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2018年5月

2018年5月31日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

スポーツに「法律」が入る日がくるかも
‐日大アメフト部の悪質タックル問題‐

  日大アメフト部の悪質タックル問題。事件記者生活が長かったこともあって、事件になる可能性についてコメントを求められることが多い。

  結論から先に言うと、私は内田正人前監督や井上奨前コーチに厳しい刑事処分が科されるべきだと考えているし、いまの流れはそうなりつつある。その根拠は─。

  当初、警視庁はこの問題の立件に慎重だった。だがその流れを一気に変えたのが、加害者の日大アメフト部員とその翌日夜の日大前監督、コーチ、ふたつの記者会見だった。言うまでもなくスポーツのプレーで起きるけがは「正当な業務は罰しない」とした刑法35条に当たり、警視庁もそこを重視していた。だが日大アメフト部員は会見で自分の弱さを認めたうえで、井上コーチから「相手のQBがけがをして秋の試合に出られなくなったら、こっちの得だろ」と言われたことを素直に告白した。

  そうなるとこれはプレー中の正当な行為とは180度違う。スポーツの中で起きたことではなく、スポーツの中に6カ月先を見据えた計画的傷害事件を潜り込ませたのだ。当然、捜査当局はこの告白に対する前監督、コーチの言動を注視した。

  ところが翌日夜、急きょ記者を集めた会見で前監督は「指示はしていない」。コーチも「つぶしてこいとは言ったが、それは闘志を出してやれという思いだった」「QBをつぶせは、けがをさせることが目的ではない」と、ともに全面否認。そのうえで、あらかじめ用意していたと思われる日大病院の病棟に直行してしまった。

  こうなると、かかっている嫌疑を全面否定したうえに口裏合わせ、真実を証言しようとする人に対する威迫、証拠隠滅。さらには過去の政界事件のように入院を理由に任意捜査に応じない事態も十分に考えられる。

  こうした緊迫した事態に私たち報道関係の間では、警視庁はそう時をおくことなく、一気に動くのではないかという観測が飛び交っている。ルールとマナーのみによって支えられてきたスポーツに、ついに「法律」が入る日がやってくるかもしれない。もちろん裁判所の判断を仰ぐのもよし。

  だが、グランウンドで、ピッチで、リングで起きるすべてを愛する私たちとって、これが「最後の事件」であることを願うばかりだ。

(2018年5月29日掲載)

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2018年5月24日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

「情けない! もっと戦え!」
‐頼れる兄貴岸井さん最期の言葉‐

  またひとり、頼りになる兄貴というか、心強い仲間が逝ってしまった。毎日新聞特別編集委員の岸井成格(しげただ)さんが15日、亡くなられた。

  私より1つ上、73歳だった。毎日と読売、それに政治部と社会部という違いもあって、テレビ出演で同じテーブルにつくことはめったになかったが、まるで定番のようにお目にかかる機会があった。

  ジャーナリストや作家、学者の緊急アピールや抗議声明。プレスセンターや外国特派員協会での記者会見。安倍政権になってそれが急激に増えたような気がする。そうしたとき声明文を読み上げるのは、筑紫哲也さん亡きあとは岸井さんの役目。いつもはお酒好き、愛嬌のある笑顔の岸井さんが、その場面では射るような視線を会場に送っていた。

  最後になったのは、昨年4月27日の参院議員会館での「テロ等準備罪」という名の共謀罪法案に反対する記者会見。そのとき私たちの間でちょっとした議論があった。記者に配布する声明文に「もう遅きに失したかもしれませんが…」という文言が入っていたことに、一部の参加者から「早々とあきらめてどうするんだ」という声があがったのだ。一方で文案を作った人たちは「政治の現実をきちんと見ようじゃないか」と反論。

  答えが出ないまま、読み上げをまかされた岸井さんは声明文がそのくだりにさしかかると、このころすでに弱くなっていた声を振り絞って「もう遅きに失した…の一文は全面削除、カットします!」と言い放ったのだ。一瞬静まる会見場。結果としてそれから2カ月もたたずに法案は強行採決されるのだが、岸井さんは最後の1分1秒まで闘うと言下に言い放ったのだ。

