日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏
「いまの時代」言葉の裏にある腹の底
‐セクハラ問題渦中の2人‐
私が一番おつき合いの長いテレビ局の女性記者が被害にあったセクハラ事件。新聞、テレビからコメントを求められたり、意見を聞かれたり、聞いたり。気持ちの重い週だった。さまざま届いた声の中から、強く心に残ったことをいくつか。
麻生財務大臣とセクハラ当事者の福田淳一財務事務次官の口から飛び出した同じフレーズ。麻生大臣は「いまの時代、あれはアウトだろうな」。福田次官はセクハラに対する認識の甘さを指摘されて、「なるほど、いまの時代は、そういう感じかな」。
この「いまの時代」という言葉。身近な女性たちから、なぜ囲み取材の記者たちは、その場で「それが間違っているんだっ」と言わなかったのか、という声がたくさん寄せられた。
指摘されるまでもなく、「いまの時代」という言葉の裏には「昔の女性はこれくらい我慢した。聞き流した」。「それにくらべていまの女性は、これくらいでも許さない。騒ぎ立てる」という思いがこもっている。こうした男の腹の底こそが、セクハラ被害を出し、これからも出し続けることになるのではないのか。
そんな思いのなか、このコラムに何度か登場したH君と一夜、グラスを重ねた。H君は40代半ば。光をまっ たく失った全盲。なのに都心で私とさんざん飲んだあと、白いつえ1本を頼りに吉祥寺まで帰る剛の者だ。
もちろんセクハラなんて、とんでもない。それに弱い立場といっても、女性と障がい者はまったく違うとしながらもH君は「でも、こんなことが続くと、もともと少ないぼくらの友だちがますます減ってしまうんじゃないか、心配なんです」と言う。
長いおつき合いの中で、私のように酔ってH君の目のことなど忘れてしまう友だちはめったにいない。たまに席を一緒にしても、これを言ったら傷つけるのではないか、差別になるのではないか。見えない目に、席を立ちたい様子が見えてくる。
「神経を使い合う社会が、ぼくらの世界をもっと狭めているような気がするんです」
女性も男性もLGBTの人たちも、さらには障害のある人もない人も、気を使い合うことなく暮らしていける社会。むずかしいようで、案外やさしい。いや、やさしそうで、やっぱりむずかしいこのことと、しっかり向き合っていくしかないように思うのだ。
(2018年4月24日掲載)
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