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2018年12月

2018年12月27日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

ゴーン容疑者捜査こそクリーンに
‐東京地検のとった「禁じ手」‐

  事件捜査とスポーツを一緒にしたら叱られそうだが、取材者の目から見ると、よく似ていると感じることが多い。

  同じ勝ち試合にしても、みんなが「おおっ」と声を上げるようなフェアな試合。一方でルール違反にはならないくらいのラフプレーもまじえて、とにかく勝ちにいく。試合に負けたら元も子もないのだから、たしかにそれも、ありだ。 だが、天下の東京地検特捜が天下の日産前会長、ゴーン容疑者の身柄を取ったのだから、捜査の王道を行ってほしいのに、地検はゴーン容疑者を特別背任容疑で逮捕する策に出た。役員報酬の一部を報告書に記載しなかった虚偽記載の2度目の逮捕容疑について地裁が勾留を却下するという予想もしない事態に打って出た3度目の逮捕。苦肉のプレーであることは間違いない。

  私は虚偽記載があった過去8年分を5年と3年に分けて再逮捕したとき、ニュース番組で「同じ事件を小分けにして再逮捕する。それが特捜のやることか」と厳しく批判させてもらった。

  もちろんこれは理屈の上だが、50件も余罪がある泥棒を1つの盗みごとに逮捕勾留を繰り返していたら、3年以上身柄を押さえることだって可能なのだ。違法ではないが、絶対にやってはならない禁じ手だ。

  地検は1つを2つに割っただけというかもしれないが、5年分を起訴した段階で、残る3年は追起訴することとして、なぜその時点で本丸の特別背任で逮捕しなかったのか。だから海外メディアから「粗暴な人質司法」とまで言われるのだ。

  ただし間違えてもらっては困ることがある。私は、地検特捜の手法を批判しているのであって、決して捜査そのものを否定しているわけではない。日産の経営立て直しという大義名分のもと、2万人もの従業員に血涙を流させ、その裏で90億円もの報酬をひた隠し、投資で失敗しそうになると18億円もの損失を日産に付け替える。どこがゴッドハンドなのだ。カネカネカネにまみれたダーティ―ハンドではないか。だからこそ検察はクリーンに、フェアに勝負してほしいのだ。

  そして平成が去りゆく来年こそ、わが日本は、政も官も財界も、もちろん民間も、澄み渡るほどクリーンな風土であってほしい。
 少し早いのですが、みなさまどうぞ良いお年を─

(2018年12月25日掲載)

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2018年12月24日 (月)

Webコラム 吉富有治

焦りの裏返し? 松井知事が出直し選挙に!? 党利党略の選挙など有権者には大迷惑

  大阪のクリスマスイブは早朝からきな臭い話から始まった。12月24日の毎日新聞朝刊は1面トップで「大阪知事・市長 辞職意向 統一選同日公算大 都構想住民投票問う」という派手な見出しをつけ、大阪府の松井一郎知事と大阪市の吉村洋文市長が来年12月の任期満了を待たず、来年春の統一地方選前に辞任するという記事を載せていた。記事のとおりなら統一地方選は府知事選と市長選のトリプル選挙になる。全国でもあまり例のない事態だろう。

  松井、吉村の両トップが任期前に辞職し、統一地方選と同日に出直し選挙することは以前から噂されていた。松井知事や周辺がせっせと噂をばらまき、担当記者などにも出直し選を臭わせていたからだ。当然、大阪の自民党や公明党、共産党、また市民団体や各種労組もその情報はつかんでいた。ただ、その段階では真偽不明の未確認情報だったが、今回の毎日新聞の記事で本決まりになったと私はにらんでいる。トリプル選挙は、まず実施されるだろう。

  私は前回12月21日のコラムで、いわゆる大阪都構想の住民投票を来年夏の参議院選と同日におこなうため、あの手この手で松井知事が公明党を揺さぶっていることを記事にした。また公明党にも住民投票のスケジュールをめぐって知事に弱みを握られているものの、表面的には同日選には応じない強気の姿勢であることも伝えた。今回、公明党はその姿勢を崩さなかったようだ。だから毎日新聞が伝えたように、破れかぶれになった松井知事が統一地方選との出直し選を言い出した。
 