  訃報の載った毎日の紙面に後輩の与良正男記者が評伝を書いている。最後の出社となった昨年暮れ、岸井さんは与良さんの肩につかまりながら、絞り出すような声で言った。

  〈「情けない!」―。

  民主主義とジャーナリズムの危機を強く感じていたにもかかわらず(中略)その思いを発信できない。無念だったろう。もっと戦いたかったろう。私はぼろぼろ涙をこぼしながら廊下を歩いた…〉

  あとに続く私たちに、岸井さんの最期の言葉は「情けない! もっと戦え!」と聞こえてならない。

  (2018年5月22日掲載)

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2018年5月17日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

スピード解決導いた地道な行動確認
‐新潟小2女児殺害‐

  奈良、広島、栃木、秋田…、登下校中の女の子が殺害された事件は何件も取材してきたが、怒りで足が震えた現場は初めてだ。新潟市西区の小学2年、大桃珠生さん(7)が殺害されたうえ、線路に遺棄された事件は14日急転、新潟県警は近所に住む23歳の会社員を死体遺棄容疑などで逮捕した。

  悲しみの底にいる珠生さんの家族、級友、先生に、新潟県警は事件後1週間というスピード解決で報いてくれた。

  新潟県警が逮捕にこぎ着けた最大の背景は、白い不審な車でもサングラスの男でもなかった。地道に丹念に珠生さんの足取りを追ったことと、徹底した不審者に対する24時間行動確認だった。

  午後3時すぎに学校を出た珠生さんは友だちと別れて3時15分ごろ、幹線道路から人通りの少ない線路脇の道に入っている。自宅まで約400㍍。その間、約200㍍の所で、たとえば、近所のおばさんがピンクの傘を差す珠生さんとすれ違っていた。だけど、そこから自宅までの間は珠生さんと会った人はいない。となれば珠生さんは、この直後に事件に遭ったと推測される。この近所に住む男が容疑者だったとしても、不自然な点は全くなかったのだ。傘も靴も落ちていないことから、強引というより言葉巧みに誘い込まれた可能性が高い。

  その後、珠生さんが人目にふれるのは、変わり果てた遺体となったJR越後線上だ。だが電車にひかれた午後10時29分という時間も重要な手がかりだった。このころ現場周辺では、学校関係者や警察官が「珠生ちゃーん」と叫んで必死の捜索を続けていた。終電まで1時間もあるのに、その時刻、遺体を抱えて線路に近づけば見つかる危険性が高い。だけど犯人は遺体と一緒にいるわけにはいかなかった。この時間には帰宅する家族がいたのではないか。その時間が迫り、ランドセル、靴も一緒に遺棄したのではないか。

  これらのことを見ていくと、白い不審車やサングラスの男といったメディア情報に一切惑わされてこなかった新潟県警の捜査方針が見事に結実したと私は見ている。

  いずれにしても、数年に1度は登下校中の女児が毒牙にかかる。私たちはこんな社会と何とか決別できないものだろうか。

(2018年5月15日掲載)

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2018年5月10日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

歌津の海の兄弟みこしは復興の足音
‐南三陸町 11年ぶり船渡御‐

  おはやしが流れるなか、大漁旗をなびかせて歌津の海を進む2隻の船。それぞれの船におみこしが鎮座している。兄弟船ならぬ、兄弟みこしだ。

  大型連休の後半は東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町ですごした。全国的にメイストームとなった4日。だけどまさに神通力、おみこしの船渡御の間、海は五月の陽光に輝いていた。

  先の船のおみこしは震災の翌年2012年3月、静岡県裾野市の三嶋神社から歌津の三嶋神社にお輿入れしたお兄さん。後ろの船のおみこしはこの日、裾野の三嶋神社からやってきた弟分。6年ぶりの兄弟顔合わせとなったのだ。

  津波で壊滅的打撃を受けた南三陸。歌津の三嶋神社のみこしや笛太鼓もみんな流されて、春秋の例祭もできない事態。そのことを救援物資を届けにきて漁師の千葉正海さんから聞いた裾野三嶋神社の氏子の男性が「同じ名前の神社の氏子同士、よし、うちのおみこしを一基、寄贈しましょう」となったのだ。

