2019年5月23日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏

悲しみが先にきた「戦争」発言…
-丸山議員の北方領土ビザなし渡航-

 

 最初に湧いてきた思いは、胸ぐらつかんで引きずりまわしてやりたいというよりも、悲しみだった。日本維新の会を除名になった丸山穂高衆院議員(35)が北方領土のビザなし渡航で、元国後島民の大塚小彌太団長(89)に「戦争でこの島を取り返すことに賛成ですか、反対ですか」「戦争しないと、どうしようもなくはないですか」などと発言した。

 

 なぜ、悲しみが先にきたのか。昨年12月、いまは上皇となられた天皇が最後に臨まれた誕生日記者会見。陛下は時折、声を詰まらせながら、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられたのだ。

 

 その平成が令和になって10日ほど、平成元年には5歳にもなっていなかった男がなぜか、国権の最高機関に紛れ込んで「戦争しないと、どうしようもなくはないか」と言い放ったのだ。

 

 もう1点、2012年(平24)私は札幌で開かれた厚労省主催の「中国・樺太残留邦人への理解を深めるシンポジウム」のコーディネーターをさせてもらった。

 

 終戦直前、ソ連軍は日本統治下の南樺太(現・ロシアサハリン州)や千島列島に侵攻、行き場を失った日本人、とりわけ多くの女性が現地に取り残された。

 

 その後3年にわたって引き揚げ事業が行われたのだが、かなりの女性が生活のため現地の韓国人労働者と結婚。さらにその後、帰還しやすい国籍という根拠のないうわさを信じて北朝鮮やロシア国籍にした女性もいた。だが、引き揚げ事業はあくまで日本人が対象。無情にも岸壁を離れていく船を、涙で見送った残留邦人も少なくなかったという。

 

 2012年の札幌でのシンポジウムには2年前、89歳でやっと永住帰国を果たした女性もおられた。白髪の下の額に深く刻まれたシワ。その方たちの口を突いて出るのは、「戦争は嫌、戦争は絶対ダメ」だった。ビザなし渡航の大塚団長も当時少年だったとはいえ、そんな日本人の姿を目に焼き付けたはずだ。その人たちに、国会議員が「戦争、戦争」と言い放ったのだ。

 

 こんな男は放っておけとまでは言わない。だが、いま大事なことは、この議員に与党をはじめ各党が、各議員が、どう対応するのか、しっかりと目に焼き付けておくことではないだろうか。

 

(2019年5月21日掲載)
 
    

|

2019年5月16日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏

平成の黒い疑惑 幕引きさせてなるものか
-広島中央署の8572万円盗難事件-
県警VS.記者

きょう5月14日は昨年、新潟市西区で小学2年の女児が殺害されたうえ、線路に遺体を遺棄された事件で、犯人の男(24)が逮捕されて1年になる。世間を震え上がらせ、私たちも連日、報道したが、1年たって初公判さえ開かれていないことを知っている人は少ないのではないか。同時に、ニュースを送る側の関心の移ろいの速さにも驚かされる。

 そんななか事件発生からまる2年の、この5月はさすがにないと思っていたら、「やっぱり県警の対応についてコメントを」と言ってきた局がある。日本テレビ系列の広島テレビが、それ。

 2017年(平29)大型連休明けの5月8日、広島中央署会計課の金庫から現金8572万円が盗まれていることに課員が気づいた。大金が警察署から盗み出され、しかも身内の犯行とみて間違いない、日本の警察史上に残る大汚点。
 この事態に署や県警の幹部がうろたえるのは、わからなくはない。だが県警は事件についての広報や県民への説明、謝罪は一切なし。翌年、本部長が転任するあいさつの一部で事件にふれただけだった。
 この対応が広島テレビの事件記者に火をつけた。電話取材だけではあきたらないと、ときには記者が新幹線で大阪の私の事務所までやってきた。

 だけどこうした報道も県警にとってはカエルの面になんとか。事件後に着任した本部長の下、幕引きに向けて次々と手を打ってくる。まず今年2月、県民に迷惑はかけないとして被害金は県警幹部とOBで全額弁済すると公表。そのうえで4月、元県警警部補が犯人とした一部報道を「関知しない」としたまま、中央署長ら7人の処分を発表した。

