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2018年8月

2018年8月31日 (金)

Webコラム 吉富有治

ますますブラック企業化する大阪市
ご乱心の吉村市長に専門家も苦言

  大阪市の吉村洋文市長が教育問題で筋違いな発言をし、教育関係者や市民などから猛反発を受けて収拾がつかなくなっている。

  事の発端は8月2日の記者会見。文科省などが実施する「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)」の結果が7月31日に公表され、その中で大阪市が昨年度に続いて総合成績が政令市で最下位になったことだ。

  頭に血が上った吉村市長、「抜本的な改革が必要だ」「強い危機感を抱いている」と会見では怒った様子。学力テストに具体的な数値目標を設定し、達成できない校長や教員のボーナスなどを減らす人事評価を導入するなどと言い出した。ところが、市長に賛同する声より批判の方がはるかに多かったから、さあ大変。

  林芳正文科相は翌日3日の記者会見で、「調査で把握できるのは学力の一側面であることを踏まえ、適切に検討いただきたい」と吉村市長に釘を差し、教育現場や市民からは発言の撤回を求める署名運動がいまも継続中だ。また、「夜回り先生」で知られる水谷修さんからは「大阪の子の学力の背景に家庭や貧困の問題があるのは明白だ。十分な対策を講じてきたと言うなら、その成果が上がっていないということだ」と批判され、吉村市長に公開討論を求めている。

  ところが、これで市長が反省したと思ったら大間違い。最近では、市長の対応を批判した8月28日付けの朝日新聞社説「大阪市長 学力調査を乱用するな」に吉村市長は同日、ツイッターで噛みついた。まだまだ自説を曲げる気配はなさそうだ。

  ノルマが達成できなかったのは社員が悪いからで、だったらルールをより厳しくして社員を締めつけるしかない。ノルマ達成者にはボーナスや昇給などの褒美を与え、未達成者は減給かクビにする―。

  吉村市長が言っていることは、原因と結果を冷静に検証せぬまま精神論で乗り切ろうとする、どこぞのブラック企業と本質的に変わらない。そもそも教師を教育基本条例などで締めつけ、教員志望の優秀な大学生を大阪市から遠ざけたのはどこの政党なのか。教員のやる気を削いでおきながら教員にノルマを課す吉村市長のやり方は、まったくもって本末転倒と呼ぶ以外にないだろう。

  また、吉村市長は「結果に対して責任を負う制度に変える」「予算権をフルに使って意識改革をしたい」などと発言しているが、これは予算権を盾にした教育行政への政治介入ではないのか。「結果に対して責任を負う制度に変える」というのなら、多額の予算を使っても学力向上を達成できなかった吉村市政の結果責任を、まずは問わねばならないはずだ。

  教育学者の簑輪欣房さん(育英大学教育学部)は自身の論文『全国学力調査結果上位県の教育の考察』(東京福祉大学・大学院紀要 第7巻 第2号 2017年3月)の中で、ここ数年、学力の上位校と下位校は固定化しており、その差はどこにあるかを考察している。以下、結論のポイントのみを紹介すると、

  すなわち、「全国学力・学習状況調査において高い成果を挙げてきた県は、共通した要因」があるとして、それは「①教員の授業力向上に対する教育行政の積極的で計画的な指導や支援、②学校の外部の組織・団体の積極的な働きかけと研究活動の推進、③学校における管理職と教員の協力関係と熱心な取組、④児童生徒の素直さとまじめさ、⑤家庭の安定と家庭の教育力の均質な高さ、⑥厳しい自然を生き抜く勤勉で連帯感のある地域や風土がある」と指摘。生徒の学力は家庭環境や通塾の度合い、また生徒と教師の信頼関係など様々な要因が関係しているものの、多くは「学校教育の成果」だと結論づけている。

  この「学校教育の成果」を生み出すものとは、当然ながら行政トップが予算権を盾にして校長や教員を恣意的に操ることではないだろう。「成果」の背景にあるのは学校現場の熱意と積極性、創意工夫であり、それはボーナスや人事などで教員をコントロールしようとするものとは対極を成すものである。結局、生徒の学力を上げるには地域社会を含む総合的な取り組みが必要なのだ。

