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2018年7月

2018年7月26日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

もしW杯に空手のルールがあれば
‐日本のボール回しにオランダから便り‐

  きょう7月24日は2年後の東京オリンピックの開会式の日である。スポーツ全般を見ると、野球は日米ともにオールスター戦が終わって後半戦。サッカーはW杯ロシア大会が閉幕、Jリーグが再開された。そんな折り返し点に、ふと、スポーツについてあれこれ思う。

  悲願かなって東京五輪から競技種目となった空手一筋、私とは40年来のおつき合いになるオランダ在住の今野充昭さんから〈前回の東京五輪で外国人初の柔道金メダリスト、アントン・ヘーシンクIOC元委員(故人)の秘書を務められていたマールティンさんとのやりとりです〉として興味深いメールが届いた。
 
  〈サッカーW杯で日本が決勝トーナメント進出を決め、マールティンさんから「おめでとう!」のメールが入ったとき、気になったことがあってやりとりしたのです〉

  「気になったこと」とは、もちろんポーランドに日本が0ー1で負けていたのに終了10分前からボール回しで時間稼ぎ、決勝トーナメント進出を決めた、あの件である。

  〈空手の大会では1‐1や2‐2で引き分けた場合は、先取点を取っていた選手が勝ちとなります。ただ、引き分けでも「勝てる」と判断した選手が、そのために戦いを逃げたり、時間稼ぎをしたときは、その優先権は取り消しとなります。その結果、引き分けとなった場合は5人の審判の旗判定となるのですが、流れとしては逆に時間稼ぎをした選手が不利となる時があります。サッカーW杯にも空手のようなルールがあれば、ボール回しはどのチームもできなくなる訳です〉

  今野さんはマールティンさんとのやりとりのなかで、スポーツは他競技のルールを比較参照することでより改善されていくのでは、という結論になったという。

  〈ルールといえば日本の剣道のように「一本」のあとガッツポーズをすると、その一本は取り消される競技もあります。剣道でなくても審判に食ってかかるなんて日本の武道競技では切腹に等しい行為です。とは言っても、サッカーで選手が審判に怒鳴るのも、本物の怒りとジェスチャーにすぎないものとがあって、この見極めもおもしろいです〉 な?るほど、競技もいろいろ、ルールもいろいろ。シーズン後半、今野さんにスポーツの、もう1つの楽しみ方を教えてもらった。

(2018年7月24日掲載)

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2018年7月24日 (火)

Webコラム 吉富有治

生活保護制度は市の財政を圧迫する? 
実態を隠す吉村大阪市長に異議あり

  おもに関東地域や首都圏を取材エリアとする東京新聞が、大阪市の吉村洋文市長を批判的に取り上げていると聞いた。さっそく東京新聞の友人に連絡を取り、本紙を取り寄せて読んでみた。なるほど、これは問題だ。

  吉村市長を取り上げのは7月17日付けの東京新聞。同紙で定評のある企画記事「こちら特報部」に載っていた。生活保護法の一部改正案を審議中の衆院厚生労働委員会は今年4月24日、吉村市長を参考人として招致。市長が委員会で説明した生活保護費と市財政の関係が実態を正確に語ったとは言い難く、生活保護制度はひどいという印象だけが独り歩きすると「特報部」は批判した。

  この委員会で吉村市長は、「大阪市は全国の中でも生活保護世帯が圧倒的に多い」と述べ、「受給世帯は11万5000世帯で全国最多。受給率は全国平均が1.67%に対して大阪市は5.2%。歳出額は2823億円と一般会計の15%を占めている」「生活保護費は右肩上がりの状態だったが、橋下市長の時代から不正受給者対策に取り組み、ここ6年間で右肩上がりだった受給世帯の増加は減少傾向にある」と語った。

  大阪市が生活保護世帯のために2823億円(2018年度当初予算)を拠出したのは事実であり、受給世帯率が全国トップなのはその通り。けれど生活保護は本来、国の制度であり、地方交付税分を含めると国が4分の3以上を負担する。大阪市の持ち出しは2823億円の約2%、実際は60億円ほどだ。いくら全国で最多の生活保護世を抱えていても、生活保護費が大阪市の財政を圧迫しているかのような説明は誤解を呼ぶ。いや、むしろ悪意さえ感じる。この点について大阪市の某部局幹部は私の取材に対して、「生活保護世帯減らしを正当化するため、わざと数字を大きく見せたのだろう」と語っていた。

