« 2018年3月 | トップページ | 2018年5月 »

2018年4月

2018年4月26日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

「いまの時代」言葉の裏にある腹の底
‐セクハラ問題渦中の2人‐

  私が一番おつき合いの長いテレビ局の女性記者が被害にあったセクハラ事件。新聞、テレビからコメントを求められたり、意見を聞かれたり、聞いたり。気持ちの重い週だった。さまざま届いた声の中から、強く心に残ったことをいくつか。

 麻生財務大臣とセクハラ当事者の福田淳一財務事務次官の口から飛び出した同じフレーズ。麻生大臣は「いまの時代、あれはアウトだろうな」。福田次官はセクハラに対する認識の甘さを指摘されて、「なるほど、いまの時代は、そういう感じかな」。

  この「いまの時代」という言葉。身近な女性たちから、なぜ囲み取材の記者たちは、その場で「それが間違っているんだっ」と言わなかったのか、という声がたくさん寄せられた。

  指摘されるまでもなく、「いまの時代」という言葉の裏には「昔の女性はこれくらい我慢した。聞き流した」。「それにくらべていまの女性は、これくらいでも許さない。騒ぎ立てる」という思いがこもっている。こうした男の腹の底こそが、セクハラ被害を出し、これからも出し続けることになるのではないのか。

  そんな思いのなか、このコラムに何度か登場したH君と一夜、グラスを重ねた。H君は40代半ば。光をまっ たく失った全盲。なのに都心で私とさんざん飲んだあと、白いつえ1本を頼りに吉祥寺まで帰る剛の者だ。

  もちろんセクハラなんて、とんでもない。それに弱い立場といっても、女性と障がい者はまったく違うとしながらもH君は「でも、こんなことが続くと、もともと少ないぼくらの友だちがますます減ってしまうんじゃないか、心配なんです」と言う。

  長いおつき合いの中で、私のように酔ってH君の目のことなど忘れてしまう友だちはめったにいない。たまに席を一緒にしても、これを言ったら傷つけるのではないか、差別になるのではないか。見えない目に、席を立ちたい様子が見えてくる。

 「神経を使い合う社会が、ぼくらの世界をもっと狭めているような気がするんです」

  女性も男性もLGBTの人たちも、さらには障害のある人もない人も、気を使い合うことなく暮らしていける社会。むずかしいようで、案外やさしい。いや、やさしそうで、やっぱりむずかしいこのことと、しっかり向き合っていくしかないように思うのだ。

(2018年4月24日掲載)
   

|

2018年4月19日 (木)

Webコラム 吉富有治

自民党大阪の会合に安倍首相が出席 首相に「都構想反対」と言わせた真意はなにか

  安倍晋三首相は4月13日、翌日に大阪市内のホテルで開かれる自民党大阪府支部連合会(府連)の臨時党員大会に出席するため来阪した。首相が府連の大会に出るのは初めてで、きわめて異例のことである。森友学園問題や加計学園問題、さらには自衛隊の日報隠し問題で野党とマスコミから集中砲火を浴びて内閣支持率が下がるなか、また大阪維新の会の松井一郎代表(大阪府知事)に近いといわれる安倍首相が地方の大会で何を語るかが注目された。

  さて、新聞やテレビでも報道されたように、真っ先に飛び出したのは「都構想反対」という首相の一言だった。これには自民党大阪の府議や市議らは大喜びし、その反対に松井代表は「リップサービスだ」と不快感を示した。

  なぜ安倍首相は「都構想反対」と語ったのか。その一言を引き出した自民党大阪府議団の花谷充愉(はなやみつよし)幹事長に話を聞いた。

  ― 13日の夜、大阪選出の国会議員や府連幹部の府議、市議らが大阪鶴橋の焼肉屋で首相と会食した。いわゆる"モリカケ問題"が再燃するなかで安倍首相が来阪することに複雑な気持ちだったのでは?

