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2019年5月23日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏

悲しみが先にきた「戦争」発言…
-丸山議員の北方領土ビザなし渡航-

 最初に湧いてきた思いは、胸ぐらつかんで引きずりまわしてやりたいというよりも、悲しみだった。日本維新の会を除名になった丸山穂高衆院議員(35)が北方領土のビザなし渡航で、元国後島民の大塚小彌太団長(89)に「戦争でこの島を取り返すことに賛成ですか、反対ですか」「戦争しないと、どうしようもなくはないですか」などと発言した。

 なぜ、悲しみが先にきたのか。昨年12月、いまは上皇となられた天皇が最後に臨まれた誕生日記者会見。陛下は時折、声を詰まらせながら、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられたのだ。

 その平成が令和になって10日ほど、平成元年には5歳にもなっていなかった男がなぜか、国権の最高機関に紛れ込んで「戦争しないと、どうしようもなくはないか」と言い放ったのだ。

 もう1点、2012年(平24)私は札幌で開かれた厚労省主催の「中国・樺太残留邦人への理解を深めるシンポジウム」のコーディネーターをさせてもらった。

 終戦直前、ソ連軍は日本統治下の南樺太(現・ロシアサハリン州)や千島列島に侵攻、行き場を失った日本人、とりわけ多くの女性が現地に取り残された。

 その後3年にわたって引き揚げ事業が行われたのだが、かなりの女性が生活のため現地の韓国人労働者と結婚。さらにその後、帰還しやすい国籍という根拠のないうわさを信じて北朝鮮やロシア国籍にした女性もいた。だが、引き揚げ事業はあくまで日本人が対象。無情にも岸壁を離れていく船を、涙で見送った残留邦人も少なくなかったという。

 2012年の札幌でのシンポジウムには2年前、89歳でやっと永住帰国を果たした女性もおられた。白髪の下の額に深く刻まれたシワ。その方たちの口を突いて出るのは、「戦争は嫌、戦争は絶対ダメ」だった。ビザなし渡航の大塚団長も当時少年だったとはいえ、そんな日本人の姿を目に焼き付けたはずだ。その人たちに、国会議員が「戦争、戦争」と言い放ったのだ。

 こんな男は放っておけとまでは言わない。だが、いま大事なことは、この議員に与党をはじめ各党が、各議員が、どう対応するのか、しっかりと目に焼き付けておくことではないだろうか。

(2019年5月21日掲載)
 
    

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