2026年5月18日 (月)

なぜ結希くんを救い出すことができなかったのか

-社会が求める事件報道の在りよう-

 京都府南丹市で安達結希くん(当時11)を殺害、山林に遺棄した義父(37)が再逮捕された。大分では58歳の男が18歳の女性を殺害して山中に遺棄。広島県三原市では男性(29)の遺体が会社の敷地内に埋められていた。北海道の旭山動物園では職員の男(33)が園内の焼却炉で妻の遺体を焼いていた。

 かつてバラバラ殺人や死体遺棄事件は猟奇殺人として大きく報道されたものだが、それも今は昔。とはいえ、被害者は体と尊厳、2度殺されたことに変わりはない。

 なかでも結希くんの事件では私たちメディアの報道のあり方も変わっていかなければ、と強く思う。行方不明から3週間以上たって見つかった遺体は捜査員も目を覆う姿だったという。

 事件解決後、「地域の方々の不安を解消した」と語った捜査幹部のコメントも、テレビで連日流れた元警察官たちの解説とやらにも私は強い違和感を抱いた。

 引きずり込まれた公衆トイレで、首を絞め上げてくる義父の形相が結希くんにはどれほど怖かったか。殺害された後も遺体からランリュックも靴もはぎ取られ、4カ所を転々として、最後は変わり果てた姿に。この子は11年の人生をなぜこんな形で終わらされたのか。

 容疑者のほかに曽祖母、祖母、母もいたという家庭環境で、1人でも、このままではこの子は危ないと感じなかったのか。

 児童相談所には虐待や暴力の相談はなかったというが、友だちからは、結希くんが「あいつ」と言って義父を嫌っていたという証言が出ている。多感な年ごろ。学校の先生にも自分の家庭のことを口にしたくなかったのかもしれない。

 ただ、そうしたなかで結希くんの人生は、たった11年でガチャンと閉じられてしまった。本当に私たちの社会は何もできなかったのか。なぜ、この子を救い出すことができなかったのか。胸かきむしられる思いで訴え続ける。それが、いま社会が求めている事件報道の在りようではないのか。

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年5月18日(月)掲載/ 次回は6月1日(月)掲載です)

 

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2026年5月 4日 (月)

長期化の元凶 抗告の禁止と証拠の全面開示願う妹

-「名張毒ぶどう酒事件」第11次再審請求中-

 岡美代子さん、96歳にお会いしてきた。1961年、三重県名張市の小さな公民館で女性5人が殺害された「名張毒ぶどう酒事件」で死刑囚となり、2015年、89歳で獄死した奥西勝さんの妹。いま亡き兄の後を継いで第11次再審請求中だ。

 岡さんを訪ねた理由はもちろん、党の法案事前審査で「自民党は法務省のためにあるんじゃないぞ」「不誠実だ!」と怒号が飛び交う再審法の改正についてだった。

 紛糾の理由は、再審開始が認められても検察が際限なく繰り返し、長期化の元凶といわれる抗告の禁止と証拠の全面開示だ。

 岡さんの兄、奥西勝さんも2002年第7次請求で名古屋高裁が再審開始を決定。ついに扉が開かれたと思われたが、検察が異議申し立て。最高裁で決定取り消しが確定して再審への道は閉ざされたが、この決定までにも11年かかっている。

 兄亡き後を継いで今年1月、第11次再審請求を行った岡さんは「早くええ方向に向いてくれたらうれしいねんけどなぁ」と、再審法改正法案の検察の抗告全面禁止に望みをつなぐ。

 また、袴田事件では20年以上たってからとはいえ、600点もの証拠が開示されたが、岡さんが「あることはわかっているのに出してくれん」と嘆く再審事件の証拠開示のあり方については、いまも名古屋高裁で審理が続いている。

 名張市と隣りあった山あいの新緑の村。ウグイスの鳴き声にまじって、いまは弁護団から「長生きが仕事」と言われている岡さんの「私の命がある間に、兄にええ話をしてやりたいなぁ」という声が流れる。だが、ふっと目を閉じて「あん人たち(検察)は私が死ぬのを待っとるんやろな」とも。

 袴田巌さん無罪まで58年、福井女子中学生殺人事件の前川彰司さん38年。奥西さん事件から65年。それでも自民党の事前審査で法務・検察の走狗となった議員たちは、「検察の抗告を禁止するな」「証拠開示もこれまでどおり」と胴間声を張り上げるつもりか。


(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年5月4日(月)掲載/
次回は5月18日(月)掲載です)

 

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2026年4月20日 (月)

