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2018年12月13日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

法律より市民感覚
‐あおり運転裁判 原点に返って‐

  あらためて私たちは裁判に何を求めているのか、問い直されていると思う。新聞、テレビは毎日のように、昨年6月5日夜、神奈川県大井町の東名高速道路で起きたあおり運転事故を報道している。

  一家4人が乗ったワゴン車をあおり運転で停車させ、後続のトラックによる追突事故で2人の娘さんの目の前で夫婦を死亡させた石橋和歩被告(26)。横浜地裁の裁判員裁判では、いずれの法律も帯に短かしタスキに長し。検察、弁護側で激しい法律論が飛び交っている。

  地検は石橋被告を最高刑懲役20年の危険運転致死傷罪と被害者の胸ぐらをつかんだ暴行容疑で起訴する方針だったが、地裁との公判前整理手続きで危険運転罪が適用されないと懲役2年、罰金30万円以下の暴行罪だけになってしまって社会の厳しい批判にさらされる。そこで高速道路上で身動きできなくさせ、トラック事故で死亡させたとする最高懲役20年の監禁致死罪を予備的訴因につけたという。

  とはいえ、車を降りて胸ぐらをつかみに行った石橋被告が危険な「運転」をしていたといえるのか。夫婦を死亡させたのは、あくまで後続のトラックであって危険致死傷罪には当たらない。それに監禁致死だって高速道路上に車を停めさせたことが身動きできなくする監禁状態といえるのか。弁護側は厳しく指摘する。

  対する検察側は、車が走行するためだけの高速道路上にいるということ自体が一連の「運転」行為だ。また10秒に1台は車が通過する高速道路上に引きずり出すのは監禁に等しいと反論、激しい論争になっている。

  だが、いま一度思い起こしてほしい。この裁判は女性4人、男性2人が参加した裁判員裁判だ。私たちの国は9年前、これまでの裁判があまりに市民感覚からかけ離れている。枝葉にこだわった法律論に終始しすぎていないか。そこにごく当たり前の市井の人々の思いを反映させることはできないものか。その思いからさまざまな課題を乗り越えて、裁判員裁判を実現させたのではなかったのか。

  キレて小学生と高校生の姉妹の目の前で父親を「海に沈めたる」と脅したあげく、母ともども死に至らしめた男が懲役2年で私たちは納得するのか。原点に返って、普通の、当たり前の感覚で裁判を見つめたい。
 判決は14日、言い渡される。

(2018年12月11日掲載)
 

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