  市幹部の言葉を裏づけるものがある。「橋下市長の時代から不正受給者対策に取り組み、ここ6年間で右肩上がりだった受給世帯の増加は減少傾向」の部分だ。もちろん不正受給者を減らすことは大切だが、減らすことを重視するあまり、大阪市では本当に生活に困っている人が不合理な仕打ちを受けている事実があるのだ。

  大阪市では現在、生活に困窮して区役所に生活保護を申し込んでも追い返される事例は少なくないという。共産党大阪市議団の山中智子幹事長は、「大阪市による生活保護の締め付けは、総論として違法レベルという認識だ」と憤る。「全大阪生活と健康を守る会連合会」(大阪市西区)の大口耕吉郎会長は、「維新市政に変わってから特にひどくなった」と指摘し、具体的な事例として、仮に親族がいても法的には受給を認める必要があるのに、受給決定前に「親族がいるならそこに頼れ」などと、正当な権利がありながら門前払いされるケースが後を絶たないと市の姿勢を批判した。こんな調子で「生活保護世帯は減少傾向にある」と胸を張ったところで、実態は本当に困っている人から生活権を奪っているにすぎないのではないか。

  ウソは言わないが、一部の事実だけを語って真相は決して語らない。これが吉村市長の政治ポリシーなら大阪市民はたまったもんじゃない。吉村市長はまた、7月17日のツイッターでも次のように書き込み、弁護士など専門家から批判を浴びていた。
 
  >ちょっと待て。第二東京弁護士会、やりすぎだ。このアンケートは違法認定されたが、それ以外に野村弁護士が大阪市行政の適正化に果たしてくれた役割は大きい。日弁連、裁判所、現職の大阪市長である俺が公開の場で証言するから呼んでくれ。

  情報番組のコメンテーターでもある野村修也弁護士は橋下徹前市長時代の2012年1月、大阪市の特別顧問に就任し、全職員を対象に組合活動に関するアンケート調査を実施した。ところが、設問の一部に憲法が保障する団結権やプライバシー権を侵害する質問項目が含まれていたとして、大阪府労働委員会のほか中央労働委員会が2014年8月、市の不当労働行為(支配介入)と判断。また、大阪地裁に続いて二審の大阪高裁も2015年12月、22の設問のうち5問が憲法違反だとの判決を出し、大阪市に対して約80万円を原告に賠償するよう命じた。第二東京弁護士会は7月17日、同様の理由で野村弁護士を業務停止1ヶ月の懲戒処分とした。

  吉村市長の先の書き込みは、この処分に対して異議を唱えたものだが、中身は詭弁に満ちている。

  そもそも野村弁護士が第二東京弁護士会から懲戒処分を受けたのは、アンケート調査の一部内容が違憲と認定され、こんなアンケートを市職員に強制すること自体、人権を守る弁護士の使命に反するからである。仮に野村弁護士が大阪市に何らかの貢献をしたとしても、だからといって懲戒処分まで免罪されるわけではない。貢献もあったのだから違法行為を却下しろという言い分など筋が通らない。功は功、罪は罪という峻別すらできないようでは、法とルールに従って行政を運営する自治体トップとしては失格だろう。

  話を大げさに誇張し、市民を煙に巻く。身内には甘く、そうでないものには厳しく臨む。このような市長が「大阪に万博を」「大阪にカジノを」と叫んでいる。万博やカジノの経済効果が「ウン千億円!」と宣伝したところで、いずれも誇張だらけ。何の根拠もない。儲かるのはカジノ業者や土建屋で、ギャンブル依存症や借金問題など、いずれ国民がツケを払うことになるだろう。吉村市政の本質を、大阪市民もそろそろ気がついたほうがいい。

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2018年7月19日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

もう1つの警察の顔に憤りと落胆
再審開始地裁決定
‐酒店経営女性殺害 供述も証拠もでっちあげ‐

  いまも行方不明者の捜索が続く西日本豪雨災害。自衛隊、消防とともに懸命の活動をしている警察官の姿が目に飛び込んでくる。警視庁、大阪府警、栃木、香川、宮城…、ライトブルーにイエローの活動服。ヘルメットの脇から汗がしたたり落ちる。連日、そんな災害報道を続けるABCテレビ(大阪)の夕方の番組、「キャスト」で憤りに落胆、もう1つの警察の顔を見ることになってしまった。