 そもそも事件が解決していないのに、どうやって関係者を特定して処分できるのか。このときも広島テレビで怒りに燃えるコメントをさせてもらった。一刻も早くみっともない事件を忘れさせようと幕引きを図る県警側と、そうはさせじと幕にしがみつくテレビ記者。

 だけど広島だけではない。国に目を移してみれば、森友・加計問題に、あちこちで噴出した統計不正。令和の新時代に押し寄せたお祝いの波も、いま静かに引きつつある。そこに再び、くっきりと姿を見せた平成の黒い疑惑。慶事に紛れて幕引きさせてなるものか。メディアの真価が問われている。

(2019年5月14日掲載)

|

2019年5月 9日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏

令和の坂道どうあるいていくか
‐新時代 心に残った新聞報道‐ 

 平成最後の4月30日は、岐阜県関市平成(へなり)地区の「道の駅平成」から雨模様のなかの生中継。明けて令和となった5月1日は、定番のこの日式を挙げたカップルに、これも定番、日付が変わると同時に産声をあげた赤ちゃんの紹介。テレビでこんな放送をしておいて「過剰お祝い 議論遠く」(2日付毎日新聞)の指摘に耳を傾けよう、なんて言うのもおこがましい。それを承知でこの間、心に残った新聞論調をいくつか。

 平成最後の日を目前に毎日新聞の「余録」は、まず江戸時代の終わりから伸び続けてきた人口が平成20年(2008年)、1億2808万人をピークに下り坂に入ったことを指摘。平成12年(2000年)、世界で2番目だった国民1人当たりのGDPは、いま世界で26番目にまで落ち、「知らず知らずのうちに私たちは文明の峠を越えたようである」として、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」のあとがきの一文にふれる。

 〈楽天家たちは…前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを見つめて坂をのぼっていくであろう〉

 このあとがきに続けて、余録は「今、峠の坂道を越えて先行きに戸惑う私たちだ」として「誰もが文明の引き潮におののいた平成だった」と記すのだった。

 もう1点。元号が変わり、新天皇が即位された日の朝日新聞朝刊。原武史放送大学教授は〈社会は「奉祝」一色になっている。天皇が戦争責任を清算せずに死去したことなど、批判的な意見がテレビでも平然と放送されていた昭和の終わりに比べると、日本人の皇室感は大きく変わった〉としてこう続ける。 

 〈(いまは上皇、上皇后となられたおふたりは)おおむね称賛をもって迎えられた。ますます分断する社会を統合しようとしてきた感さえある〉としながらも、極めて厳しい指摘をする。

 〈だが一方で、本来政治が果たすべきその役割が、もはや天皇と皇后にしか期待できなくなっているようにも見える。そうであれば、ある意味では、民主主義にとっては極めて危うい状況なのではないか―〉

 連休も終わって、きょうからの日常。かがやく雲のみを見つめてきた私たちは、令和の坂道を、どうあるいていこうとしているのだろうか。

(2019年5月7日掲載)

 

 

|

2019年5月 2日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏

平和は「沖縄基地お守り」の御利益なのか
‐戦争のない時代 平成‐

 平成の元号のもとで書く最後のコラムである。きょう退位される天皇陛下。直近で深く心に残ったことといえば、やはり昨年85歳のお誕生日を前に、天皇として最後となる記者会見で語られたお言葉だった。

 あらためて記事を読み返してみると、陛下は何度か声を詰まらせ、涙声に聞こえることもあったとある。

 ひとつは戦争と戦後の日本にふれながら、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と、ご自身の平和を希求するお気持ちを率直に述べられたときだった。

 さらに陛下は皇太子時代を含め、皇后とともに11回も訪問された沖縄にふれ、「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と、何度か声を詰まらせた。

 その沖縄、私事になるが、4月中旬、数十回目となる取材で、このたびは地元の沖縄タイムス、琉球新報2紙の記者を訪ねた。肌で感じたことは、国際通りのみやげ物店に早々と「令和」のTシャツが並んだ以外、平成から令和へ、本土の、どこか浮足立ったにぎやかさはメディアを含めて沖縄にはないように見えた。

 インタビューさせてもらったのは、沖縄2紙のデスククラスの中堅記者と入社3年目の若手。陛下が沖縄に何度も足を運んでくださったことに心底感謝しつつ、ともに口にしたのは、沖縄の思いに耳を傾けようとしない本土へのもどかしさだ。