  もっとも、毎日新聞の記事は出直し選のみに重点が置かれているのではない。最大のポイントは「このため、ダブル選は松井知事、吉村市長の出直し選とは限らず、吉村市長の知事選出馬案など、別の候補になる可能性もあるという」の部分。つまり出直し選ではなく、変則的な選挙になる可能性が高いのだ。

  予想されるのは、吉村市長は府知事選へコンバート。一方、松井知事は来年夏の参院選大阪選挙区に維新2人目の候補になるというものだ。このときは維新も市長選に新たな候補者を出す必要に迫られる。そうでもしないと、かえって維新に逆風が吹く。なぜなら、統一地方選とのトリプル選挙で松井知事が知事選に出馬し、吉村市長が市長選に出馬してダブルで再選しても、公職選挙法の規定で約7ヶ月後の来年11月には再び府知事選と市長選のダブル選挙がおこなわれることになる。これほど税金の無駄使いもなく、有権者から維新が批判を浴びるのは間違いない。それを避けるために両トップは変則的な選挙に打って出るのだ。これなら任期は一からスタートだからだ。

  もし松井知事が参院選の候補になれば、大阪における過去の国政選挙での維新の総得票数を見る限り、維新は2名の候補者を当選させることは十分に可能だと思われる。しかも、松井知事は2025年大阪万博の誘致を成功させた功労者だと世間は見ている。そうなると定員4名の大阪選挙区の中で割を食うのは2名の候補者を出すことを決めた自民党、そして候補者1名を応援する公明党だろう。もし維新が2名を当選させた場合、残りは2議席。自民党と公明党の計3名の候補者が残り2議席を争うことになるが、共産党や立憲民主党などの野党が1名でも当選者を出すようなら、公明党はさらに苦しい戦いを強いられる。

  公明党にとって次の参院選に勝つことは支持母体である創価学会からの至上命令。絶対に負けるわけにはいかない。そこを熟知した松井知事は「それが嫌なら参院選と同日の住民投票に賛成しろ」と公明党に迫る作戦なのだ。

  さて、一般的に知事や市長、町長らの「出直し選挙」というのは単なる首長選挙にとどまらず、信任投票の意味が強い。各自治体でおこなわれた過去の出直し首長選をみても、「私はこのような政策を実行したいのだが議会の反対に遭ってできない。そこで出直し選挙で有権者の皆さんの信任を得たい」というものが大半だ。だから先にも書いたように公職選挙法でも例外を設け、出直し選に出馬した前首長が当選した場合、その任期は選挙前のものと変わらないと定めている。一般の首長選と違って出直し選は信任投票の性格が強いから、わざわざ任期をリセットする必要はないだろうという判断からである。

  もし松井、吉村の両首長がそろって来年春の出直し選に臨んだとして、その根拠とはいったい何か。明らかに住民投票の実施時期をめぐる問題だろう。両首長が考える日程に維新以外の政党が反発し、だったら出直し選挙で民意を問い、両首長が訴える日程の信任を得るというものである。なるほど、これならまだ大義名分はある。

  だが、松井知事と吉村市長が任期前に辞任したとして、その結末が吉村市長は府知事選にくら替え、松井知事は参院選に出馬だとしたらどうなるのか。統一地方選で維新に追い風を送ることが本音だとしても、客観的に見れば両者は有権者から信任を得るために辞めるのではなく、首長の職を途中で放り投げたことになる。これでは大義名分もヘッタクレもない。自分たちの都合で選挙をおもちゃにしているだけの愚行だろう。

  なお、この事態について公明党大阪本部の関係者は「勝手にどうぞ」と冷めた目で突き放し、自民党大阪府議団の花谷充愉幹事長は「松井知事らの出直し選挙は想定済み。むしろ統一選との同時選挙は維新を終わらせる絶好のチャンスだ」と挑発に応じる構えだ。

  松井知事の党利党略にも呆れるが、そんな愚行につきあわされる大阪府民、大阪市民こそ大迷惑な話である。 

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2018年12月21日 (金)

Webコラム 吉富有治

出直し知事選を言い出した松井知事 繰り返される大阪のドタバタに有権者もうんざり!?