  こんな太っ腹な話を千葉さんから聞いた私は震災翌年の3月、裾野のおみこしお輿入れの模様をテレビで全国に流させてもらった。このとき、歌津の氏子が裾野のみなさんと交わした約束は「復興のめどがついたら、船渡御の大祭をやります。そのときは、ぜひ弟分のおみこしも一緒に」。

  じつに11年ぶりの船渡御。神主さんが清めの海水をみこしにかける神事。「富士山のふもとしか知らないみこしが三陸の海の水を浴びるとはなあ」。裾野の氏子の笑顔が船上に並ぶ。陸では子どもみこしも復活した。300年続く歌津のみこしは、白装束の担ぎ手が和紙を口に挟んで一切声を出さない独特の習俗。対する裾野のみこしは、ワッショイの掛け声とともに、みこしを宙に舞い上げる勇壮さ。

  復興がなったといっても、歯止めのきかない人口減。猛スピードで進む高齡化。もちろん道半ばだ。だけど伊里前地区では、ご先祖が残してくれた里山を切り開いて、高台に住宅もできた。練り歩くみこしに涙ぐんでいた女性は、「津波で家族が2人減りましたが、孫が3人できて7年前より1人増えました」と、まぶたを拭って笑顔に戻る。

  人々が前を向いて歩く、たしかな足音が聞こえてくるようだった。

(2018年5月8日掲載)

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2018年5月 3日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

終わりつつある「圧力あるのみ」の時代
‐一気に加速、南北有効融和の流れ‐

  先週のビッグニュースは、北朝鮮の首脳として初めて、金正恩委員長が軍事境界線を越えて韓国の文在寅大統領と握手を交わした南北首脳会談だっただろう。合意内容の評価はさまざまだろうが、私はある種の感慨をもって番組でコメントさせてもらった。

  なにしろ、これでもかと言わんばかりの融和友好ムード。民族衣装の栄誉礼に、松の木の記念植樹。土は両国の最高峰から。水は互いの首都を流れる川の水。夕食会には、製麺機まで持ち込んで名物、平壌冷麺がふるまわれたという。

  先に「ある種の感慨」と書いたのには訳がある。私が「よど号」ハイジャック犯の取材で平壌を訪ねたのは1996年秋。もちろん案内役と称して朝鮮労働党のエリート職員が監視役につくことは事前に聞いていたが、このときは5日間、がんじがらめ。というのも、訪問中に南北が一気に戦闘状態に発展しかねない「江陵(カンヌン)潜水艦事件」が起きたのだ。

  韓国内に潜入させていた工作員を収容しにきた北朝鮮の特殊潜水艦が座礁、韓国軍に見つかって工作員は山中に逃亡。2カ月に及ぶ掃討作戦の結果、1人を逮捕、13人を射殺したが、11人は自決。韓国側も軍人や警官計17人が殺害された。

  私はハイジャック犯が聞いていたNHKの国際放送で事件を知ったのだが、もちろん平壌市民は何ひとつ知らされていない。ただ監視役の労働党員は、異常事態であることは聞かされていたようで常にピリピリ。私をお定まりの見学コース、金日成主席生誕の家や博物館、サーカスに案内する間も、市民と接触しないように異様な警戒ぶりだった。

  あれから22年。その間、一部被害者の帰国後はまったく進展のない拉致問題。さらには核実験にミサイル発射。だけど、軍事境界線を越えて南の土を踏んだ金委員長が、今度は文大統領と手をつないで再び境界線をまたいで北の地に。見事な演出に涙を流す韓国国民もいた。

  もちろんこの南北会談の評価は、6月の米朝首脳会談の結果をみなければ定まらない。だけど、一気に加速する友好融和の流れ。

  そんな景色のなかで「圧力あるのみ」「対話のための対話はしない」…の時代は終わりつつある。景色が変わったと感じるのは、私だけだろうか。

(2017年5月1日掲載)

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