 辺野古新基地反対の衆院補選候補が当選する前だったが、県民投票で圧倒的多数でノーの結論が出たのに、直後から急ピッチで進むサンゴ礁の海の埋め立て。沖縄の「平和」と「犠牲」。中堅、若手の記者からともに口を突いて出たのはくしくも「基地お守り論」だった。

 北朝鮮の核ミサイル、中国の海洋進出。沖縄の米軍が、そして基地が、抑止になっている、それがあるからこそ、平和が維持されている─。だけどそれは本当に、このお守りの御利益なのか。後生大事にしているお守りの中身を、だれか1人でも見たことがあるのか。

 陛下が安堵された戦争がなかった平成の時代と、沖縄の人々が耐え続けた犠牲。大事にすること、向き合わなければならないこと、重い命題を胸に、あと数時間で令和の時代がやってくる。

(2019年4月30日掲載)

|

2019年4月25日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏

被害者申し立てで裁判員裁判可能に
‐怒り感じる2件の無罪判決‐
条文が服着た裁判官

 お札刷新について書いた先週のこのコラムで、偽札造りは最高刑が無期懲役なので偽1万円札で缶チューハイを買っただけでも裁判員裁判と書いた。だったら、こんな事件こそ裁判員裁判にならないものか。怒りをもってこれを書いている。

 名古屋地裁岡崎支部は先月末、19歳の実の娘と性的関係を持ち、2件の準強制性交罪に問われた父親に対して無罪を言い渡した。娘は中学時代から父親の性虐待を受け、一時は弟たちが寝室を一緒にして姉をかばってくれたが、弟たちが成長し部屋を別にすると再び父親は関係を迫ったという。

 刑法改正で強姦罪は強制性交罪となって刑罰も引き上げられた。だけど無罪となっては厳罰化もなにもあったもんじゃない。裁判長は判決で罪を成立させるための「抗拒不能」、つまり女性が拒んだり、抗うことが著しく困難な暴行、脅迫があったわけではなく、また服従せざるを得ない強い支配関係にあったとも言い難いとしている。

 だけど一つ屋根の下で中学生のころから襲いかかってくる父親を、どうしたら拒むことができたというのか。加えて、育ててもらい、専門学校の学費を出してもらっていることは強い支配関係につながらないのか。

 もう1件、やはり3月に福岡地裁久留米支部は、一気飮みさせ、眠り込んだ女性と性交、法改正前の準強姦罪に問われた男に無罪を言い渡した。判決で裁判長は女性が「抗拒不能」だったことは認めたが、女性が言葉を発することができたことや、明らかな拒絶の意思がなかったので男性が同意していると「誤信」してしまう状況にあったとして、故意による犯行と認めがたく無罪としたのだ。

 だけどこの判決によると、勝手に「同意」と感じた鈍感な男ほど無罪になるということになりはしないのか。

 相次ぐ無罪に、女性たちから「男目線の判決」としてブーイングが起きていると書いたメディアもあったが、同じ男性として、これを男目線なんて言われたら、たまったもんじゃない。法の条文が服を着ている、ただのオタク裁判官ではないのか。

 裁判員制度が「判決に広く一般の市民感覚を」というのであれば、こういう事件こそ、被害者自身が「裁判員裁判に」と申し立てることはできないものか。司法はぜひ耳を傾けてほしい。

(2019年4月23日掲載)

|

2019年4月18日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏

紙幣刷新5年前の発表…魂胆見え見え
‐手詰まりアベノミクス苦肉の策‐

 新聞、テレビが大騒ぎするのは、まあ仕方がないとして、週刊誌は早速「何の意味があるのでしょうか」と聞いてきた。毎日新聞や日経がいち早く報じ、朝日、読売が後れをとった1万円札などの紙幣刷新。私は「いよいよ手詰まりのアベノミクス。政権は禁じ手とまでは言わないが、こんな苦肉の景気対策を出してきた」と、あちこちでコメントさせてもらった。

 1万円は渋沢栄一、5000円は津田梅子、1000円は北里柴三郎に、それぞれお札の肖像画を一新する通貨刷新。ただし発行するのは5年先、2024年だとしている。20年ぶりのこの刷新。だけど前回は発行の2年前、前々回は3年前の公表だったのに、今回はなんと5年も前の発表。なぜなのか。魂胆が見え見えではないか。