  大阪府の松井一郎知事が来年夏の参院選と同日に、いわゆる大阪都構想の是非を問う住民投票を実施したいと言い出した。それが無理なら、そのときは自ら知事を辞職し、来年春の統一地方選と出直し知事選のダブル選挙に出ることも選択肢の1つだと宣言した。

  松井知事のこの発言は12月11日付けの産経新聞のインタビューに答えたもので、産経は「万博誘致成功“追い風”狙う維新、強気発言で波紋」という派手な見出しをつけていた。

  もっとも、「強気」というのは勝算があってこそ。勝つ見込みがあるから強気な発言になるのであって、そうでなければ虚勢でしかない。私の見るところ、松井発言は強気と言うよりも、むしろ虚勢に近いと思っている。

  2025年万博の誘致に成功し、勢いに乗った松井知事。この機に乗じて念願の大阪都構想を一気に進めようという魂胆なのだが、あいにく万博誘致の成功は追い風になっていない。最初こそ世間も歓迎ムードだったが、その後はメディアも検証報道ばかり。「約2兆円と言われる経済効果や約2800万人の総入場者は大風呂敷を広げすぎではないのか」「1250億円の会場整備費は2倍、3倍に膨れ上がらないのか」などと万博に疑問符をつけることが増えてきた。これには松井知事も誤算だったようだ。

  そこに加えて、大阪維新の会が掲げる看板政策「大阪都構想」が頓挫しかかっていることもある。

  維新の会の議席は大阪府議会、大阪市議会ともに過半数には満たない。そこで公明党の協力を仰ごうとアメやムチを与えているわけだが、ここに来て同党の態度がどうも煮え切らない。そこで、公明党を揺さぶるため冒頭の「強気発言」に出たのだ。

  公明党にすれば参院選の勝利は支持母体からの絶対命令。そこに住民投票をやれば党員や支持者の活動が分散され、勝てる勝負も勝てなくなる。公明党の弱点を理解している松井知事は、「だったら住民投票に賛成しろ」と同党に迫った。だが、今のところ公明党は表面的には無視を決め込んでいる。

  過去を振り返れば、2015年5月17日の住民投票では反対票が賛成票を僅差で上回り、都構想は頓挫した。ところが、2015年11月22日におこなわれた大阪府知事選、大阪市長選のダブル選挙で維新の松井知事と吉村洋文市長が自民党が推す候補を破って当選。両名は「民意は再度の住民投票を望んでいる」として、都構想の制度設計をおこなう大都市制度協議会、いわゆる法定協議会を再開させた。

  さて、2度目の法定協議会を開いたものの、大阪市を廃止して特別区を作る案は前回に否決されたものと大差なし。維新は「バージョンアップした都構想」と宣伝するものの、どこからどう見ても中身はバージヨンダウン。熱心な維新の支持者ですら「お粗末すぎて話にならん」と言い出すものまで現れる始末である。

  焦った松井知事や維新は、都構想に"厚化粧"することを思いついた。第三者から「都構想の経済波及効果はウン兆円」とお墨つきをもらえれば、反対派を封じ込め住民投票にも弾みがつくと考えたのだ。そこで大阪市の税金を使ってシンクタンクに試算を作らせることを提案し、さっそく入札公募が実行された。

  ところが、1度目の入札は応募ゼロ。大手のシンクタンクからは無視された。2度目の公募でようやく決まったものの、相手はシンクタンクではなく、なぜか学校法人嘉悦学園。しかも同校から出された都構想の経済効果は「約2兆円」と、松井知事や維新が大喜びする内容だった。

  だが、大阪府議会と大阪市議会では現在、嘉悦学園が出してきた試算の信ぴょう性に疑いの目が向けられている。維新以外の会派からは「試算の前提になった数値に疑義がある」などとして、一部の会派からは嘉悦学園の学者を参考人として議会に呼んではどうかといった話まで出ている。

  このような背景の中で、公明党は都構想に対して冷たい態度を取り続けている。法定協議会では都構想に対して批判的な意見が相次ぎ、嘉悦学園が出してきた試算にも懐疑的だ。この状態が続けば、法定協議会で都構想の制度設計は不可能。住民投票をする前に法定協議会の段階で頓挫する可能性がある。