  1984年滋賀県日野町で酒店経営の女性(当時69)が殺害され、金庫が奪われた事件で無期懲役が確定、すでに死亡している阪原弘さんの遺族が申し立てた再審請求について、大津地裁は再審開始を決定した。

  10年前の2008年、私はテレビ朝日の「サンデープロジェクト」(当時)で阪原さんのご家族や現場を取材。「100%冤罪」と報道させてもらったのだが、その後、私自身、何のお力にもなれないまま阪原さんは3年後、「悔しい」の言葉を残して亡くなられた。

  大津地裁の決定は、これまでの警察、検察の捜査、主張を木っ端微塵、まさしく粉砕するものだった。

  任意段階での自白について、阪原さんは取調べ官に顏が変形するほど殴られたうえ、「娘の嫁ぎ先をガタガタにしてやる」と脅され、「娘のために俺はどうなってもいい」と泣いていた。それに自供では「背後から襲った」となっているが、法医学者は「凶行時、被害者はあおむけだった」。さらに金庫が見つかった山林に阪原さんを同行させた引き当て捜査で、「捜査員を案内して投棄現場に向かう被告」として提出された写真は、じつは阪原さんが帰り道、捜査員の前を歩いていた捏造証拠だったことが明らかになった─。

  再審開始決定の根拠となった新たな証拠。裁判所の強い命令で検察、警察が渋々出してきた証拠は無期懲役確定までに出されたものの実に10倍に上るという。

 再審開始決定の翌日、炎天下にご遺族が向かったのは阪原さんのお墓だった。ご存命中に「事件の供述も証拠も、みんなデッチ上げでした」と告白する勇気ある警察官はいなかったのか。

  同じ炎天下、一刻も早くご家族のもとに、と被災地で流れ出る汗をぬぐおうともしない警察官の姿に、詮ないこととはいえ、ふとそんなことを思ってしまう。

(2018年7月17日掲載)

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2018年7月16日 (月)

Webコラム 吉富有治

未曾有の被害を生んだ平成の大豪雨
マスコミの目が届かない被災地区を取材した (下) 

  西予市は2004年4月に5町(宇和町・野村町・城川町・明浜町・三瓶町)が合併して誕生した、人口が約3万7千人の小さな地方都市である。気候は温暖な一方、台風の通り道としても知られている。私が生まれた明浜町は漁業やミカン農家を営む家が多く、西予市も一次産業や食品加工などの二次産業が盛んな街だ。
 
  今回の豪雨では西予市の中でも、特に野村町が大きな被害を受けた。町を流れる肱川が氾濫して5人の死者を出し、多くの家屋が水没。今も自衛隊などが必死の救助活動や復旧活動に励んでいる。私の故郷である明浜町宮野浦は死者こそ出なかったが、一部では山崩れが起きてミカン農家が打撃を受けた。

  その西予市の隣りにある宇和島市吉田町では、さらに深刻な事態に見舞われた。吉田町は、愛媛県が「みかん研究所」を設置するほど県内でもミカンの出荷量が最大の地域であり、愛媛のミカンと言えば大半が吉田町産である。その吉田町のミカン農家の被害は明浜町の比ではない。
 
  宇和海を望むリアス式海岸。この美しい海岸線沿いに位置する吉田町でまず目につくのは、到るところで山が崩れていることだ。高台から吉田町を見下ろすと、まるで大きな爪で引っ掻いたような山崩れの跡が1つの山だけで何本も見える。崩れたのは大半がミカン畑。中には壊滅状態の畑もあった。

  その吉田町の海岸線を11日、クルマで走っていると道の脇で車座になって何かを話し合っている15人の男性たちに遭遇した。聞くと、全員がミカン農家の方たちだ。皆さん、深刻な表情をしている。その中の70代の男性が口を開いた。

  「一昨日までこのあたりの道路一面が土砂で埋まり、クルマも人も通れない状況だった。そこで自分たちで手分けして泥土を端に寄せ、昨日からどうにか通れる状況になった。だが、誰かが『ここは国道だから、勝手な作業をやれば国や役場から文句が来るのではないか』と言い出したので、いまは作業をストップしてる。とは言っても、道路の土砂を取り除かないと仕事も生活もできない。あとで国や役場から文句を言われないために、どれほどひどい状況かの証拠の写真を撮っておこうという話をしていたんだ」と説明してくれた。

  今、豪雨の被害に遭った地域は緊急事態の真っ只中である。地元の人が生活道路を自力で補修したところで国や県が文句が言ってくるとは思えないが、それだけ不安と疑心暗鬼が人々の心に渦巻いているのだろう。さらに話を聞くと、当面の不安は補修に必要な経費を誰が負担するかのようだ。60代の別の男性が話してくれた。