 目の前の衆院補選、7月には参院選。なのに景気も物価も一向に上向く気配はない。そこに10月の消費税アップが冷水をぶっかける。さらに来年7月の東京五輪のあと景気はどっと落ち込み、安倍政権終焉のころ、景気は鍋底を這っている危険性もある。それはまずい。けど特効薬はない。ならば、紙幣刷新でちょっと目先を変えてみようというのだ。

 もう1点、政府は後を絶たない通貨偽造、偽札対策のホログラムを強化するという。だけど偽札の件で偽情報を流してはダメだ。通貨偽造は国を揺るがす重大犯罪なので最高刑は裁判員裁判の対象となる無期懲役。

 だが裁判員制度が始まって今年で10年。調べてみると2年前、大阪・西成の自宅で1万円札を両面コピーしたオヤジが知人にこの偽札で缶チューハイ2本を買わせた事件が1件、たしかに裁判員裁判になっていたが、判決は無期どころか執行猶予。どこが後を絶たない通貨偽造なんだ。うそばかりつくんじゃない。

 それに、福沢さんから渋沢さん、一葉さんから梅子さん、野口さんから北里さん。だけど、長い間、顔を合わせていたせいか、なんとなくこのままの方がいいなあという気がしてならないのは私だけだろうか。もしみんながそう思って、いまのお札を大事にしたら、景気浮揚には逆効果だ。

 墜落寸前のアベノミクスをなんとかしたいという気持ちはわからなくはない。だけど古来、日本に「刷新」という言葉はあっても「札新」なんてものはないのだ。

(2019年4月16日掲載)

|

2019年4月11日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏

バレないサボり方を後輩に伝授
‐施行の働き方改革関連法

 春4月、街にはちょっとぎこちない新入社員のスーツ姿が目立つ。そしてテレビやラジオはリニューアルの季節。少し模様変えしたABCテレビ(大阪)の夕方の番組、「キャスト」の出演を終えて車に乗ると、カーラジオはNHKの定時ニュースに続いて「ニュースにプラス」。この日のテーマは、4月1日施行の働き方改革関連法だった。

 ズバリ、「残業は減らせるか」というキャスターの問いに、解説委員は「減らせます。今回は違反企業に刑事罰が科されるんです」。たしかに月に100時間といった過酷な残業に、あとを絶たない過労死。関連法では、まず大企業から違反に刑事罰が科せられる。

 その流れに私は、おつき合いの深い民放のテレビ、ラジオ局の管理職が額にしわを寄せている光景を思い浮かべた。視聴率を上げろ。事件は落とすな。その一方でノー残業、夜討ち朝駆けもほどほどに。「一体どうせいちゅうんや」という舌打ちを何度聞いたことか。

 そんなとき、私は「それなら働き方より、さぼり方を伝授したらどうなの」と、半ばあきれられながら、結構本気でアドバイスしている。新聞社の、特に社会部だったら、どの社だろうと先輩方のさぼりの武勇伝にはこと欠かないはずだ。

 まっ昼間の映画館。上映が終わって照明がつくと、社会部のあの顔、この顔。おっとまずいぞ、あれはデスクじゃないか。

 ポケットベルの時代。そのポケベルは地下に電波が届かない。「オイ、何してるんや」「ハイ、地下街の喫茶○○で所轄署の係長とずっとお茶してまして」。

 このあたりは、まだまだカワイイ。二日酔いで日が高くなるまで朝寝を決め込んでいると、ポケベルの音。跳び起きて折り返すとデスクの怒鳴り声が響く。「やっとつかまった。で、お前いまどこや?」「ハイ、K署の刑事課長と朝からすっかり話し込んでましてね」「な、なんやと。それでお前、熱うないんか」「ハア? この真冬に暑いって言われても」「アホ、いまそのK署が燃えとって大騒ぎになっとるんじゃ」

 入社式に続いて、配属部署の歓迎飲み会。諸先輩から仕事について学ぶのもよし。だけど忘れずにバレないさぼり方も伝授賜る。それが花に浮かれた私が諸君に贈る働き方改革なのです。

(2019年4月9日掲載)

|

2019年4月 4日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏

跡取りいない漁業…被災地は課題抱え新時代へ
‐「スーパーJ」卒業作品に訪ねた‐

  新しい元号は、きのう「令和」と発表された。いよいよ来月1日には、新天皇のご即位。御代替わりである。

  私事になるが、そんな節目のとき、私も18年にわたってコメンテーターをつとめてきたテレビ朝日の夕方ニュース、「スーパーJチャンネル」を3月末で降板させていただいた。