 ただし、松井知事にまったく勝算がないわけでもなさそうだ。府議会や市議会の各会派の幹部を取材してみると、住民投票の実施時期をめぐって松井知事は公明党の某議員と何らかの密約を交わしていて、それが同党の「弱み」になっているとの話も聞こえてくる。これには公明党も少々頭を抱えているという。

  とは言え、仮に公明党に負い目があったとしても裏取引に応じるべきではない。住民投票をやるかやらないかは政治の裏取り引きで決めることではないからだ。あくまでも法定協議会の場で決めることであって、その大前提として都構想の制度設計がまともか、まともでないかが大切だろう。

  目的達成ためには手段を選ばない松井知事。それを仕方がないと見るのか、やりすぎだと眉をしかめるのか。またまた繰り返される大阪のドタバタ劇。試されているのは議会の良心だけではない。私たち有権者の見識もまた、問われているのである。

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2018年12月20日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

こんな男になぜ懲役18年なのか
‐「あおり運転」求刑より“5年軽い”判決‐

  判決から数日たつが、いまだに得心がいかない。2人の娘さんの目の前で夫婦が死亡した東名高速あおり運転事故で横浜地裁の裁判員裁判は先週末、石橋和歩被告(26)に懲役18年を言い渡した。激しい論議になった危険運転致死傷罪の適用は認めたが、求刑23年に対して5年下回る判決だった。 私の心をざわつかせているのは、なぜこれほど悪質な事件の被告に、求刑より5年も低い刑だったのか。もちろん検察側の主張である求刑に縛られることはない。だが、裁判官の既成の論理に裁判員が引きずられたとしたら、せっかくの裁判員裁判とはなんだろうか、という思いにかられるのだ。

  判決で深沢茂之裁判長は、検察側の「高速道路上で止まった車は、時速0㌔での運転とみなすべき」とする主張は、さすがに認めなかったが、それ以前の石橋被告の4回にわたるあおり行為が事故を招いたとして危険運転罪を適用した。

  刑の重い罪が認められたことに、遺族は感謝しつつも「量刑には納得できない」「いろいろな考えがあると思うが」と苦しい胸のうちをにじませている。この事故はそうした思いの遺族に限らず、社会を震撼とさせたのではないか。家族4人が乗った車があおり運転の男に止められ、胸ぐらをつかまれて車外に引きずり出される。どれほど恐ろしいか。こんな男は1年でも長く社会から遠ざけておいてほしい。その思いが多くの人を裁判に引きつけたのではないか。

  だが、くどいようだが、判決は求刑を5年下回る18年。判決要旨を何度読み返しても被告のくむべき情状は見当たらない。むしろ「被告は2度と運転しないなどと述べているが、真摯な反省とまでは評価できない」と切って捨てている。

  なのにこんな男になぜ、この刑なのか。記者会見した裁判員の女性は「ともすれば被害者に寄ってしまうなか、公平に見なければと思った」と語っている。ここで言う「公平」とはなんなのか。高速道上に立っていた被告に「運転罪」を適用した、いささか強引な法令解釈。その分、刑を減じたということなのか。

  だとすれば裁判は被害者の命に報いると同時に1年でも長い刑期を、と望んだ社会の負託に応えたことになるのか。法律とは、裁判員裁判とはなんなのか。わだかまりは消えそうにない。

(2018年12月18日掲載)

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2018年12月13日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

法律より市民感覚
‐あおり運転裁判 原点に返って‐

  あらためて私たちは裁判に何を求めているのか、問い直されていると思う。新聞、テレビは毎日のように、昨年6月5日夜、神奈川県大井町の東名高速道路で起きたあおり運転事故を報道している。

  一家4人が乗ったワゴン車をあおり運転で停車させ、後続のトラックによる追突事故で2人の娘さんの目の前で夫婦を死亡させた石橋和歩被告(26)。横浜地裁の裁判員裁判では、いずれの法律も帯に短かしタスキに長し。検察、弁護側で激しい法律論が飛び交っている。