  残念ながら大阪市は貧困家庭が多く、生活保護世帯も少なくない。これらが生徒の学力向上を妨げる一因になっているのは否定できない。だとしたら、吉村市長が行政トップとしてやるべきことは、教員のボーナスや人事をチラつかせて教育現場に口をはむことではない。大阪市の貧困問題をどう解決するかが市長に課せられた急務の仕事のはずなのだ。

  ますますブラック都市へと突き進む大阪市。「強い危機感」を持たねばならないのは吉村市長ではなく、ブラック化の中で仕事と生活をしなければならない大阪市の教育関係者や市民の側だろう。

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2018年8月30日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

五輪ホスト国がこれでいいのか
‐バスケ日本代表買春行為‐

  新聞、テレビ、雑誌からコメントを求められるのも大事な仕事である。ただ、たいていは国内で起きた事件、事故、災害についてだが、それが「いまジャカルタにいるんです。この件で、ぜひとも大谷さんの考えを聞きたくて」と電話がかかって、ちょっとびっくり。

  中日新聞のバンコク特派員で、いまアジア大会の応援にきているという。「水泳やバドミントン、日本のメダルラッシュに水を差すわけではないのですが、あのバスケットの買春4選手の問題、日本国内はともかく現地インドネシアに対して、あの対応でいいのか、気になるのです」

  バスケットボール日本代表の4選手が試合後、ジャカルタの歓楽街、ブロックMに出かけ、現地の女性を相手に買春行為をしたとして、日本選手団の認定を取り消され、翌日、帰国した不祥事。

  「あそこは警察も知っているそういうエリアです。ただ、そうであっても、ジャカルタ特別州条例で買春行為は禁錮刑または罰金となっています。日本代表にあるまじき行為だ、即刻帰国、でいいのでしょうか」

  記者の声を聞きながら事態発覚後の関係者の言葉を思い起こしていた。「公式ウエアで出かけて選手団行動規範に外れた行為」で「日本国民の期待を裏切った」(山下選手団団長)「日の丸を胸にした選手の行動ではない」(三屋裕子日本バスケットボール協会会長)

  そこには、インドネシアもジャカルタも出てこない。たしかにアジアに限らず、中南米など発展途上国では、そうしたことで生きていく女性がいる。だが、国民の86%が戒律厳しいイスラム教徒というインドネシアでは、それを悲しい光景と受け止めている人が大半だ。

  記者は、警察が捜査するかはともかくとして、ジャカルタの法規を犯したことを申し出たあとで帰国させるべきだったのではないかという。

  すっかり長くなった電話。私は、まず大会を心待ちにしていた2億6000万インドネシア国民と、OCA(アジア・オリンピック評議会)に心からおわびするべきだったのではないか、とコメントさせもらった。

  「日本代表」「日の丸を背負って」の報道ばかりが目につくなか、「2年後、東京五輪のホスト国になる日本がこれでいいのかと思いまして」という記者の声が、いまも耳に残っている。

(2018年8月28日掲載)

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2018年8月23日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

「気をつけろ」戒め 語り継がれているか?
-留置場から容疑者逃走-

  今週は終戦の日に合わせて取材したテーマにふれるつもりだったが、そうは言っていられない。大阪府警富田林署の留置場に強盗や強制性交罪で逮捕勾留中だった樋田淳也容疑者(30)が逃走してすでに9日たつ。

  私は逃走発覚直後から、富田林署長をはじめ府警幹部から事情説明と謝罪がないのはどういうことだ、と語気を強めていたが、発生から3日後に紙1枚のコメントを出しただけだった広田耕一本部長は、昨日になって、府民に不安を与えていることを公式におわびした。だけど不安は、樋田容疑者の犯行が疑われるひったくりやバイク、自転車盗で、すでに現実のものになっているではないか。面会室のブザーの電池だけでなく、いまの警察組織に何かが抜けている気がしてならない。

  「気をつけろ! こいつは飛ぶぞ!」。若い警察官だけでなく、私たち事件記者の耳にも古参刑事のこんな胴間声が残っている。「飛ぶ」は、もちろん「逃走、脱走」するという意味。調べ室に入れたときにさりげなく格子の間隔を見る。署の裏庭の塀の高さを目で量る。護送時の署員の配置を気にする。被疑者のこれらの動作が古参刑事の勘を刺激して、「気をつけろ」の声になり、私たち事件記者までピリッとさせるのだ。

