日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏
神戸、宮城、東京「つなぐ」1・17
‐あの日から24年…風化のさざ波‐
ここ2、3年、東京のホテルで西の空に向かって手を合わすことが多かったが、今年は午前5時46分、民放の特別番組を見ながら大阪の自宅で黙とうをささげた。
先週木曜日、阪神・淡路大震災は、あの日から24年を迎えた。私も何度も足を運んだ神戸市中央区、東遊園地のつどいで竹灯籠が描きだした文字は「つなぐ」だった。平成最後の1・17、いま多くの人がこの災禍をどうやって次世代につなぐのか、心を砕いている。
言葉は適切かどうかわからないが、私はこの震災を災害列島元年と位置づけている。初めて大勢の人が極寒のなか神戸を目指したボランティア元年であったし、あれから国の耐震基準も定着した。国費による倒壊家屋の撤去、区画整理、防災公園。その後の中越、東日本、熊本、そして昨年の北海道。これらの災害にこの震災がつないだものは数知れない。
一方でこの日、つどいに参加された方は5万人弱、また市民による追悼行事も53件と、いずれも過去最多時の半数以下となっている。町を一望できるビーナスブリッジで20年続いてきた追悼の調べはトランペット奏者が高齢化、今年が最後となった。風化のさざ波がじわりと迫っているのだ。
ただ私は、それを決して悲観してはいない。ある意味で、それが時の流れというものではないかと思っている。
そんななか、この日午後2時46分、HAT神戸では、東日本大震災で妻を亡くし、神戸からのボランティアに励まされてきたという男性をはじめ、宮城県名取市閖上地区のみなさん20人が市民とともに黙とうをささげた。
そしてつどいから12時間後の午後5時46分、今度は東京・日比谷公園で、この朝、東遊園地の「希望の灯」から取った種火を空路、東京に運んで点火したキャンドルが1・17を描いていた。15歳のとき、神戸で被災した女性たちが「東京でも黙とうを」と呼びかけ人になって、初めて開いた鎮魂のつどいだった。
宮城から神戸へ、神戸から東京へ。縦糸が風化していくのなら、たとえ最初は細くても、横糸を広く、長く、遠くに伸ばして―。
来年は震災から四半世紀、新元号で迎える初めての1・17。神戸は何をつなぎ、何を伝えていくのだろうか。
鎮魂のつどいから3時間後、テレビは口永良部島の爆発的噴火を伝えていた。
(2019年1月22日掲載)
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