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2018年10月

2018年10月26日 (金)

Webコラム 吉富有治

松井知事の公用車喫煙問題  身を切らない改革に唖然

  知事が公用車でタバコを吸うことは許されるのか。大阪府議会ではいま、この問題が本会議や委員会などで議論されている。

  ことの発端は10月2日の大阪府議会本会議でのこと。休憩中に松井一郎知事が府庁舎前から公用車に乗り込むところを自民党の府議が目撃。不審に思って府の関係者に確認したところ、松井知事は休憩と称して公用車に乗り、府庁舎の周辺を十数分間ぐるぐると周回。車内でタバコを吸っていたというものである。
 
  現象だけを取り上げれば小さな問題にすぎない。私もこの質疑を聞いたとき、はっきり言ってどうでもいいことだろうと思っていた。松井知事には、「少しガマンしたらどうなのか。吸いたければ喫煙所に行けばいいのに、こそこそと公用車で喫煙するのは、中高生が校内のトイレでタバコを吸うのにも似て格好が悪いだろう」と笑っていた。

  だが、よくよく考えてみると、そう単純な話でもない。松井知事の行動は、公用車を私物化していた問題よりも、普段から言っていることと実際にやっていることとの落差、チグハグさが見え隠れするのだ。
 
  橋下徹前知事から続く大阪維新の会による大阪府政、大阪市政においては、かつて喫煙で処分され、10分ほど喫茶店に寄っただけで処分を受けた府市の職員がいる。部下には厳しいモラルを求めるのに、なぜか自身には甘い。これがチグハグさと言行不一致の正体である。

  この問題を最初に取り上げたのは11日の総務常任委員会でのこと。公用車での喫煙の事実を質した自民党の密城浩明府議に対して、松井知事と府の幹部は、「公用車には禁煙のルールはない」「目的は息抜きであり喫煙ではない」などと答弁した。だが、この主張は論点のすり替えでしかない。

  そもそも「ルール違反じゃないから問題にはならない」と弁明できるのは、ルールに縛られる側だろう。法律や社会規範などに縛られている私たちであり、大阪府なら憲法や地方公務員法、また職員基本条例などに従わなければならない府の職員たちが言えるセリフなのだ。

  ところが松井知事がこれを言っても説得力はゼロだ。なぜなら、知事は大阪府においてはルールを作る側の人間であり、場合によっては自身をルールの対象外にすることが可能だからだ。公用車を禁煙にするルールだって国が作るわけではない。府職員のトップに立つ知事自ら作ることができるのである。

  そんなこともせず、松井知事は自身をルールの外に置いた。喫煙ルールなどに関しては知事と府職員の関係は非対称であり、「ルール違反じゃないから問題にはならない」は組織のトップに立つ人間が述べる言葉ではないだろう。これでは府民や府職員の反発を買うだけで、トップの姿勢としても失格。他人に厳しく自分に甘いなどと文句を言われても仕方がない。
 
  またプライベートカーと違って、公用車とは文字通り役所などの公的機関が公的な仕事のために使用するクルマである。その意味で公用車は、同じく公的機関が公的な仕事のために使用する庁舎の延長だと解するべきだ。両者の違いは動くか動かないかだけで、本質的な差はない。
 
  大阪府は庁舎内を全面禁煙にするルールを定めた。だとしたら、同時に公用車も役所の延長だとして禁煙にするのが筋のはず。ところが、大阪府の公用車には禁煙ルールがない。府庁舎に禁煙ルールを定めた側(この場合は府知事)が、なぜか自らを律するルールを作らなかったからだ。自らが"ルールブック"であるのをいいことに、部下には厳しく臨んで自分には甘いルールで対応する。これで府職員や府民は納得するのだろうか。

  大阪維新の会は「身を切る改革」をスローガンに掲げている。そのために知事や市長、また維新議員の報酬を減らし、府市の職員にも給与カットなどを求めている。けれど、「身を切る改革」とは報酬を減らすことだけでないだろう。

  自分自身に厳しいルールを課すからこそ他人にも厳しさを求めることができる。これが「身を切る改革」の本質ならば、公用車に乗って本庁舎をぐるぐる回りながらタバコを吸うことが府のルールに違反しなくても、自ら定めた自主規制、自己犠牲の精神には反しているのではないか。この問題、単に本会議の休憩中だから公用車での喫煙もOKという話ではない。
 
  松井知事は22日、府議会の総務常任委員会で公用車を「喫煙室代わり」として使ったことを否定しつつ、「誤解を与える行為はやめる」と弁明。さらに今後も「禁煙しない」と言い切った。

  その大阪府トップが誘致を進める2025年大阪万博のテーマの1つは「健康」である。世界中から人を集めようというのに、これほど人を喰ったブラックジョークもない。

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2018年10月25日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