  もうひとつ、ベテラン刑事の言葉がある。「飛ばす(逃がす)くらいなら、捕まえるな!」。もちろん警察官の仕事は凶悪犯をはじめ窃盗犯、振り込め詐欺グループ、悪いやつを捕まえるのが仕事だ。それが「捕まえるな!」とは尋常ではない。だが、この言葉には捕まえた犯人を逃がすことが、どれほど市民を不安に陥れるか。警察組織にとって、どれほど恥と思わなければならないことなのか、その戒めが込められている。

  部外者の事件記者の髄にまで染み込んだこの言葉、若い警察官だけでなく、果たして刑事たちにも語り継がれているのだろうか。全国28万警察官の、実に7割が平成以降の拝命と聞く。ただ、世代交代の波はひとり警察組織だけに押し寄せているものではない。先輩たちが、こけつまろびつ身につけてきたことがらは、いま後輩たちの中に脈々と生きているのだろうか。

  紙1枚のコメントではない、「気をつけろ!」の野太い声を、もう1度さまざまな組織に鳴り響かせたい。

(2018年8月21日掲載)

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2018年8月16日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

それでも彼はやっている?
‐今市女児殺害 2審は印象有罪誘導‐

  判決を聞いて、痴漢冤罪事件をテーマにした周防正行監督の映画、「それでもボクはやってない」を思い起こした。少し前のことになるが、東京高裁の藤井敏明裁判長は、2005年12月1日、栃木県今市市(現・日光市)で小学1年生の女児が殺害され、翌2日茨城県常陸大宮市の山中で遺体が見つかった事件で一審、東京地裁の無期懲役の判決を破棄、改めて無期懲役を言い渡すという、くるんと回って元に着地したような判断を示した。

  この判決についてメディアはこぞって、1審裁判員裁判で有罪の決め手ともなった取り調べの録画映像について高裁が「主観に左右される可能性が否定できない」と厳しい判断を示したことを取り上げ、新聞の社説も「取り調べ映像 『印象有罪』の制御が必要」(毎日)など、冤罪防止のために導入された録音、録画がじつはもろ刃の剣であると警鐘を鳴らしている。

  だが私は、この判決とメディアの論調がじつは重大な事実から目をそらさせ、「印象有罪」に誘導しているように思えてならない。

  たとえば犯罪事実で「いつ」「どこで」は絶対に欠かせない要件だが、1審では「12月2日午前4時ごろ」「常陸大宮市の林道で殺害」となっていたものの、それではあらゆるところでつじつまが合わなくなってしまうとみた検察・警察は、なんと「「女児の行方不明から遺体発見までの間」「栃木、茨城県内か、その周辺」と、何から何までグーンと広げたむちゃくちゃな訴因変更。

  さすがにこんなものは認められないと思っていたら、高裁はなんと「然るべし」。これで勝又被告はアリバイ主張の手足を完全にもがれてしまったのだ。

  重大なことはまだある。物証がゼロのなか、女児の遺体から第三者のDNA型が検出されてしまった。すると高裁は、法廷で茨城県警の鑑識課員が「キットを水洗いして再利用するなど、問題があった」と証言したことなどを根拠に「捜査過程で他者のDNA型が混入する可能性はあった」。

  取り調べ映像の是非はともかくとして、犯行の「いつ」「どこで」は雲をつかむような話。加えて女児の遺体からは、勝又被告とはまったく別人のDNA型。

  あらためて藤井裁判長に問いたい。「それでも彼はやっている」のですか。

(2018年8月14日掲載)

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2018年8月 9日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

許しがたい 権力かざし選手抑え込む組織
‐ボクシング連盟 告発状に思う‐

  ボクシングの取材というと、はるか四半世紀も前のことになる。1992年夏、宮崎県で行われたインターハイ(高校総体)。東京朝鮮高級学校が東京都大会で優勝していたのに、出場したのは2位になった別の私立校だった。当時の高体連は朝鮮初中高級学校を学校と認めていなかったのだ。

  だけど、このときの朝鮮学校の生徒、先生は悔しいけどメソメソしていなかった。よし、だったら夏合宿をかねて宮崎に行って都の代表校を応援しよう。そうしたら、ぼくらの全国でのレベルもわかるはずだ。