最大関心事を、よりわかりやすく

-メディアに求められる「ひるおび」モットー-

「堅苦しいごあいさつはやめておきたい」と、勝手なことを言ったため番組内でお知らせできなかったが、私、3月をもって「ひるおび」(TBS系月~金午前10時25分)のレギュラーを降板した。

 2009年からMCの恵俊彰さんや江藤愛さんたち、温かい「ひるおび」ファミリーにどっぷりつかって気がつけば17年がたっていた。ただこの間、それとは裏腹にメディア、とりわけテレビに吹く風は、いつもアゲンストだった気がする。

 ささいなことでクレームがくる選挙報道。デモ隊が国会を取り巻くなか、強行採決された安保法制。とりわけ2016年、当時の高市総務相が「テレビの1番組だけに問題があったとしても、局全体の停波はある」としたときは故・岸井成格、田原総一朗、青木理ら各氏と集って私も怒りの横断幕を掲げて記者会見を開いた。

 その後、デモも予定していたのだが、このとき「大谷くんはここまでにしておこう」と言ったのが、事件記者の先輩、鳥越俊太郎さんだった。この先、さまざまな圧力がかかってくる中、たとえ、やんわりとでも思いを伝えられる番組を大事にしていこうというのだ。

 そして、その言葉どおり多くの仲間が番組から消えていったり、番組そのものがなくなる中、1度でもコメントに注文をつけることなく、たとえ、やんわりとでも思いを伝えさせてくれたのが「ひるおび」だった。

 最近は、やんわりどころか、相当とんがったコメントも飛び出しているなか、右に左にと巧みにさばいていく恵さんの進行のその根っこには、モットーにしている「最大関心事を、よりわかりやすく」の気持ちが脈々と流れているように思う。

 いささかファミリー褒めになるが、それはこの番組だけではない。テレビに、そして広くメディアに求められていることではないか。

 大リーグのこの人の話題になるたびに、不遜にもこう呼んでもらった「ひるおびのオータニさん」から番組へのラストコメントである。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年4月20日(月)掲載/次回は5月4日(月)掲載です)

 

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2026年4月 7日 (火)

主な活動予定2026年4月~

202604

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2026年4月 6日 (月)

支払えるとは思えない どうすれば…

-99年名古屋主婦殺害 夫が損害賠償訴え-

 一報を聞いて応援したいと思う半面、虚しさもわいてきた。1999年、名古屋市西区で妻が殺害された事件で、夫の高羽悟さんが昨年10月、26年ぶりに逮捕された元同級生の女を相手取って損害賠償の訴えを起こした。

 慰謝料や現場保存のため高羽さんが事件後、借り続けたアパートの家賃など、数千万円に上るとみられる。

 ただ、高羽さんの前には不法行為から20年で損害賠償請求権がなくなる民法の「除斥規定」が大きく立ちはだかるが、高羽さんはDNA型鑑定などで長期捜査が可能になったいま、この壁をなんとか突き破りたいとしている。

 だが高羽さんには、もうひとつ大きな壁がある。

 裁判で勝訴したとして今後、無期か長期の懲役刑が予想される女が多額の賠償金を支払えるとは到底思えない。

 そうしたなか先日、福岡高裁は2020年、21歳の女性が見ず知らずの15歳の少年に刺し殺された事件で、女性の遺族が少年と母親に賠償を求めた控訴審判決で、少年にだけ賠償を命じた1審判決を変更、母親にも連帯して5400万円を支払うよう命じた。

 母親は幼少期から少年に性虐待を繰り返し、事件の直前に少年院を出た少年の引き取りを拒否したことも高裁は責任重大とした。ただ、ここにも大きな壁がある。いま服役中の少年と、この母親が多額の賠償金を払えるとは思えない。

 高羽さんたち殺人事件被害者の遺族でつくる「宙の会」は、国が賠償金を立て替え、その後、加害者から取り立てる代執行制を提唱しているが、一時的とはいえ、国税で加害者の肩代わりをすることへの抵抗も強い。だとしたら、希望する国民が納税と一緒に保険金を掛けておく公的な「犯罪被害補償機構」といった組織はできないものか。

 保険で賠償金を支払い、加害者に対しては生涯、ほそぼそとでも取り立てを続ける。

 自分は加害者にはならないと誓うことができても、被害者にならないと言い切れる人はいないのだから。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年4月6日(月)掲載/次回は4月20日(月)掲載です)

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2026年3月23日 (月)

