Webコラム 吉富有治
「府市合わせ」はどこまで本当か 都構想が争点の大阪統一地方選がスタート
統一地方選の前半がスタートした。道府県議選の告示は3月29日。その先陣を切り、6つの道府県と11の政令市で知事選と市長選がすでに各地で始まっている。
知事選と市長選の中でも特に注目されているのが大阪府知事選と大阪市長選、いわゆる大阪ダブル選だろう。大阪維新の会の代表で前大阪府知事の松井一郎さんと、同じく前大阪市長の吉村洋文さんが任期を待たずにそれぞれ辞任。知事と市長を入れ替えて出馬するという奇策に出た。そこに維新政治を終わらせようと立ち上がったのが、自民・公明が推薦する元大阪府副知事の小西禎一さんと前大阪市議の柳本顕さん。今日もまた両陣営の舌戦が大阪の街で繰り広げられている。
このダブル選で問われている最大の争点は、いわゆる大阪都構想の是非だ。松井、吉村の両名は都構想の再チャレンジを掲げ、小西、柳本の2人は都構想のピリオドを訴えている。関西のテレビ各局も両陣営の討論会を相次いで企画し、電波を通じて4者の論戦がお茶の間に届けられた。
さて、3月25日に放送されたMBS毎日放送のニュース番組「VOICE」で、松井さんと吉村さんは「"府市あわせ"をなくす。そのためには都構想が必要だ」と訴えていた。府市あわせとは、大阪府と大阪市が歴史的に犬猿の仲の、いわば不幸せな状態を指し、これを「府市あわせ」と語呂合わせした造語である。
「いままでは松井知事と吉村市長の両者が同じ方向を見ていたので府と市は対立せずに政策は進み、大阪も発展した。だが、これまでの知事と市長は互いの意見が衝突し、利害の調整がうまくいかなくなって"府市あわせ"が起こった。だから属人的な要素を取り除き(市長の廃止)、制度的に人(知事)を一本化する必要がある。それが都構想だ」(松井、吉村)。
もっともな話に聞こえるが、ちょっと待ってほしい。これではまるで大阪府と大阪市がずっと"冷戦状態"のような印象を受けるが実際は違う。「府市あわせ」という言葉だけが独り歩きしている。
大阪府と大阪市に限らず、横浜市や名古屋市など、戦後から府県と政令市の関係が決して良くなかったのは事実である。特に近年、大阪府と大阪市とで対立が目立ったのは2000年。当時の太田房江大阪府知事が府と市を合併させる「大阪都構想」を発表し、対して大阪市の磯村隆文市長(当時)が猛反発。逆に市の権限を強める「スーパー政令市構想」を主張し、両者は激突した。ただし、これは制度をめぐる論戦であり、大阪市と大阪府が決別したということではない。
松井さんらが言う「府市あわせ」がクローズアップされたのは2004年末に発覚した大阪市の厚遇問題や第3セクター問題あたりが発端で、その典型が「旧WTCビル(現・大阪府咲洲庁舎)」と「りんくうゲートタワービル」による高さの競い合いだった。
企業の誘致を目指すために大阪市は住之江区に旧WTCビルを建て、一方、大阪府は関空の開港にあわせて対岸の泉佐野市にりんくうビルを建設。ともに高さは256メートル、奇しくも仲良く経営破綻した。
拙著『大阪破産』にも記してあるが、当時は府市ともに無意味なライバル意識から高層ビルの高さを競ったのは事実だ。ただし、高さを競い合ったが、それが原因で両ビルが破綻したわけではない。破綻はバブル崩壊と需要予測の見誤りで、「府市あわせ」と呼ぶにはあまりに低レベル。これが原因で府と市が激突したわけでもない。
ここ10年で「府市あわせ」が顕著になったのは、じつは橋下徹知事の時代である。その典型が、府と市の水道事業の統合だ。それまで仲の良かった橋下知事と平松邦夫市長(当時)の両者が、この問題をきっかけにケンカ別れすることになった。