  さて、最後の出演となった先週水曜日の特集は、いわば私の卒業作品。迷うことなく、宮城県南三陸町の千葉正海さん(63)を訪ねた。千葉さんは東日本大震災で被災。カキ、ワカメの養殖場や新築したばかりの自宅、何もかも津波で流された。だけど長男の拓さんや当時5カ月だった初孫の彩音ちゃん、家族はみんな無事だった。

  震災直後、避難所の千葉さんと中継でつないだのがご縁で、荒涼とした浜が広がる震災1年目、初夏を告げるシロウオが帰ってきた3年目。これまで10回近く千葉さんをお訪ねした。
 
  拓さんの船、「拓洋丸」で突き進んだ、春まだ浅き志津川湾。クレーンで揚げたカキ殻にはプリンプリンのカキが詰まっている。肉厚のワカメも、いまが旬。あれから8年。海の恵みは震災前をしのぐところにまで回復しているという。

  「おっ、とんでもなく運さよがったぞ」。千葉さんが指さした先。養殖イカダの上に、漆黒の羽、首に白のリング模様。絶滅危惧種で天然記念物のクロガンが3羽、4羽。津波が海底の砂まで持っていった湾は昨年10月、水鳥など湿地や浜辺の水生生物の保護を目的としたラムサール条約の指定地になったという。

  「あれほどの命を奪ってしまった海だけんど、いままた命さ運んできてくれるんだぁ」。その海に生きる千葉さんは8年の間に孫も3人に増えた。そんな千葉さんが一瞬、顔を曇らせる。

  いま千葉さん親子がグループを組んでいる2人の漁師は70代。ともに跡取りがいないので、遠くない将来、廃業するという。そうなると漁場や港の管理、漁協の役員、どれも拓さん1人の上にのしかかる。だが、この問題は、個人の力ではどうすることもできない。加えて、それは被災地のどの町も村も同じ状況だという。

  自然は再び恵みを運んできてくれても、今度はそれを受け止め、応えていく人がいない─。被災地は重いい課題を抱えながら、令和の時代へと進んでいく。

(2019年4月2日掲載)

|

2019年3月29日 (金)

Webコラム 吉富有治

「府市合わせ」はどこまで本当か 都構想が争点の大阪統一地方選がスタート

 

  統一地方選の前半がスタートした。道府県議選の告示は3月29日。その先陣を切り、6つの道府県と11の政令市で知事選と市長選がすでに各地で始まっている。

 

  知事選と市長選の中でも特に注目されているのが大阪府知事選と大阪市長選、いわゆる大阪ダブル選だろう。大阪維新の会の代表で前大阪府知事の松井一郎さんと、同じく前大阪市長の吉村洋文さんが任期を待たずにそれぞれ辞任。知事と市長を入れ替えて出馬するという奇策に出た。そこに維新政治を終わらせようと立ち上がったのが、自民・公明が推薦する元大阪府副知事の小西禎一さんと前大阪市議の柳本顕さん。今日もまた両陣営の舌戦が大阪の街で繰り広げられている。

 

  このダブル選で問われている最大の争点は、いわゆる大阪都構想の是非だ。松井、吉村の両名は都構想の再チャレンジを掲げ、小西、柳本の2人は都構想のピリオドを訴えている。関西のテレビ各局も両陣営の討論会を相次いで企画し、電波を通じて4者の論戦がお茶の間に届けられた。

 

  さて、3月25日に放送されたMBS毎日放送のニュース番組「VOICE」で、松井さんと吉村さんは「"府市あわせ"をなくす。そのためには都構想が必要だ」と訴えていた。府市あわせとは、大阪府と大阪市が歴史的に犬猿の仲の、いわば不幸せな状態を指し、これを「府市あわせ」と語呂合わせした造語である。

 

  「いままでは松井知事と吉村市長の両者が同じ方向を見ていたので府と市は対立せずに政策は進み、大阪も発展した。だが、これまでの知事と市長は互いの意見が衝突し、利害の調整がうまくいかなくなって"府市あわせ"が起こった。だから属人的な要素を取り除き(市長の廃止)、制度的に人(知事)を一本化する必要がある。それが都構想だ」(松井、吉村)。 

 