  安倍首相が4月14日の臨時党員大会に出席するのは今年2月半ばに決まっていたことだが、モリカケ問題などで内閣支持率は下がっており、首相の来阪は大阪府連にも悪影響が出るのではないかという不安の声が一部の議員から出されていた。ただ、最終的には国会議員団が判断し、来てもらおうということになった。

  ― モリカケ問題で、たとえば「地方議員が困っている」などと首相に直接、文句を言ったのか。

  焼肉屋での会食は約30人が参加したが、その話は出なかった。ただ、同じ日の夜には大阪・帝国ホテルで別の会合があり、テーブルごとに首相が挨拶に回ったが、そこでどんな話があったのかはわからない。

  ― なぜ、モリカケ問題を安倍首相に言わなかったのか。

 加計学園問題はともかく、森友学園問題は国政の問題であると同時に大阪府の問題でもある。この問題を追及している自民党大阪府議団が今後も百条委員会の立ち上げを目指し、なぜ大阪府が森友学園の小学校設置申請を認め、有識者からは「問題あり」とされたのに「(条件付き)認可適当」としたかを追及する姿勢は変わっていない。今後あらたな事実が出てきて百条委員会で関係者を呼び、結果として首相に火の粉が降りかかることになったとしても私たちは追及の手を緩めることはない。府議会は国政とは立場が違うので、大阪の問題は府議会で問いたい。だから安倍首相にモリカケ問題を問わなかったのだ。

  ― 既に報道されているが、焼肉屋の会食で首相は「都構想には反対」と語ったという。首相にそう言わせようという作戦があらかじめ決められていたのか。

 あらかじめというより、私たちは都構想を大阪の問題として共有していたので、いずれ首相には話そうという雰囲気は以前からあった。焼き肉を食べながらの楽しい雰囲気をぶち壊すようで恐縮だったが、最初に私が口火を切った。私が首相に説明したのは、なんとしても住民投票を阻止したいという話だった。住民投票を阻止するのは公明党の協力が不可欠で、いかに公明党が独自の判断で住民投票を止めてもらうかが、かねてからの課題だったからだ。というのは、公明党は常々「住民投票までは賛成してほしいと官邸から(間接的に)頼まれている」と内輪の席では語っていたからだ。官邸から"圧力"があるから公明党も住民投票には「NO」と言えない事情がある。むしろ公明党からは、「自民党府連から首相に状況を説明して、官邸からの圧力をストップしてほしい」と頼まれていた。そこで思いきって首相に説明した。
 
  ― 安倍首相の反応は?

 首相は「(官邸は)そんなことは言っていない」と断言した。そこで首相には「官邸の主は安倍首相。今後このような事態が官邸から起これば止めてもらいたい」とお願いした。また公明党に対しては、どこからか間接的にせよ「住民投票に賛成せよ」という圧力めいた命令があれば、そのときは「『官邸からの指示など安倍首相は知らないと断言した。いったい官邸の誰の指示で『賛成しろ』と言っているのか』とやり返してほしい」とボールを投げ返した。これで公明党も安易に圧力に屈し、住民投票に賛成だと言えなくなると期待したい。

  ― 公明党の本音は住民投票には反対?

  全員が反対のようだ。本音は、住民投票など止めてほしいのだろう。

  ― 繰り返しになるが、首相は「都構想反対」と言ったのか。
 
 はっきりと言った。言葉として明確に「都構想に反対」と言ったので周囲が沸き立ったのは事実。その様子を誰かがスマホで動画は取っていたようだ。ただ、私自身は安倍首相に「都構想反対」と言ってもらう必要はないと思っている。首相が臨時党員大会で語ったように、都構想の是非を問うのはあくまでも府連であり、府連が意思決定したことを党本部が支持するのは当たり前のことだ。仮に自民党総裁に都構想の賛否を問うのであれば、筋としては党本部が都構想の是非を問い、その結果を党本部の意志として府連に伝えなければならない。そんなことはナンセンスであり、大阪独自の問題を党本部があれこれ議論する必要などない。自民党総裁である安倍首相が是非を判断する必要も当然ない。 