  「ここには役場から被害の確認はまだ来ていない。人命が最優先だから、まずは人命救助と断水の復旧を急いでいるのだろう。われわれのようなミカン農家や生活道路の修復は後回しだ。そうは言っても、このままではわれわれも仕事はおろか生活もできない。ショベルカーやトラックをレンタルして自力で復旧するしかない。この費用は国や役場が負担してほしいが、出してくれないのなら自腹を覚悟するしかない」
 「正直、いまはミカン畑のことは考えられない。目の前の泥土を取り除くことで精一杯だ。しかし、ミカンの被害は甚大だと思う。少なくともわれわれの今年の売上はゼロだ」

  どうやらミカンの木々を植えた段々畑へと通じる主要な農道が土砂で破壊され、そこから枝分かれした各畑へ通じる農道には入れないのだという。つまりメインの農道が復旧しない限り、仮にミカン畑が無事でも水やりが必要な真夏の時期に農作業はできない。このまま放置すれば、甘くて美味しいミカンの収穫は難しくなる。生活道路の補修コストの不安に加え、生活の糧であるミカン畑すら壊滅状態。これでは平静な気持ちを保てという方が難しい。

  彼らの不安や疑心暗鬼はこれだけではない。なぜか他府県ナンバーのクルマに目を光らせているのだ。豪雨の被害がメディアに出始めた8日あたりから、ツイッターでは「大阪ナンバーのクルマに乗る窃盗団がいるらしい。注意してください」という情報が吉田町や広島県で拡散され、一部では地区の回覧板にも同種の情報が回し読みされたという。私が乗るクルマも、その大阪ナンバー。やはり、疑われたようだ。50代の男性が言う。

  「最初、あんた(注・吉富)のクルマが目の前通り過ぎたとき、大阪ナンバーだったので実は全員が身構えた。でも、誰かが『あの運転手は人の良さそうな顔している。ドロボーじゃないと思う』と言ったので、『そうなのかなぁ』と一応は安心はした。けど、それでも念のため、ナンバーは控えさせてもらったけど」

  そこで私は、それは広島でも流れているデマ情報で、宇和島警察も広島県警も公式に否定していると説明すると、みな一応は納得してくれた。だが、それでもある男性は「いや、俺の知り合いが昨日、警察が大阪ナンバーのクルマを追いかけているのを見たと言っていた」と真顔で語り、心底から納得しているようにも思えなかった。生活と仕事の不安は、デマをデマと見分ける冷静さすら奪ってしまうようである。
 
  愛媛県や広島、岡山などの被災地では行政、鉄道会社や電力会社、またボランティアが復旧作業に励んでいる。断水して風呂はおろかシャワーすら浴びられない人たちのために、自衛隊は臨時の仮設風呂を何か所かに設営した。ここ愛媛県明浜町や吉田町でもいずれ停電や断水も直り、通行止めの道路も開通するだろう。しかし、被災した人たちの心理的、経済的なダメージはボディーブローのようにじわじわと効いてくる。やむなくミカン畑を手放す人も出てくるかもしれない。

  そんな被災者のため国や行政は、そしてマスコミは何ができるのか。複雑な気持ちを抱えながら取材を終えた私は、深夜の高速道路を一路、大阪に向けて走らせていた。


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2018年7月13日 (金)

Webコラム 吉富有治

未曾有の被害を生んだ平成の大豪雨
マスコミの目が届かない被災地区を取材した (上) 

  西日本を中心に大きな被害が出た7月の大豪雨。警察庁の発表では12日現在、全国14府県で200人の命が奪われ、避難者数7085人、断水23万5000戸、家屋の被害は2万4150棟にも上った。そのうち愛媛県では県内で死者26名、行方不明者2名、大洲市と西予市、宇和島市、上島町の4市町の一部では計2万2415世帯が現在も断水が続いている。
 
  私は10日、その愛媛県の西予市明浜町を目指してクルマを走らせていた。明浜町宮野浦は私が生まれた故郷だ。今もこの一帯の集落には親類縁者が住んでおり、親類や独居老人のために食料品や日用品の支援物資を運びつつ、同時に災害取材をおこなうためだった。
 