当初、橋下さんと平松さんは水道事業の統合で合意。ところが取水から浄水、各家庭や企業、工場などへ給水を一貫しておこなう大阪市の水道事業に対して、府の事業は府内の市町村へ水を卸すこと。料金体系も違う。両者の事業が根本的に異なることは専門家からも指摘され、平松さんも問題点は橋下さんに伝えていたという。ステップを踏まずに統合を急ぎすぎると、失敗する懸念は平松さんも持っていたようなのだ。
ところが、何を焦ったのか橋下さん、とにかく市町村の同意を得ようと説得したが、水道料金などの問題をめぐって猛反対に遭い、結局はご破産に。このとき平松さんと話し合って再調整すればよかったのに、なぜか橋下さんは大阪市に逆ギレし、平松さんとも絶縁。これ以降、橋下さんの口からマスコミを通じて「大阪都構想」「府市一本化」といったイメージが流され、「府市あわせ」が演出された。
番組の中で小西さんと柳本さんが「これまで府市がいっさい話し合わなかったというのはウソ。多くの事業で協力してあってきた」というのは事実で、関空や70年大阪万博などのビッグプロジェクトでは府市は手を取り合ってきたのだ。
松井さんや吉村さんが言う「府市あわせ」とは多くは橋下時代のものであり、私から言わせれば、この府市の関係悪化は橋下さんによって意図的に演出されたものでしかない。「府市あわせ」だけを一般化するのは、かなり無理がある。
それでも松井さんと吉村さんが「府市あわせ」を口にするのは、ハナから府と市をまとめる意思も能力もないように聞こえ、そこを巧妙に隠すため「府市あわせ」というロジックを使い、大阪市の廃止を訴えているとしか思えない。
仲間となら話し合うが、それ以外なら府と市の話し合いなど御免こうむる。だから大阪市も廃止する -。そんな人たちが出馬する大阪府知事選と大阪市長選。さて、有権者はどう判断するのだろうか。
注目の選挙は4月7日に投開票される。
■橋下知事時代の年表
▼2007年11月、元MBSアナウンサーの平松邦夫さんが大阪市長選で勝利。第18代大阪市長に就任
▼2008年1月、弁護士でタレントの橋下徹さんが大阪府知事選で勝利。第17代(公選)大阪府知事に就任。
▼橋下、平松の両名は故・やしきたかじん氏を共通の友人とし、やしき氏の仲介でしばしば会食するほどの仲に。この間、府市の関係は良好だった。
▼同年8月、橋下知事、大阪市の負の遺産と呼ばれたWTCビルを買い取って大阪府の新庁舎にすると宣言。この発言がきっかけとなり、これまで良好だった自民党大阪府議団から反発を受ける。
▼2009年2月、橋下知事はWTCビルの購入予算と新庁舎への移転条例案を府議会に提出。しかし自民党などの反対にあって頓挫(後に買い取りだけ了承された)。このとき、購入に賛成だった自民党の松井一郎府議ら若手6人が党執行部と対立し、別会派「自民党・維新の会」を立ち上げる。
▼2009年9月、橋下徹知事と平松邦夫市長が府の水道事業を市が受託するコンセッション方式への移行で合意。
▼橋下知事、 水道統合をめぐって府内の市町村への説得に失敗。これをきっかけに平松市長とも絶縁。府市の関係も冷える。当時、わたしの取材を受けた平松市長は「なぜ橋下知事からケンカを売られたのか意味がわからない」と語っていた。
▼2009年9月に民主党(当時)の鳩山由紀夫内閣が発足し、以降、橋下知事は民主党にすり寄る。これに自民党が反発、両者は決裂する。
▼2010年4月、松井府議らは自民党・維新の会を発展解消させ「大阪維新の会」を立ち上げる。代表に橋下知事が就任し、全国初の首長ローカル政党が誕生。このときから維新は大阪市を廃止する「大阪都構想」を目玉政策に掲げる。
▼2011年4月、統一地方選で橋下旋風の追い風で維新の会が躍進。府議会で単独過半数、市議会で第一会派となる。
▼2011年11月、大阪府知事選と大阪市長選で橋下さんが平松さんを破り大阪市長に、大阪府知事に松井府議がそれぞれダブル当選。
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