「事件」を調査や対策ですますな

-性的強制や暴力、暴言は犯罪だ-

 通信社からコメントを求められて事案の内容を聞きながら、いら立ちを通り越して怒りがわいてきた。

 埼玉県立小児医療センターで抗がん剤を注入された10代の男性患者が死亡。2人が意識不明になっていると、病院長らが記者会見を開いて明らかにした。

 3人は昨年初めと10月に、背骨周辺から抗がん剤を注入する髄腔内注射のあと神経症状を発症。10月に注射された男性が死亡。2人は意識が戻らない状態という。

 センターが昨年11月、患者の髄液を分析したところ、ごく少量でも神経症状を起こすため髄腔内注射では絶対に使わない「ビンクリスチン」が検出された。この薬は劇薬のため薬剤部の一室で厳重に保管され、薬剤師が医師の指示書に基づいて調剤するが、3人の投与日にこの薬が使用された形跡はなかったという。

 通信社の記者からそこまで聞いて、私は思わず「これは事件だろ」と話を遮ってしまった。ミスだとするには同じミスを3度も犯すとは考えにくい。薬剤が減っていないということは、あとで補完したか、薬品をほかで調達した故意の犯罪。殺人罪か傷害致死傷罪になる。だけど記者の説明の続きを聞いて私は心底驚いた。

 センターが事案を県警に届け出たのは、この日になってから。それまでは昨年11月に立ち上げた「調査対策委員会」で関係者の聞き取りなどをしてきたという。

 だけど、重大な過失どころか殺人にもなりかねない事件を「調査」したり「対策」を立てて何になるんだ。

 昨今、セクハラ、バワハラに暴力、暴言。役所や企業、テレビ局が次々に立ち上げる第三者委員会や調査委員会。だけど性的強制は不同意性交や強制わいせつ罪だし、首長や上司の暴力、暴言は暴行、脅迫の犯罪だ。それを調査や対策ですまされたのでは被害者はたまったものではない。小ざかしく逃げるんじゃない。司法に任すべきだ。あらためて言うまでもない。私たちは法治国家の国民なのだ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年3月23日(月)掲載/次回は4月6日(月)掲載です)

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2026年3月 9日 (月)

原発に頼っていた地域ほど復興は遅い

-11日は東日本大震災から15年-

 あさって11日は東日本大震災から15年。それに先がけて町の山間部、山木屋地区が原発被害で避難指示となった福島県川俣町を東海テレビの取材で訪ねてきた。

 宮地勝志さん(66)は愛知県日進市から、震災翌年、川俣町役場に応援職員として派遣され、原子力災害対策課長として原発被災者と向き合う日々。定年後、そのまま川俣町民となった。

 いまでは夫婦それぞれの親も呼んで、宮地さんは山木屋の農地で野菜作りをする一方、町の地域おこし協力隊の応援団。ご一緒した町の居酒屋で口を突いて出るのは「わが人生に悔いはなし」。

 ただ、力をいれた山木屋の復興は避難解除になって9年、住民票のある580人のうち戻ったのは310人。それでも被災自治体の中ではいい方だという。原発にほど近い市町村では帰還者はおおむね2、3割だ。

 宮地さんは当たり前の話だけど、と前置きして「原発に賛成反対を抜きにして、経済も雇用もそこに頼っていた地域ほど復興は遅い。忘れがちだが、まずそれを胸に刻んでほしい」という。

 広野太さん(80)は、その山木屋地区で36世帯の区長をしていたが、いまは半分以下の13世帯。広野さん自身も仮設住宅の自治会長から、いまは夫婦で福島市に住む。会社勤めの息子さん一家は二本松市に。

 地区の子供歌舞伎の舞台にもなる大広間があった母屋は、取り壊されて跡形もない。離れの家と農機具の倉庫が残るだけ。3カ所にもなった生活の拠点。だけど広野さんは「この選択は正しかった」と言い切る。

 避難指示が出た当時は、息子さん夫婦に女の子、広野さんにとっての孫娘が生まれたばかり。「何があろうと、この子を原発の被災者にしてはなんない。たんだそれだけだったぁ」。

 その女の子は15歳のこの春、高校1年生だ。

 ♪ 誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に 花は花は花は咲く…

 何度も口ずさんだフレーズが、また浮かんできた。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年3月9日(月)掲載/次回は3月23日(月)掲載です)

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2026年2月23日 (月)

喝を入れるべきは医学界、大学だけではない

-東大病院教授の収賄容疑逮捕-

 毎年2月、バレンタインのころ某大学病院で定期的な検診がある。付き添いの妻が心ばかりのチョコをお配りした先生方は「いや、いや」と言いながら、その場で看護師さんや検査技師に渡される。いつもの光景を今年は一層、ほんわかとした気持ちでながめていた。