  さて、四国の大動脈である高松自動車道から松山自動車道へとクルマを走らせていると、ふと気がついたことがあった。愛媛県や高知県など四国の各地に大雨が等しく降ったというのに、高速道路から見る風景は普段とまったく変わらないのだ。被害が大きかったはずの大洲市や西予市に近づいても、いつものように山々は初夏の濃い緑で覆われ、広がる田畑には稲がすくすくと育っている。ブルーシートで山肌を隠す場所もなければ、テレビや新聞で見るような被害は高速道路からはどこにも見当たらない。
 
  ところが、高速道路を降りて一般道に入り、山間部の峠道を走って親戚宅のある明浜町へ入るころには様相が一変する。ところどころに災害の傷跡が見えてくる。薄暗くて狭い道路の脇には倒れた大木や転げ落ちた岩が迫っている。山肌からは水が大量に湧き出す場所にも出くわした。どうやら災害はピンポイントで襲っている。大地震のように被害が等しく広がっているのではなく、今回の豪雨は一部の地域のみ被害が大きく、被害を受けなかった地区との差が激しすぎる印象を受けた。
 
  大規模な洪水に見舞われた野村の場合は原因が明確だ。水没した一帯の近くには肱川があり、タイミングを誤ったダムの放流が水害を招いたといわれている。だが、吉田町や明浜町の被害はなぜ起きたのか。川が氾濫したわけではない。山が崩れて泥と鉄砲水が流れ落ちてきたからだが、それなら他の場所だって山が崩れていいはず。だが、実際はそうなっていない。この点は今後、十分な検証が必要だろう。
 
  故郷の宮野浦は幸い、死者こそ出なかったが大規模な山の崩落が2か所あった。家が2軒つぶされ、駐車場に停めていたクルマ4台が土砂や瓦礫の下敷きになった。これほどの土砂崩れだから、さぞかし大きな音がしたのだろうと思っていたら、付近の人は轟音に気がつかなかったという。土砂崩れの場所から50メートルも離れていない場所に住む82歳の老人は「土砂崩れの音はまったく聞こえなかった」と証言し、ほかにも数人が同様の証言をした。つまり、大雨の音が土砂崩れの響きすら打ち消してしまったようなのだ。

 
  いったいどのような豪雨だったのだろうか。みかん農家を営む40代の男性は、「バケツがひっくり返ったという表現があるが、それでも物足りないくらいだった。7日夜、仕事で出かける必要がありクルマに乗ったが、ワイパーを最大にしても前が見えなかった。風が吹き、かなり大粒で激しい勢いの雨が長時間にわたって降っていた。そのうち山から流れる近くの小さな川があふれ出し、泥水が20世帯以上を襲って床上浸水の被害が出た」と話し、先の82歳の老人も「これまで生きてきて、こんな大雨の経験はない」とその恐怖を語っていた。

 被害は家屋の倒壊や床上浸水だけではない。無事だった家庭でも、しばらくは生活していくことが難しくなっている。

  高齢者が多いこの地区では、宇和島市内へ向かう複数のルートが通行止めのため、今も生活の足である路線バスがストップしている。寸断されていた一部の高速道路や一般道は通行可能となり、物流は回復して町のスーパーには日用品や食料品は戻りつつある。だが、高齢者にとって事情は違うようだ。70代後半の女性が言う。

  「路線バスが止まっているので、買い物に行けない。スーパーに食料品はあっても買い物に行く手段がない。バスは年寄りにとって唯一の交通手段。いまは冷蔵庫や倉庫に置いてある食料品を食べて暮らしている。早くバスが動いてくれないとクルマを持たない年寄りが困るだろう」

  また、「幸い、ここは断水こそしていないが、蛇口からは白く濁った水が出る。洗濯や風呂はいいが、飲水にするためには一度沸かさないと飲めない」という声も耳にした。私も確認したが、確かに水道水はわずかに濁っていた。

  豪雨の災害から約1週間。復興への道のりはまだまだ遠い。(つづく)

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2018年7月12日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

極刑臨んだリンちゃん父の悔し涙
無期懲役の判決
‐オウムの7人死刑執行と同じ日‐

  大変な豪雨禍に見舞われた先週金曜日。そこにオウム真理教事件の首謀者、松本智津夫死刑囚(63)の死刑執行の一報が飛び込んできた。続いて幹部6人、計7人の執行が明らかになった。取材に多くの時間を費やし、テレビなど 随分、討論してきた事件だが、私自身、大した感慨はなかった。