  ― 安倍首相の「都構想反対」の一言を松井一郎知事は「リップサービス」だと言っている。

 リップサービスでもなんでもない。大阪の問題に対して府連が決定した方針を党本部が追認するのは組織として当たり前のことだろう。

 インタビューは以上のとおりである。読んでわかるように、「都構想反対」の一言は、自民党大阪のモチベーションを上げ、また世間に対するアピール効果を狙うというよりは、どうやら官邸と公明党に対する牽制の意味が強いようだ。なお、花谷幹事長が語っていた公明党が官邸から(間接的に)圧力を受けた件について私は複数の公明党府議、市議らに取材したところ、「住民投票に賛成してほしい」と頼んできたのは支持母体の創価学会関係者や公明党OBという違いはあるものの、事実関係についてはいずれも、ほぼ認めていた。

|

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

「うまいやさしい楽しい」作家は中3女子

 文化放送の「くにまるジャパン極」(月~金・午前9時~)に毎週月曜日、出演して1年半、ラジオの時間を楽しんでいる。月曜は私の「ニュース深読み」のほかに、時々の話題の本の著者やその本をおすすめする書店員にスタジオに来ていただく「本屋さんへ行こう」のコーナーがある。

 春休み中の3月末は鈴木るりかさんの「さよなら、田中さん」(小学館)。手にとってびっくり。帯には〈列島騒然の中学生作家 石田衣良氏、俵万智氏ら絶賛 7・5万部突破…〉。るりかさんは4月に3年生になった14歳の中学生。スタジオでは私とすれ違いだったが、本屋さんで手に入れてまたびっくり。「うまい、やさしい、楽しい」のだ。

 5つの短編の主人公は、るりかさんより少し下、小学6年の田中さん。名前は花実。これ、「花も実もある」からとったのかと思いきや、じつは「死んで花実が咲くものか」。お母さんが「とにかく生きろってことだ」という思いでつけた名前なのだ。

 そのお母さんは、男の人に交ざって工事現場で働いている。〈夏は土埃でドロドロの黒い汗をかいて、冬は北風に容赦なく吹きさらされて、頬が割れせんべいみたいにひび割れることもある〉。そんな母と子の食卓に並ぶおかずは、いつも閉店間際の半額セール…。

 そうした花実さん母子の愉快で、ちょっとホロリとさせられる日々。でもラジオのスタジオにきてくれたるりかさん母子は、ごく普通の女の子とお母さんだったとか。るりかさんは「頭の中に人物が浮かぶと、その人たちが勝手に動いてくれるの」と、ものを書く人間からしたら、まことにうらやましいことを言う。

 だけど、るりかさんは、じつは学校の作文や読書感想文は大の苦手。それなのに小説の中で、花実さんのお友だちの信也くんが上のふたりの兄や姉と違って中学受験に全部失敗、お母さんの見えで全寮制の中学に入れられることになって泣きべそをかくシーン。懸命に慰めてくれる兄と姉。

  〈その言葉を聞いてまた涙が出た。お姉ちゃんがハンカチで拭いてくれた。うちの柔軟剤の香りがした─〉
 このセンス、好きだなあ。文書や文章といえば、改ざんに隠蔽。そんなときに14歳の中学生が花も実ある、みどりの風を吹かせている。

(2018年4月17日掲載)

|

2018年4月13日 (金)

Webコラム 吉富有治

モリカケ問題で急展開 - 「ない」はずの文書が出てくるなかで、もう片方の"主役"である大阪府は「ない」の一点張り  -

  どういうわけだか、なかったはずの文書が立て続けに出ている。森友学園問題では国会に提出された公文書が改ざんされていたことが3月2日の朝日新聞の報道で発覚し、逃げられないとみた財務省は、しぶしぶ改ざん文書を提出。事態の収集を図ろうと与党は佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問に同意したものの人を喰ったような証言で世論は反発し、かえって太田充理財局長や麻生太郎財務相は国会で相変わらず苦しい答弁を繰り返している。
 
  防衛省でも同じことが起きていた。自衛隊によるイラク派遣時と南スーダンでのPKO活動などの日報は当初、「不存在」などと説明していたのに、今になって「ありました」と続々と出てくる始末。航空自衛隊でも「存在しない」はずのイラク派遣部隊の日報が見つかり、小野寺五典防衛相や自衛隊の幹部は連日、頭を下げる異常事態へと発展した。 
 
  そして加計学園問題でも新たな展開があった。
 
  4月10日の朝日新聞は、愛媛県今治市に獣医学部を新設する計画を説明するため県と今治市の職員、そして加計学園幹部が2015年4月、当時の柳瀬唯夫首相秘書官らと首相官邸で面会した際の記録文書が存在することをスクープした。愛媛県が作成したこの文書には、柳瀬秘書官が「本件は首相案件」と述べたと記され、文科省の前川喜平前事務次官が言っていた「加計ありき」の疑いはますます濃厚になってきた。

