日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏
いまさら記者の何を教育するのか
-記者の捏造にコメント…?-
先週のこのコラムに菅原一秀経産相の辞任で週刊文春にやられっぱなしの新聞に「情けなくため息が出てくる新聞人」と書いたら、また文春のスクープで、今度は河井克行法相が吹っ飛んだ。そんな今年の新聞週間に、逃げ出したくなるようなコメントの依頼が朝日新聞富山総局からあった。
コメントを求められた一件は、10月29日の朝日によると〈読売記者が談話捏造 富山版には「おわび」 懲戒処分へ〉とある。
電話をしてきた朝日の若い記者は私が読売出身と知ったうえで、「他社の失態をあげつらう気はありません。同じ若い記者仲間として、なぜこんなことが起きてしまうのか、私たちも考えてみたいのです」と静かに語りかけてくる。
聞けば読売の24歳の記者は富山版に掲載した「自治体 SNS発信工夫」の記事で、閲覧者を増やそうと苦悩する県や市の担当者の話として「派手な動画や写真に負けてなかなか見てもらえない」「SNS活用のノウハウがない」といった談話を取材なしで捏造したという。読売は富山版に「おわび」を掲載、「記者教育を徹底する」としている。
電話をしてきた朝日の記者とはコメントを出すというより、いつの間にか、あれこれと語り合っていた。そもそも「記者教育を徹底」といったところで、いまさら何を教育するのか。捏造がいけないことを知らない記者がいるのか。
行き着くところ私は「新聞の姿勢、新聞記者としての誇りではないのかなあ」と、なんだか自分自身に語りかけ、言い聞かせるような思いを話していた。
あらためて文春を持ち出すまでもなく、政権中枢に狙いを定め、今週も来週も最高権力者側近の首を吹っ飛ばしていく。記者はそんな自らのメディアを限りなく誇らしく思うと同時に、政権は常に自分たちのメディアを狙っている。そこにある緊張感は大変なものだ。小さなコラムであっても談話の捏造なんてあり得ない。
紙面、誌面から立ちのぼってくる誇りと緊張感。それこそが最大の記者教育ではないのか。ときの最高権力者から「この新聞を読んでくれ」と持ち上げられ、おだてられるような新聞から、果たして記者に誇りや緊張感が生まれるだろうか。
さまざまなことを感じた2019年新聞週間だった。
(2019年11月5日掲載)
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