  もっともな話に聞こえるが、ちょっと待ってほしい。これではまるで大阪府と大阪市がずっと"冷戦状態"のような印象を受けるが実際は違う。「府市あわせ」という言葉だけが独り歩きしている。

 

  大阪府と大阪市に限らず、横浜市や名古屋市など、戦後から府県と政令市の関係が決して良くなかったのは事実である。特に近年、大阪府と大阪市とで対立が目立ったのは2000年。当時の太田房江大阪府知事が府と市を合併させる「大阪都構想」を発表し、対して大阪市の磯村隆文市長(当時)が猛反発。逆に市の権限を強める「スーパー政令市構想」を主張し、両者は激突した。ただし、これは制度をめぐる論戦であり、大阪市と大阪府が決別したということではない。 

 

  松井さんらが言う「府市あわせ」がクローズアップされたのは2004年末に発覚した大阪市の厚遇問題や第3セクター問題あたりが発端で、その典型が「旧WTCビル(現・大阪府咲洲庁舎)」と「りんくうゲートタワービル」による高さの競い合いだった。

  企業の誘致を目指すために大阪市は住之江区に旧WTCビルを建て、一方、大阪府は関空の開港にあわせて対岸の泉佐野市にりんくうビルを建設。ともに高さは256メートル、奇しくも仲良く経営破綻した。

 

  拙著『大阪破産』にも記してあるが、当時は府市ともに無意味なライバル意識から高層ビルの高さを競ったのは事実だ。ただし、高さを競い合ったが、それが原因で両ビルが破綻したわけではない。破綻はバブル崩壊と需要予測の見誤りで、「府市あわせ」と呼ぶにはあまりに低レベル。これが原因で府と市が激突したわけでもない。

 

  ここ10年で「府市あわせ」が顕著になったのは、じつは橋下徹知事の時代である。その典型が、府と市の水道事業の統合だ。それまで仲の良かった橋下知事と平松邦夫市長(当時)の両者が、この問題をきっかけにケンカ別れすることになった。

 

  当初、橋下さんと平松さんは水道事業の統合で合意。ところが取水から浄水、各家庭や企業、工場などへ給水を一貫しておこなう大阪市の水道事業に対して、府の事業は府内の市町村へ水を卸すこと。料金体系も違う。両者の事業が根本的に異なることは専門家からも指摘され、平松さんも問題点は橋下さんに伝えていたという。ステップを踏まずに統合を急ぎすぎると、失敗する懸念は平松さんも持っていたようなのだ。

 

  ところが、何を焦ったのか橋下さん、とにかく市町村の同意を得ようと説得したが、水道料金などの問題をめぐって猛反対に遭い、結局はご破産に。このとき平松さんと話し合って再調整すればよかったのに、なぜか橋下さんは大阪市に逆ギレし、平松さんとも絶縁。これ以降、橋下さんの口からマスコミを通じて「大阪都構想」「府市一本化」といったイメージが流され、「府市あわせ」が演出された。

 

  番組の中で小西さんと柳本さんが「これまで府市がいっさい話し合わなかったというのはウソ。多くの事業で協力してあってきた」というのは事実で、関空や70年大阪万博などのビッグプロジェクトでは府市は手を取り合ってきたのだ。

 

  松井さんや吉村さんが言う「府市あわせ」とは多くは橋下時代のものであり、私から言わせれば、この府市の関係悪化は橋下さんによって意図的に演出されたものでしかない。「府市あわせ」だけを一般化するのは、かなり無理がある。

 

  それでも松井さんと吉村さんが「府市あわせ」を口にするのは、ハナから府と市をまとめる意思も能力もないように聞こえ、そこを巧妙に隠すため「府市あわせ」というロジックを使い、大阪市の廃止を訴えているとしか思えない。

 

  仲間となら話し合うが、それ以外なら府と市の話し合いなど御免こうむる。だから大阪市も廃止する -。そんな人たちが出馬する大阪府知事選と大阪市長選。さて、有権者はどう判断するのだろうか。

 注目の選挙は4月7日に投開票される。

 

■橋下知事時代の年表

 