あの町25年前を思い出す就労拡大


  番組でこのテーマにコメントしながら、これはいつか見た光景、新聞記者の警察(サツ)回り時代を思い出した。安倍政権は日本がかたくなに拒んできた外国人労働者の受け入れを認めることにした。考えが変わったのではない。背に腹は代えられなくなったのだ。

  さまざまな抜け道があったとはいえ、日本は単純労働、しかも5年以内でしか外国人の就労を認めてこなかった。それが今後は建設、農業、宿泊、介護、造船の5分野で、これまでの5年を超えたあとも経験を生かして仕事を続けられることになった。さらに日本語や技術力の試験に合格した外国人も、家族帯同で在留資格を更新しながら日本で働けることにする。

  一大方針転換の要因はなにか。言うまでもなく、いまも、そしてこれからも続く深刻な労働力不足だ。なにしろ在留外国人は、すでに256万人。この1年で18万人も増えているのに、大変な人手不足。さらに少子化で、いま6600万人の労働人口は20年後には5100万人になるという。そこで「お願い、外国人」となったのだ。

  それがなぜ、私の「いつか見た光景」なのか。40年以上前、サツ回りの記者だった私の持ち場は大阪のあいりん地区、釜ヶ崎と呼ばれた日雇い労働者の町だった。わずか1平方㌔㍍ほどの地域に多いときは4万人もの労働者がひしめき、早朝から道路や橋、ビルの工事現場へと雇われていく。だが、この町は景気の調節弁だ。東京五輪や大阪万博、それにバブル景気、そんな時、町は沸きに沸く。その一方で、不況のしわ寄せも真っ先にこの町にやってくる。

  1円のお金も入ってこないアブレと呼ばれる日が続くと、ちょっとしたもめ事が暴動に発展する。放火、投石、機動隊との衝突、荒れ狂った夜が続く。もちろん、暴力は許されない。ただ猛暑や極寒のときも“タコ部屋”と呼ばれる作業員宿舎に押し込まれ、不況となれば有無を言わさずたたき出される。取材する私たちに飛んできた「わしらかて人間やぞ」という涙まじりの怒声が、いまも耳に残っている。

  これまでは働きたくて残っていた人も不法滞在で強制送還していた国が、手のひら返しの就労拡大。その心根に、どうしても四半世紀前の、あの町の光景を思い出してしまうのである。

(2018年10月23日掲載)

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2018年10月18日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

「盗撮」「痴漢冤罪」を生む土壌
‐ただの「迷惑」で片づけられるから‐

  これは、とてもじゃないが「迷惑」なんて言葉で片づけられるものではない。そのことを映像が物語ってくれた。先週、各局のテレビニュースが放送したが、JR埼京線・池袋ー新宿間の車内で女性を盗撮した男が通報でかけつけた駅員の隙をみて線路に飛び降りて逃走。一目散に逃げる様子を乗客が撮影。1度は画面から消えた男を今度は西口の防犯カメラが捉えていた。

  20分後、東京都迷惑防止条例違反で逮捕されたが、45歳カラオケ店アルバイトのこの男は15本の線路をまたいで逃げたため、埼京線や山手線が14分停車した。「以前、痴漢をして捕まったので、(体を触らない)盗撮をすることにしてスマホをシャッター音の出ない動画撮影モードにしていた」と、泣きながら供述しているというが、いいかげんにしろ。泣きたいのは被害に遭った女性だし、足止めを食らった何万もの人だろう。

  ある女性誌のアンケートでは、日本の女性の70~80%が通勤通学の電車、帰宅時の道路などでこうした性犯罪の被害に遭っているという。交通事情の違いもあるとはいえ、長年こんなことが続いているのは、先進国では日本だけではないかと指摘している。いずれにしろ、この種の犯罪に対するユルユルでだらしない対応は早晩、改めるべき時期にきているのではないか。

  私はニュース番組で「盗撮逃走男の罪名が都の迷惑防止条例違反、ただ迷惑をかけただけとは、どういうことだッ」と声を荒らげてしまった。この犯行は条例の第5条、「衣服で隠されている下着、身体を撮影する行為」に当たるが、刑罰は懲役1年、罰金100万円以下。だけど悪質な常習者でない限り、これまで盗撮で実刑というのは聞いたことがない。罰金も、たいていは50万円以下だ。

  その一方で、社会問題ともなっている「痴漢冤罪事件」。「どうせ罰金ですむんだから、さっさと認めてしまえ」という安易でずさんな捜査は、こうしたユルユルの刑罰が生み出してはいないか。そのことによって家族も職場も失った男性がどれほどいることか。

  いずれにしろ、こうした犯罪に社会はもっとビシッと対処すべきではないのか。スカートの中のお尻をバシャバシャ撮られて「迷惑かけた」ですまされては、たまったもんじゃないのだ。

