日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏
あのときの小さなこと
-大阪府北部地震で思う-
阪神・淡路、中越、そして東日本、さらには熊本。大震災の被災地はことごとく取材してきた。だが幸い被害は少なかったとはいえ、わが家のある大阪北部・豊中市が被災地になるとは思ってもみなかった。そしていま、しみじみ防災、減災は日々の小さなことの積み重ね、と感じている。
地震のとき、私は東京。文化放送のラジオの打ち合わせの直前だった。豊中の自宅も事務所スタッフの家も、たちまち携帯は通話不能。番組を終えて、やっと話すことができた妻もスタッフも、ともに「怖かった~」。だけど家では物が壊れたりしたけど、けがはなし。一方、妻の話だと、この朝は普段おっとりした地域のみんながコマネズミのように走りまわったという。
直後は余震が怖くてメールのやりとりだったが、それが収まると、最近、認知症が心配されていたおばあさんの家に。続いて少し離れた家には電話をかけ、近い所はインターホンをピンポン。たちまち顏なじみ十数軒の安全が確認されたのだ。わが家の向かいの奥さんの口癖は「絆なんて言うけど、私らには、お互いさまいう言葉があるやないの」。まさにお互いさまの朝だった。
地震による死者5人のうち、高槻市の小学生の女の子を含めて2人がブロック塀の下敷きになった。思い出すと数年前、わが家の裏のお宅が「境のブロック塀に鉄筋は入っているけど、万一に備えて金属ネジで補強したい」と言ってこられた。だが、そうするとわが家の方にネジの下の部分がはみ出ると申し訳なさそうにいう。でも安全のためならノーはない。もちろん塀は、いまもしっかり立っている。
高槻の女の子は気の毒としか言いようがない。「危険」とわかっていたというが、原因が地震だと責任追及は難しい。それより通学路に限らず、全国のブロック塀をすべて点検して2度と命が奪われることがないようにする。それが幼い命に報いる唯一の道ではないか。
こうして原稿を書いているわが家の前の道路は昨年末まで「いつまでやってるんだ」の苦情噴出の中、〈地震に強い水道管に替えています〉の工事が行われていた。もちろん、この地震で漏水も断水もなかった。
「あのときの小さなこと」が、じつは安全を支えている。いまあらためて、そんなことを感じている。
(2018年6月26日掲載)
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