▼2007年11月、元MBSアナウンサーの平松邦夫さんが大阪市長選で勝利。第18代大阪市長に就任
▼2008年1月、弁護士でタレントの橋下徹さんが大阪府知事選で勝利。第17代(公選)大阪府知事に就任。
▼橋下、平松の両名は故・やしきたかじん氏を共通の友人とし、やしき氏の仲介でしばしば会食するほどの仲に。この間、府市の関係は良好だった。
▼同年8月、橋下知事、大阪市の負の遺産と呼ばれたWTCビルを買い取って大阪府の新庁舎にすると宣言。この発言がきっかけとなり、これまで良好だった自民党大阪府議団から反発を受ける。
▼2009年2月、橋下知事はWTCビルの購入予算と新庁舎への移転条例案を府議会に提出。しかし自民党などの反対にあって頓挫(後に買い取りだけ了承された)。このとき、購入に賛成だった自民党の松井一郎府議ら若手6人が党執行部と対立し、別会派「自民党・維新の会」を立ち上げる。
▼2009年9月、橋下徹知事と平松邦夫市長が府の水道事業を市が受託するコンセッション方式への移行で合意。
▼橋下知事、 水道統合をめぐって府内の市町村への説得に失敗。これをきっかけに平松市長とも絶縁。府市の関係も冷える。当時、わたしの取材を受けた平松市長は「なぜ橋下知事からケンカを売られたのか意味がわからない」と語っていた。
▼2009年9月に民主党(当時)の鳩山由紀夫内閣が発足し、以降、橋下知事は民主党にすり寄る。これに自民党が反発、両者は決裂する。
▼2010年4月、松井府議らは自民党・維新の会を発展解消させ「大阪維新の会」を立ち上げる。代表に橋下知事が就任し、全国初の首長ローカル政党が誕生。このときから維新は大阪市を廃止する「大阪都構想」を目玉政策に掲げる。
▼2011年4月、統一地方選で橋下旋風の追い風で維新の会が躍進。府議会で単独過半数、市議会で第一会派となる。
▼2011年11月、大阪府知事選と大阪市長選で橋下さんが平松さんを破り大阪市長に、大阪府知事に松井府議がそれぞれダブル当選。

 

|

2019年3月28日 (木)

日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏

さまざまな思い刻み込んだ1時間23分
‐イチロー引退会見‐

  8回、ショートへのゴロに全力疾走したもののアウトとなってベンチに引き揚げる、その背中に私は2005年秋、シアトル・セーフコフィールドのイチロー選手を重ねていた。まだ若手の選手2、3人しかいない外野にイチロー選手の姿があった。柔軟体操に屈伸、そして強弱をつけた走り。他の選手と一切言葉を交わさず静かな時が過ぎていく。

  孤高という言葉が浮かぶ、その姿に、球場名物の巻きずし、イッチロールが手にあることも忘れて見とれていた。

  先週木曜日、そのイチロー選手が引退を表明した。あのときの孤高の姿とは打って変わって1時間23分に及ぶ深夜の記者会見。翌日、私たちが届けたテレビニュースも新聞も、イチロー選手一色に染まった。1つひとつの言葉があるときは静かに、あるときはレーザービームのように胸に届く。

  深夜まで球場に残ったファンの姿に「ああいうものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません」。そんなファンへの思いを「人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わった」。この言葉に長年、阪神・淡路大震災を取材してきた私は、「がんばろう KOBE」のワッペンをつけて1995年リーグ優勝、96年日本一を届けてくれたオリックス・ブルーウェーブのイチロー選手がよみがえる。

  なかなか受け入れてもらえなかった大リーグ。だが、「(自分が)外国人になったことで人の痛みを想像したり、いままでになかった自分が現れた。その体験は未来の自分の支えになる」。野球に限らず、子どもたちの未来に思いをはせたのだろう。「人の2倍も3倍もがんばろうなんて無理。自分のなかで、もう少しがんばってみようというのが大事なのではないか」。

  ワンちゃん命の私には、たまらないやさしい笑顔もあった。17歳になった愛犬一弓に「懸命に生きているんですよね。俺、頑張らなきゃと本当に思った」。

  お疲れさまも、ご苦労さまも、あてはまらない野球人生。最後は「じゃあ、そろそろ帰りますか。ねっ」。

  別れと旅立ちの3月。その一方でイチロー選手が引退を表明した日、列島にこの春一番の桜が開花した。1人1人の胸にさまざまな思いを刻み込んでイチロー選手は、去って行った。

(2019年3月26日掲載)

|

«日刊スポーツ「フラッシュアップ」大谷昭宏