  地検は石橋被告を最高刑懲役20年の危険運転致死傷罪と被害者の胸ぐらをつかんだ暴行容疑で起訴する方針だったが、地裁との公判前整理手続きで危険運転罪が適用されないと懲役2年、罰金30万円以下の暴行罪だけになってしまって社会の厳しい批判にさらされる。そこで高速道路上で身動きできなくさせ、トラック事故で死亡させたとする最高懲役20年の監禁致死罪を予備的訴因につけたという。

  とはいえ、車を降りて胸ぐらをつかみに行った石橋被告が危険な「運転」をしていたといえるのか。夫婦を死亡させたのは、あくまで後続のトラックであって危険致死傷罪には当たらない。それに監禁致死だって高速道路上に車を停めさせたことが身動きできなくする監禁状態といえるのか。弁護側は厳しく指摘する。

  対する検察側は、車が走行するためだけの高速道路上にいるということ自体が一連の「運転」行為だ。また10秒に1台は車が通過する高速道路上に引きずり出すのは監禁に等しいと反論、激しい論争になっている。

  だが、いま一度思い起こしてほしい。この裁判は女性4人、男性2人が参加した裁判員裁判だ。私たちの国は9年前、これまでの裁判があまりに市民感覚からかけ離れている。枝葉にこだわった法律論に終始しすぎていないか。そこにごく当たり前の市井の人々の思いを反映させることはできないものか。その思いからさまざまな課題を乗り越えて、裁判員裁判を実現させたのではなかったのか。

  キレて小学生と高校生の姉妹の目の前で父親を「海に沈めたる」と脅したあげく、母ともども死に至らしめた男が懲役2年で私たちは納得するのか。原点に返って、普通の、当たり前の感覚で裁判を見つめたい。
 判決は14日、言い渡される。

(2018年12月11日掲載)
 

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2018年12月 7日 (金)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

海外からの注目と批判 検察は自覚持て
‐ゴーン容疑者逮捕 隠される情報‐


  逮捕から半月たつが、出演しているテレビ番組から日産自動車前会長、ゴーン容疑者(64)が消えることはない。

  ただ、ここにきて気になることがある。世界が見ている日本の司法の動きとしては1976年、ロッキード事件の田中角栄元総理の逮捕、いやそれ以上の注目度といっていいのに、どうも検察当局にその自覚がないように思えるのだ。

  先週あたりからゴーン容疑者と関わりの深いブラジルやレバノンだけでなく、欧米諸国からも日本の検察捜査に対する批判が噴出している。最長20日の勾留、狭小な独居房での拘束。欧米韓国では当然なのに、弁護士立ち会いを認めない取り調べ。保釈を認めず、ときには100日を超える起訴後の勾留、いわゆる人質司法。

  だが、こうした批判に対して検察は相変わらず、情報が外に出ることを極端に嫌う保秘。いつも頭にあるのは、とにかく有罪に持ち込むまでの公判の維持。そんなベールに包まれた捜査に、フランス政府などから国家権力と日産がタッグを組んだルノー外しではないかとうたぐる声も出始めている。

  さすがの検察もこの事態に、東京地検次席検事の定例記者会見には海外メディアも同席させ、裁判所の令状に基づいて身柄を拘束、取調べには通訳をつけ、全過程を録画録音しているとしたうえで「各国の司法には、それぞれの歴史と文化があり、批判は当たらない」と強調した。だが、この会見もいつも通り、マイク、カメラなしのペン取材のみ。さっそく各国の記者からは、いまどき音も映像もとらせない文化ってなんだという声が出たという。

  思えば 事件の端緒は米上院議会だったとはいえ、嘱託尋問、コーチャン証言、ワンピーナツ100万円といった捜査情報がアメリカの司法当局からポンポン飛び出したあのロッキード事件とは段違いだ。欧米に限らず、いまではアジア各国も司法に報道官、広報官を置いて、カメラの前で身ぶり手ぶりで、いま何を調べ、何を暴こうとしているのか、メディアを通じて国民に知らせるのが常道だ。

  もちろん、それぞれの国の司法に、それぞれの歴史と文化があることはわかる。だが、隠されたもの、見せようとしないものに、人々が不信と不審を募らせる。それもまた古今東西変わらぬ歴史と文化だと思うのだ。

(2018年12月5日掲載)

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