戸市中央区、東遊園地の「1・17のつどい」で、5時46分の時報とともに、私も黙とうをささげてきた。

 胸に行き来するのは、この25年、取材でお世話になった方々の姿ばかりだった。

 当時6歳だった桜子ちゃんが亡くなった東灘区の加賀さんのお宅には年明けお邪魔した。元気だったら桜子ちゃんは今年31。お母さんの翠さんは「でも、ずっと6歳のままだったんです。それが、お友だちがお嫁さんになった、お母さんになったと聞いて一気に、そう、あの子も31なんだって」と、この25年を振り返る。

 あの朝、桜子ちゃんと一緒に寝ていた祖父の幸夫さんは「孫に恥ずかしい町づくりはできない」と、強引に道路建設を進める神戸市と時には涙をためてやり合った。

 震災15年を前にした2009年、久しぶりにお目にかかった直後の大みそか、75歳で旅立たれた。いま自宅前の女の子のお地蔵さんが静かな町を見つめている。

 六甲道の商店街の溝の上に小屋を建て、愛犬チビと一緒に3度も神戸の冬をすごした武田のおばあちゃんには、わが家の愛犬ともども15年間、必ず大みそかにお目にかかった。2011年東日本大震災の前日、病に倒れ、その夏89歳で亡くなられた。 震災でご主人を亡くし、小屋から仮設、そして復興住宅へ。でもめげることのない人生だった。

 1月16日夜、芦屋のマンションの本契約をした9時間後、マンションは傾き、壁が崩落した。「このガレキの山に30年間ローンを払い続けるの。私の人生って、まるで漫画でしょ」と、泣き笑いしていたピアノの教師の女性は、その後、出来たご縁に「これからはついえてしまうもの、壊れてしまうものではないものを大切に生きて行きます」と、新たな1歩を踏み出された。幸せになっているんだろうなぁ─。
 
 25年という歳月は、あくまでひとつの区切り。私たちの仕事は、嗚咽をこらえ、涙をぬぐって取材に応えてくださった方々のあの日、あの時の思いを語り継いでいくことに尽きるのではないか。

 今年、東遊園地の5000本の竹とうろうが描いた文字は「き・ざ・む」だった。

(2020年1月21日掲載)

 

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2020年1月16日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

「?」だらけ…お寒い日本政府の対応
-ゴーン被告〝逃亡〟2週間

 日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告の逃亡から2週間がたった。この間、私はテレビ、ラジオなどでさまざまコメントしてきたが、このコラムでも今回の件に対する私の思いをしっかり書いておきたい。

 ひと言で言うと、この国の政府は、これほどだらしない、いいかげんなものだったのかということに尽きる。とりわけ私たちのように国の安全と治安に関わりの深い仕事をしている者からすると、呆然とするばかりだ。

 逃亡が発覚したのが12月31日の大みそか。公的機関が手薄になる年末年始を狙ったことは明らかだ。とはいえ、これほどの重要人物を地検は極秘に警察に依頼するなどして行動確認をしていなかったのか。いささか畑が違うとはいえ、内閣情報調査室、国家安全保障局、警察庁は、長期間にわたって逃亡を画策、当日も国内を数百㌔移動していた被告の動きの片鱗さえつかんでいなかったのか。

 外務省はフランス、アメリカ、中東のメディアが伝えるまで全く逃亡を知らなかったのか。一報を入れてくれる友好国さえなかったのか。たとえそうだったとしても、犯罪者引き渡し条約のないレバノンだが、外交ルートで「厳重抗議する。即刻日本に送還せよ」と、なぜ伝えなかったのか。

 航空管制と空港の管理を管轄する国交省は、少なくとも2機のプライベートジェットが逃亡のため日本に入国、うち1機がトルコに出国したことをいつ確認できたのか。関西空港からだったことは米メディアが伝えるまで知らなかったのか。

 極め付きは最も関わりの深い法務省。そもそも検察庁は法務省の外郭組織だ。なのに、法務大臣が事件について正式にコメントしたのは出国してから1週間以上たった1月5日。その文言たるや「逃亡は正当化されるものではない」だって。

 なにより出入国管理は法務省の管轄。発覚と同時に逃亡経路を明らかにできないでどうするんだ。これでは「局」を「庁」に格上げしても、ザル入管と言われても仕方あるまい。

 そして最も情けないのは、こんなお役所なのに、その「行政の長たる」安倍首相は役所を一喝するどころか、今回の件について首相としてのコメントはいまだにない。これが暖冬とは予想ばかり、寒々とした2020オリンピックイヤーの日本の光景なのだ。

(2020年1月14日掲載)

 

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2020年1月 9日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

どうなの海外客への「おもてなし」
-五輪イヤー初春の京都で思う-

 お正月三が日はいつも通り、京都。ただ今年は、お世話になっている個人タクシーの運転手さんの浮かない顔から始まった。「このところさっぱりですわ。なにしろ外国のお客さんばっかり。来てくれはるのはうれしいんやけど」。

 特にひどかったのは、昨年の紅葉のシーズン。韓国人は激減したとはいえ、どこも欧米系や中国人であふれ返り、SNSにアップされた人気の寺院や名所の中には、お坊さんがストップウオッチ片手にスマホでの撮影を秒単位で時間制限するところまで現れた。

 こうした外国からのお客さんは、まずタクシーは使わず市バスに流れる。そのせいでバスはとっくに京都市民の足ではなくなってしまった。大きなキャリーバッグが他の乗客にぶつかるトラブルも後を絶たないという。

 そんな古都のありさまに日本人の足は遠のく一方で、エグゼクティブを狙った高級ホテルは当てが外れ、すでに供給過多となっている中クラス以下のホテルは激しい値崩れを起こしている。

 人の流れもすっかり変わった。いわゆる碁盤の目の中にある京都ならではの骨董や表具、仏具などの老舗は、1日数十人の客のために店をあけておくよりネット販売に変更。何百年と続いた店舗は、外国人目当ての飲み放題の居酒屋に変わっている。それもこれも政府の4000万外国人観光客誘致計画のなせる業。

 「人だけ増えて、落ちるお金は毎年減っていく。それがいまの京都どす」

 夜の食事でお店の女将の嘆きを聞いて、ならばこの目で、と予定を変えて訪ねてみた定番の金閣寺に竜安寺、そして天竜寺に嵐山。撮影スポットでいつまでもポーズをきめるカップルに起きるブーイング。人の波というよりは人のうねり。ひと足早い春かすみかと思ったのは、砂利道でそのうねりが巻き上げる土煙だった。

 もちろん欧米人も中国人も決して不愉快そうではない。貸衣装の着物で楽しげな女性も多い。ただ、このうちどれだけの人が、このアジアの端の小さな国を「もう1度来てみたい」と思ってくれるだろうか。

 私たちの国の「おもてなし」が京都に凝縮されたこの姿でいいとは思わない。もっと心地よく迎えて、もっと気持ち良く帰っていただきたい。そんな思いのオリンピックイヤーの初春だった。

(2020年1月7日掲載)

 

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