  そこに加えて愛媛県の中村時広知事は10日、記者会見で「県が作成したメモで間違いない」とあっさり認めたものだから、この一言で官邸はますます苦境に立たされている。

  国や地方で「ない」とされてきた公文書やメモが続々と出てくる中で、まだ表に出てこない文書の存在が気にかかる。財務省と共に森友学園問題の片方の当事者である大阪府。その府が作ったはずの記録文書である。

  私立学校の許認可権を持つ大阪府は2014年10月末、森友学園からの小学校の設置認可申請を受理した。それ以前に府は、幼稚園や保育園しか持たない学校法人には認めなかった小学校などの設置審査の基準を2012年4月に緩和し、森友学園の教育方針や財政状況などに不安を示す私学審議会の声をよそに、2015年1月には条件付きながら「認可適当」の答申を出した。

  その後、森友学園問題が国会やマスコミで騒がれたことから、学園側から小学校の設置申請は取り下げられたものの、「認可適当」に至るまで大阪府は、国有地の売却を担当した近畿財務局とひんぱんに折衝を重ねていたことが明らかになっている。

  さて、財務省の命令とはいえ、近畿財務局が国有地の売却で数々のインチキを重ねてきたのはご承知の通り。もともと存在しない地下のゴミを「トラックを何千台も使ってごみを撤去したと言ってほしい」と森友学園側に頼み込んだり、公文書の改ざんにまで手を染めたことを苦にした近財職員が自殺する事態にまで発展した。

  その近畿財務局と大阪府私学課は森友学園の件で何度も会合を重ねている。ところが、その会合記録が「ない」のだと大阪府は説明する。だが、これまで「ない」とされてきた公文書やメモが国や地方から続々と出てくるものだから、府だけ「ない」の一点張りが、かえって目をひいてしまう。

  大阪府が小学校の設置認可申請のハードルを下げたこと、また私学審議会の忠告を無視するかのような態度で「認可適当」としたことと、近畿財務局が森友学園に国有地をタダ同然で売り払ったことは、おそらく密接に関連しているはずなのだ。近畿財務局は府に「国有地の問題はこちらで解決するから、そちらは認可に努力してほしい」と頼み込んだ可能性も、あながち捨てきれない。それでも大阪府が「ない」と言い張るのは、内容が外に漏れると自分たちに火の粉が降りかかることを理解しているからではないのか。
 
  これまで私は取材で多くの公務員と出会い、交流を重ねてきた。そこでわかったことは、彼らは決して責任を取りたがらないことである。だからこそ大きなプロジェクトや府民、市民の生活などに影響が出るような重要な案件になればなるほど、記録文書は必ず残す。あとになって議会などから集中砲火を浴びないための証拠保全と保身のためであり、それが公務員の習性でもある。

  大阪府と大阪市の職員たちは口をそろえて奇しくも同じことを言っていた。

 「役所と役所の交渉を含め、あらゆる交渉記録を文書に残すのはわれわれの仕事では当然のことだ。特に、維新政治になってからは行政の透明化が図られているのでなおさらだ。もし記録が残っていないというのであればウソをついているか、それともわざと破棄したとしか考えられない。それだけ大阪府に不利な内容が書かれているからではないのか」

  国会で論戦が繰り広げられている森友学園問題。大阪府も"主役"であることを私たちは忘れてはいけない。

|

2018年4月12日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

どちらの自衛隊に拍手?
‐「被災地で汗」⇔「日報隠蔽」‐

  発生から7年になる東日本大震災の取材で一番出会いが多かった政治家は、小野寺五典・現防衛大臣という気がする。

  宮城県気仙沼市の実家の旅館は津波で全壊、母と弟が一時は行方不明に。再会した避難所でおむすびを分け合って食べたあと向かった南三陸町では、その後、部下となる自衛隊員とともに遺体の収容もままならない浜に立ったという。

  震災6年の昨年3月、仙台駅でお会いしたときは、南スーダンPKO日報隠し問題で当時の稲田防衛相の答弁をめぐって国会が大混乱。「小野寺さん、そろそろ再登板じゃないの」と言った覚えがある。

