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2018年12月20日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

こんな男になぜ懲役18年なのか
‐「あおり運転」求刑より“5年軽い”判決‐

  判決から数日たつが、いまだに得心がいかない。2人の娘さんの目の前で夫婦が死亡した東名高速あおり運転事故で横浜地裁の裁判員裁判は先週末、石橋和歩被告(26)に懲役18年を言い渡した。激しい論議になった危険運転致死傷罪の適用は認めたが、求刑23年に対して5年下回る判決だった。 私の心をざわつかせているのは、なぜこれほど悪質な事件の被告に、求刑より5年も低い刑だったのか。もちろん検察側の主張である求刑に縛られることはない。だが、裁判官の既成の論理に裁判員が引きずられたとしたら、せっかくの裁判員裁判とはなんだろうか、という思いにかられるのだ。

  判決で深沢茂之裁判長は、検察側の「高速道路上で止まった車は、時速0㌔での運転とみなすべき」とする主張は、さすがに認めなかったが、それ以前の石橋被告の4回にわたるあおり行為が事故を招いたとして危険運転罪を適用した。

  刑の重い罪が認められたことに、遺族は感謝しつつも「量刑には納得できない」「いろいろな考えがあると思うが」と苦しい胸のうちをにじませている。この事故はそうした思いの遺族に限らず、社会を震撼とさせたのではないか。家族4人が乗った車があおり運転の男に止められ、胸ぐらをつかまれて車外に引きずり出される。どれほど恐ろしいか。こんな男は1年でも長く社会から遠ざけておいてほしい。その思いが多くの人を裁判に引きつけたのではないか。

  だが、くどいようだが、判決は求刑を5年下回る18年。判決要旨を何度読み返しても被告のくむべき情状は見当たらない。むしろ「被告は2度と運転しないなどと述べているが、真摯な反省とまでは評価できない」と切って捨てている。

  なのにこんな男になぜ、この刑なのか。記者会見した裁判員の女性は「ともすれば被害者に寄ってしまうなか、公平に見なければと思った」と語っている。ここで言う「公平」とはなんなのか。高速道上に立っていた被告に「運転罪」を適用した、いささか強引な法令解釈。その分、刑を減じたということなのか。

  だとすれば裁判は被害者の命に報いると同時に1年でも長い刑期を、と望んだ社会の負託に応えたことになるのか。法律とは、裁判員裁判とはなんなのか。わだかまりは消えそうにない。

(2018年12月18日掲載)

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