(2018年10月16日掲載)

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2018年10月11日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

後味悪い相撲協会の取り口
‐変わらずに生き残る道はない‐

  またしても貴乃花である。

  幕内優勝22回を誇る大横綱が相撲界を去っていった。昨年、弟子が暴行された事件が発覚した折、親方とは数年前、旧知のスポーツライターの方たちと一緒に食事をした、とこのコラムに書かせてもらった。その親方がまさかの引退である。

  私はテレビ番組や週刊誌のコメントで何度か映画、「山猫」の中のせりふ、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならないのです」を使わせてもらった。1961年制作、63年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞したこの作品はイタリアの没落していく貴族階級を描くなかで、この名せりふを生み出している。

  食事の席、当時、貴乃花一門を率いていた親方が熱く語る話の大半は、相撲道と相撲界の大改革だった。だが一門の親方衆はひとりふたりと去って、ついには部屋も消滅。貴乃花自身が、変わらなかったがゆえに生き残ることできなかった、そんな思いが去来する。

  とはいえ、内閣府への告発状をめぐって、「有形無形の圧力に屈して協会に残ることはできない」とする貴乃花と、「圧力は一切ない。協会に残るよう説得した」と真っ向から否定する相撲協会。平行線をたどったままなのに、こと今回の件では第三者委員会を立ち上げる気配もない。白星か黒星、2番後取り直しをしてでも引き分けがないはずの大相撲が、なんとも後味が悪い。これが大横綱を送り出す相撲協会の取り口なのか。

  ならば親方を見送った相撲協会は、改革も先送り、自身が変わらなくていいのか。後を絶たない暴力事件、不透明な親方株の売買、降って沸いたような一門への加入義務づけ。相変わらず外国出身力士頼みで、7月の名古屋場所新弟子検査はついに応募者ゼロを記録してしまった。青少年が誰ひとり見向きもしないスポーツが、この日本で、ほかにあるだろうか。こうして見てくると、相撲協会自体に変わらずに生き残る道はない、としか言いようがない。

  折しも貴乃花騒動と相前後して行われた第4次安倍内閣改造。おお、なんとこちらの方は、表紙を変えただけで4回も「変わらずに生き残って」いるではないか。土俵が違うとはいえ、こんなこともあるんだ。オット、今回は最後の方で、話の筋が違っちゃったかナ。
 
(2018年10月9日掲載)

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2018年10月 5日 (金)

Webコラム 吉富有治

大型台風が連発する今年の日本 一貫性のない松井知事の対応に議会も苦言

  今年の日本は、まるで台風に好かれているかのようだ。1961年に襲来した「第二室戸台風」に匹敵する台風21号は9月4日、非常強い勢力を保ったまま日本に上陸し、13人の尊い命を奪い去った。台風21号の勢力に劣らぬ24号は9月30日に和歌山県田辺市付近に上陸し、そのまま列島を横断。関東地方では交通機関がマヒし、静岡では大規模な停電が発生。4人の犠牲者を出し、各地で床上浸水や停電などの被害も発生した。

  台風24号が上陸する前日の29日、大阪府の松井一郎知事はこれ見よがしに防災服を着込んで緊急の記者会見を開き、「24号も21号と同程度の強い勢力を保ったまま接近、上陸する恐れがある」と強調、「まずは自分の命や身体を守ることを第一に行動してもらいたい」と府民に警戒を呼びかけた。

  災害への備えと対策をいち早く住民に伝える姿勢は自治体トップとして至極当然であると思う。だが、台風24号より勢力が強い21号のときはどうだったのか。前回の緊急コラム「知事失格! 台風被害がまだ残る大阪を離れ沖縄県知事選に首を突っ込む松井知事」で書いたように、その行動は首をかしげたくなるものではなかったのか。このとき知事は台風の前日も当日も府民に向けて注意を呼びかけるメッセージは発しなかった。むろん防災服など着てはいない。それどころか、台風が大阪を襲った当日の午後6時半にはさっさと退庁していた。

  台風翌日の9月5日の時点で関西電力の管内では約218万3000軒が停電し、関西の空の玄関口である関西国際空港では高潮によって空港機能は完全にマヒ。空港内では6日未明まで職員と利用客の約8000人が取り残されていた。にもかかわらず松井知事は9月7日、日本維新の会代表として政務で県知事選のために沖縄入りし、9日には万博誘致運動のために、こちらは府知事の公務として欧州へと旅立った。松井知事は「24号も21号と同程度の強い勢力」という認識があるのなら、どうして21号と24号とで対応に差が出てくるのだろうか。