  その小野寺さんが自衛隊のイラク派遣(2003~2009年)の日報隠蔽問題の渦中にある。防衛省が国会で「ない」と言って隠蔽していた日報の存在が3月末に明るみに出た。ところがなんと「ある」とわかったのは、じつは去年の3月。防衛省は大臣にも首相にも、1年にわたってその事実を隠蔽していたのだ。

  さあ、野党はもちろん、与党も大騒ぎ。いわく「シビリアン・コントロール(文民統制)ができていない」「戦前の陸軍回帰だ」。だけど耳にタコもののこの論議、どこかおかしいのではないか。いま議論すべきは、安倍さんがそんな防衛省・自衛隊の存在を明記しようと、憲法改定をもくろんでいることではないのか。

  安倍さんは口を開けば、こう言う。「いまでも自衛隊を憲法違反という学者がいる。がんばっている自衛隊の諸君に、いつまでも肩身の狭い思いをさせておくわけにはいかないのだ」。

  本当か? 被災地で汚泥と油にまみれた遺体を収容している自衛隊員が「憲法違反だ、帰れ」とののしられたことが、ただの1度でもあったのか。隊員と一緒に浜に立った小野寺さんに聞いてみたらいい。

  おととし秋の、思い出す光景がある。国会演説で安倍さんは「いま、この瞬間も任務に当たっている海上保安官、警察、自衛隊の諸君に、この場所から心からの敬意を示そうではありませんか」と言って自ら盛大に手をたたき、議員にも拍手を求めたのだった。 

  あらためて安倍さんに問いたい。あなたが拍手を求めたのは、被災地で泥まみれになっている自衛官ですか。それとも首相も大臣もだまし続ける自衛隊ですか。

(2018年4月10日掲載)

|

2018年4月 5日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」 大谷昭宏

読者が待ってくれている新聞
‐別れと出会いの季節に思う言葉‐

 春。3月が卒業や退社、散る桜とともに別れの月なら、4月は入学や入社に人事異動。新たな出会いの月でもある。私がかかわっているテレビ局も改編の季節。MCと呼ばれる司会進行役に若手が登場したり、逆にベテランが再登板したり。そのスタジオの隅では入社式を終えたばかりの新人が緊張した面持ちで見学しているのも、この時期の光景だ。

 そんな新旧のスタッフに私たち出演者が「ひと言ごあいさつを」と促されるのも恒例の風景。ただ私は、今年は「スタッフの明るい雰囲気こそ高視聴率につながる」というお決まりのスピーチのあとに、少し言葉を加えさせてもらっている。

 街角や駅のホームで「見てますよ」「がんばって」と、ありがたい声をかけていただくことは少なくない。ただ、ここ1、2年、かけてくれる言葉が様変わりしたように思う。「もっとガツンと言ってくださいよ」「私たちに代わって、はっきり言ってやってよ」…。

 共謀罪に始まって森友・加計疑惑。その森友問題で財務省の公文書改ざんが発覚してから、かけてくれる言葉が一層、激しさを増しているように感じられる。

 そうしたことを、なじみのスタッフや新しい仲間に話したあと、「私たちは、そんな視聴者の思いに応えているのだろうか」と前置きして、私が大阪読売に入社した春、当時のK編集局長が、私たちに新米記者に語ってくれた言葉を披露させてもらっている。

 〈近隣の人々を愛し、家族を愛し、額に汗して日々一生懸命に働いている。そんな人たちが、首を長くして待ってくれている。そういう新聞をつくりなさい〉

 あとになって、それはそれは厳しい編集局長だと知るのだが、このときは、わが子をさとすように、こう話されたのだった。

 私が披露させてもらったかつての編集局長の言葉を、局のベテランも新人クンも、目を輝かせて聞いてくれているような気がする。

 逃げの一手の証人喚問、国民を小バカにし続ける総理答弁、野卑極まりない財務相。そんななか、私たちは、日々額に汗して働いている読者、視聴者が待ってくれている記事を、番組を届けているのだろうか。

 急ぎ足で桜が散って、早くも芽吹きはじめた新しい緑に、あらためてあのころの言葉を思い起すのである。

(2018年4月3日掲載)

|

« 2018年3月 | トップページ | 2018年5月 »