  宮崎では自分たちが負かした選手を応援し、勝てば一緒に肩を組んだ。そんな彼らとともにすごした楽しい取材。高体連がインターハイの全種目に朝鮮学校の出場を認めたのはその数年後だった。

  この取材で監督やコーチから何度も聞かされた言葉は、ボクシングほどメンタルが大事な競技はない。リングに上がれば、たったひとり。闘うのは相手ではなく自分自身。だからみんなストイックに自分を見つめ、まわりのことは目に入らない。アマ、プロ問わず、それがボクサーだという。

  だけど、それをいいことにまわりの人間が彼らの純粋さを利用し始めたらどうなるのか。およそスポーツの指導者とは言い難い振る舞いでまわりの者をかしづかせ、独特の集金マシンでカネを吸い上げる。それとてとんでもない話だが、許し難いのは、その日のためにトレーニングを積んできた選手に到底、承服しがたい判定を下し、異議を唱えればどう喝、威迫をもって泣き寝入りさせる。

  このところ私たちの報道番組も情報番組も、333人の有志から告発状が出された日本ボクシング連盟の山根明会長一色である。12項目もある告発の内容は、どれもこれもとんでもないものだ。だけど告発状の宛先である文科省、スボーツ庁、内閣府、IOCなど8団体にも上る省庁、組織はこれまで何をしていたのか。

  それにしても権力にふんぞり返り、まわりの者をかしづかせ、だれが見てもおかしなことでも黒を白と言い倒す。そんな姿は、この国では果たしてボクシング連盟だけのものだろうか。

  代表の座を持っていかれた相手選手を声をからして応援していた若者たちの瞳が、まぶしく思い出される猛暑の夏である。

(2018年8月7日掲載)

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2018年8月 2日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

殺人事件の半数超が親族間
‐ 治安の良い日本だけど… ‐

  少し和らいだとはいえ、猛暑、極暑の夏。先週はテレビニュースも「暑っつ~い」一色。そんなとき私がコメントすることが多い事件の方も、被害者にはお気の毒だが、なんだか肌にべたつくような不可解、やりきれないものが多い。

  茨城県取手市で母親(63)と銀行員の息子(36)が、息子の妻の遺体を一緒になって自宅の敷地に埋めたとして逮捕された。同じく茨城・かすみがうら市では、アパートのクローゼットに33歳の夫の遺体をコンクリート詰めにして放置した44歳の妻が逮捕された。

  三重県鈴鹿市では25歳の男性が車の中で殺害されていた事件で、45歳のスナック経営の妻と交際相手の29歳の男が逮捕された。いずれも逮捕容疑は死体遺棄だが、殺人容疑に切り替わるのは間違いない。

  こうした事件を報道しながら私は「54・3% 」という数字を出させてもらった。警察庁が先日、2018年版警察白書を公表。昨年認知された刑法犯は91万5111件で、戦後初めて100万件を下回った前年より、さらに減っていることが明らかになった。殺人のような凶悪犯も減り続け、1億2000万人を超える国で殺人事件の被害者は一貫して300人台。世界各国から見たら信じられない治安のよさとなっている。

  なのに、この数字には「だけど」が付くのだ。

  昨年度の速報値は出ていないが、2016年でみると、殺人事件のじつに54・3%が夫婦、親子、兄弟といった親族間なのだ。これは一昨年に限らず、ここ十数年、常に親族殺が殺人事件の半数を占めている。

  なぜなのか。司法関係者も犯罪学者も頭を抱えるところだが、ひとつには「血は水よりも濃し」。他国に比べて家族親族の結びつきがより熱く、強い。だけどそれがひとたびこじれると、すさまじい憎悪嫌悪となって事件に発展するのではないかといわれている。

  それにしても愛し合い、抱きしめ合い、支え合うはずの夫婦、親子、兄弟が殺人の半数を占めるとは…。

  折しも下重暁子さんの著書、「家族という病」「夫婦という他人」がベストセラーになっているとか。家族、夫婦を少しばかりクールダウンしてながめてみる。それも暑っつ~い夏の、ひとつのすごし方という気もしてくるのだが─。

(2018年7月31日掲載)
 

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