  筋も通っていなければ一貫性もない松井知事の対応について、自民党大阪府議団の杉本太平府議は10月2日の大阪府議会本会議で府の対応を批判した。

  杉本府議は、超大型の台風21号が大阪を襲うことは予報されていて事実そのとおりになったのに、なぜ大阪府は災害対策本部を立ち上げなかったのかと何度も質問。対して松井知事をはじめ府の危機管理室の幹部は、「地震と違って台風には災害対策本部を立ち上げる明確な基準はない」「適切に対応した」と繰り返すのみだった。

  明確な基準がないから災害対策本部を立ち上げなかったというのなら危機管理など不要である。危機管理の基本とは、最悪の事態を想定して最善の策を講じることだろう。たとえ「明確な基準」はなくても、万が一に備えて危機管理本部を立ち上げ府民の命と財産を守り、そのために備えることが行政の役割ではないのか。

  杉本府議は質疑の最後に、「知事は台風24号のときは前日に防災服を着て府民向けのアピールをした。まさか誰かから『ウソでもいいから防災対策に乗り出している姿を府民に見せてください』と釘を差されたわけではないと思うが、21号の対応がまずかったと知事みずから認めたということではないのか」「多くの死傷者が出ているにもかかわらず、9月7日には沖縄県知事選に応援に行った。府知事として優先すべき公務はなかったのか。府民、被災者の気持ちに寄り添うことが本来の府知事として本来のあり方ではないのか」と府と知事の対応を厳しく批判したが、松井知事には蛙のツラに小便だったようである。

  台風21号で大阪を留守にした松井知事について「ありえない」と驚く府議や府職員は多く、ネットでも批判が集中した。それで慌てたのか、「災害対応は基礎自治体の仕事。知事の役割は国との折衝などで、事実、松井知事は早々に政府関係者と面談して関空の早期回復が実現した」などと擁護する維新の議員がいたほどである。

  なるほど、この主張が正しいとしよう。だったら、なぜ松井知事は台風24号で同じ態度を取れなかったのだろうか。防災服を着て府民にメッセージなどを出さず早々に政府関係者と会い、ついでに沖縄へ飛べばいい。自ら推薦状を渡した佐喜真淳候補が破れたことについて日本維新の会の馬場伸幸幹事長に謝罪させず、自分の努力が足らなかったと支持者に頭を下げていれば、まだ一貫性はあっただろう。

  この週末には大型で非常強い台風25号が列島を襲おうとしている。台風の影響や被害も心配だが、まるで一貫性のない府知事がトップにいることのほうが、もっと不安である。

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2018年10月 4日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

メディアの川上は澄んでいないと
‐伝統ある出版社の「新潮45」廃刊‐

  メディアの中の川上、川下論を唱えたのは、亡き筑紫哲也さんだった。山奥に源を発し、細いけれど清冽な流れ。その川上に位置するメディアが伝統ある出版社の総合雑誌。岩波書店の「世界」だったり、「月刊文藝春秋」、それに季刊や旬刊の論壇誌、学術誌。そこでささやかに展開された主張や論調は、やがて野に下り、源流にくらべてはるかに多くの人々の耳目にふれる。それが新聞であろう。

  そこから流れはゆったりとした川下に。真水に海水が流れ込み、広い河口には俗っぽいものも入り込んでいる。それが筑紫さんも深くかかわったテレビであり、時には週刊誌だろう。だからこそ源に湧き出る水は澄んでいなければならない。清冽な源流に邪悪なものを流し込んではならない。

  総合雑誌のひとつ、月刊の「新潮45」が休刊となった。新聞の休刊日とは、わけが違う。再び刊行されることがない、廃刊である。性的少数者を罵倒、誹謗する女性国会議員の寄稿を擁護する特集を10月号で展開、ついに廃刊に追い込まれた。

  私たちメディアにかかわる者にとって、ペンを奪われる事態はあってはならない。だが今回ばかりは私もコメントで廃刊を主張し続けた。女性議員擁護の寄稿の中から、「約束の日―安倍晋三試論―」などの著書のある文芸評論家の一文をかなりの方に読んでいただいた。

  〈満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ、極めて根深ろう(中略)彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか〉

  ラジオのスタジオでこの一文を聞いてくれた女性アナは、許されるなら席を立ちたい気配だった。小学生の女の子を電車通学させているお母さんは読むなり、顔を青ざめさせていた。男性とてメモを破らんばかりに突っ返してきた人もいた。

  メディアの川上でこんなものを流し込まれてはたまらない。川は腐臭を放つ。ここは廃刊の道しかなかった。だが同時に私は廃刊ですませてはならないとも感じている。コメントを依頼されたりして知り合った新潮社の編集者には素晴らしいセンスの方が多い。そんな編集者が源流に澄みきったしずくを一滴注ぎ込んで、新たな潮流に乗った総合雑誌を発刊する─。いまは、その日を待ち望んでいる。

(2018年10月2日掲載)

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