日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏
壁に突き当たった裁判員制度
先週は新聞、テレビを裁判員制度のニュースが飾った。2009年に制度が始まってこの5月21日で10年を迎え、私も都内で開かれたシンポジウムを取材。痴漢冤罪事件を描いた映画「それでもボクはやってない」の周防正行監督にもインタビューさせてもらった。
「裁判員裁判のおかげで他の事件の録画録音可視化が進むなど波及効果もあった」と周防さんが言う通り、10歳になったこの制度、すくすくと育っているように見える。ただ、ここにきて1つの壁に突き当たっていることも事実だ。
裁判員候補になったあと、実際の裁判を辞退した人は発足当時の53%から68%、じつに7割近くになってしまっているのだ。その原因のひとつが長期化する審理。当初平均3・7日だったものが昨年は10・8日。ついに100日を超える裁判も出てきてしまった。そうなると一般の市民はなかなか引き受けられない。参加できるのはリタイアした人や、よほど裁判に興味を持っている人。「広く市民の声を裁判に」という当初の理念は、どこかに行ってしまう。
その一方で「ホォ、そうなんだ」と感じるデータもある。裁判員経験者のアンケートで、全員に近い97%の人が「よい経験と感じた」と答えているのだ。実際シンポジウムに参加した裁判員経験者からも「見ず知らずの人と熱い議論を交わせた」「人生が深まった気がする」「生涯の宝物」といった声が寄せられていた。
なのに、なぜ7割の人が辞退するのか。裁判員経験者は口々に「貴重な経験を多く人に伝えたくても、私たちに課せられた守秘義務が重くのしかかっているんです」と訴える。
たしかに法律では、裁判員の候補になった時点から生涯にわたって守秘義務が課せられ、違反すると懲役刑まである。これでは最高裁がいくら「裁判員になって感じたこと、心に残ったことを口にするのは自由」と言っても、一般市民の裁判員は怖くて裁判のことを話せないのではないか。
ここは裁判所も発想を180度転換して、評議内容を漏らした時に限って処罰の対象とできないものか。 裁判員裁判10年のキャッチコピーの1つ、「私も出来た あなたも出来る 裁判員」。広めるのは裁判所の大きな役割だと思うのだ。
(2016年5月28日掲載)
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