  公判途中で精神疾患に陥ったとされる松本死刑囚が今後、真相を口にする可能性があるなら、それを待つべきという考えもあった。といって、事件から23年、国民の8割以上が死刑制度を支持する国として、これ以上の猶予は許されることではないという思いもある。

  地下鉄サリンなど13事件、死者29人、負傷者6500人。平成で最も凶悪とされる事件は、実行犯の教団幹部13人の命をもって償う道以外ない。ただその同じ日、国際社会の厳しい批判の中、こうして死刑を執行する国に対して、いささか考え込まされることもあった。

  ベトナム国籍の小学3年レェ・ティ・ニャット・リンさん(当時9)に性的暴行を加えて殺害した同じ小学校の元保護者会会長、渋谷恭正被告(47)に千葉地裁の裁判員裁判は、遺族が願っていた死刑ではなく、無期懲役の判決を言い渡したのだ。

  手錠まで用意した被告に、口では言い表せない卑劣なわいせつ行為をされたリンさんだったが、父親のハオさんは「A子でもB子でもない、リンはリン」とあえて実名も映像も公開して極刑を願ってきた。

  一方で渋谷被告は「すべて間違っている」と全面否定。そのうえで「通学路で子どもが行方不明になるのは親の責任だ」とまで言い放ったのだ。

  だけど被害者が1人であるうえ、「計画性がなく、死刑がやむを得ないとは認められない」として、地裁は被告を無期懲役としたのだ。「悔しい」と涙を流す父親。この判決は、5月新潟で、やはり小学生の女の子を性的暴行目的で殺害、列車にひかせた事件の裁判にも影響してくるはずだ。

  あえて聞きたい。この被告に「生涯を全うさせる」と認める理由はなんなのか。

  ニャット・リンさんの「ニャット」はベトナム語の「日本」の意味。大好きだった日本。だけどこんな被告に死刑を言い渡すことのない、ニャットの国の死刑制度をリンさんはどんな思いで見ているのだろうか。

(2018年7月10日掲載)

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2018年7月 5日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

引き継がれる沖縄の戦後
‐悲劇知らない世代が伝えていく バトンの色を変え‐

  前回、大阪の地震にふれたので少し書くのが遅れてしまったが、沖縄は6月23日、先の大戦の組織的戦闘が終わったとされる慰霊の日を迎えた。今年も東海テレビの番組で、その少し前、那覇、糸満を訪ねてきた。

  今回の取材は沖縄戦の末期、地下壕の陸軍病院で負傷兵の看護に当たり、女生徒222人のうち123人が犠牲になった「ひめゆり学徒看護隊」。その悲惨さを後世に伝える「ひめゆり平和祈念資料館」の館長に、島袋淑子さん(90)に代わって、壕の悲劇を知らない戦後世代の男性、普天間朝佳さん(58)さんが就任したと聞いたのだ。

  それに修学旅行生たちに体験を伝える証言者も、いまでは島袋さんを含めてわずか7人。館ではこの方たちの体験を引き継いでいく説明員を養成、37歳の尾鍋拓美さんをはじめ3人の女性が学徒の遺影の前に立つ。

  風化するひめゆり、そして沖縄の悲劇…。

  だが、お会いしたみなさんの思いは違った。島袋さんは、この祈念館が国内の他の平和施設と違うのは、ひめゆりの生存者が自らお金を出し合い、寄付を募って開館したことだという。「だから館の全員に、早くからこの体験をだれかに伝えておかなければ、という思いが強かったのです」。

  その島袋さんから館長を引き継いだ普天間さんは、どうしても生存者のみなさんは、そのあと結婚する、お子さんが、孫ができる。そのたびに、亡くなったクラスメートに申し訳ない、という思いが強かったという。それが証言者から説明員に。「1歩踏み出して、この方たちが歩んできた女性としての戦後を客観的に伝えることもできるのでは、と思っているのです」。

  37歳、説明員の尾鍋さんは、これまで証言者は、ご自分の体験を話すだけだった。だけど説明員は6人、7人の生存者の思いをわが身に取り込むことができる。逃げまどい、友を失った現場には、米軍基地のフェンスが張りめぐらされている。「館で声高に叫ぶことはなくても、みなさんの、戦争は絶対にダメ、戦争は嫌いという思いは痛いほど伝わってきます」。そして「それは私たちの世代でも伝えられることだと思うのです」。

  戦争の終わっていない沖縄の戦後は、バトンの色を少し変えて、しっかり次世代へと引き継がれていく。 

(2018年7月3日掲載)

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