 先月、東大病院の皮膚科長の教授(62)が「日本化粧品協会」から多額の接待を受けていたとして警視庁に収賄容疑で逮捕された。

 じつは、この教授の行状を私は去年の秋から聞いていた。毎年、私の講演会を主宰してくれる女性が強皮症から間質性肺炎を併発した。だけどこの女性、持ち前の行動力と社交性で各地の大学病院の専門医と懇意になり、患者団体のアドバイザーにもなっている。

 そんな彼女が頼りになるはずの東大皮膚科は「まったくダメ」と言い切る。聞けば、教授は業者に料亭や高級フランス料理に銀座のクラブ。果てはソープランドを接待させて医局はまったく機能していないという。

 市井のひとりの患者であるこの女性までそんな実態を知っているうえ、去年春、接待した協会の理事が一部週刊誌の電子版に実態を暴露した。なのに東大当局は、警視庁の捜査が入り、病院の院長が辞任、総長が謝罪会見を開くまで頬かむり。

 そこには、かつての「白い巨塔」から「ドクターX」まで連綿とつながる大学病院の閉鎖性、徒弟制ともいえるヒエラルキーがありはしないか。その上に今回は東大という権威も加わった。

 だけど、私たちメディアも他者のことを言えるのか。収賄の事実を知って一部の新聞、テレビは教授の日常風景まで撮影していたのに、警視庁の強制捜査というおスミつきが得られるまで一切報道しなかった。そのことについて同志社大の佐伯順子教授は産経新聞のコラムで〈新聞も権威や肩書に迎合していないか〉と書く。

 コラムのタイトルは「新聞に喝!」。喝を入れるべきは、医学界や大学だけではないのである。


(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年2月23日(月)掲載/次回は3月9日(月)掲載です)

 

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2026年2月 9日 (月)

「巌ひとりが助かっただけではダメなのよ」

-「再審法改正案」が廃案-

 取材を続けて30年。袴田事件の袴田巌さん(89)と初めて話をさせてもらった。事件から58年、死刑の恐怖にさらされてきた袴田さんは、刑務官を思い起こす男性と会うことを嫌った。

 無罪確定から2年。「もう大丈夫。おいでよ」という姉のひで子さんの言葉で、浜松の自宅に静岡朝日テレビのクルーとお邪魔した。

 「いつものドライブ、きょうはどちらへ?」「うん、浜松駅だね」。巌さんは、その先は自分に向けて二言三言話すだけだが、冬の日差しが届くリビングに、ゆったりとした空気が流れる。

 そんななか、ひで子さんは「巌ひとりが助かっただけではダメなのよ」と、湧き起こる憤りを懸命に抑えこんでいるようだった。

 真冬の突然の衆院解散総選挙。それによって74本もの法案が廃案になってしまった。そのなかには袴田事件をきっかけに、議員立法で出されていた再審法の改正案も含まれていたのだが、雪崩に巻き込まれるように押し流されてしまった。

 それを横目に法務省(国)は法制審議会の再審法の見直し要綱の採決を急ぎに急ぎ、2月2日、委員の賛成多数で可決した。委員には冤罪事件の被害者や家族は1人も含まれず、13人の委員のうち10人が検察官や学者ら再審法の抜本的改正に慎重な立場の人たちだった。

 可決された要綱では、袴田事件で無罪確定まで半世紀以上かかった長期化の元凶とされる検察が抗告、特別抗告を繰り返す不服申し立てを全面的に認めている。

 また多くの事件で検察の証拠隠しが問題となったことから証拠開示を義務化したが、その一方で関係者やメディアへの使用を禁じ、社会からの目をふさいでしまった。

 針の穴にラクダを通すというほど困難な再審の道で、針の穴を小さくしてラクダをより大きくしてしまったのだ。

 「検察は反省していると言うけど、巌の事件で証拠を出しすぎたという反省じゃないの?」。怒りのなかで、ひで子さんは8日、衆院選の投開票日が93歳の誕生日だった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年2月9日(月)掲載/次回は2月23日(月)掲載です)

 

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2026年1月26日 (月)

阪神大震災31年「つむぐ」思い

-大みそかに届いた1通のメール-

 昨年は阪神・淡路大震災発生から30年。その年がまさに暮れようとしている23時57分、私の事務所経由で1通のメールが届いた。

 差出人はNHK鳥取放送局の藤本幸也記者。お会いしたことはないが、阪神・淡路大震災について2002年に「心の断層」という本を出版されたとある。

 〈その際、小生の駄文に過褒なまでの書評をいただき、またテレビの「徹子の部屋」に出演された時も拙著を持ち出し、そこに出てくる焼山昇二さんにふれて下さいました。覚えておられるでしょうか。その焼山さんが震災30年の1月17日の翌日亡くなられました〉

 情けないことに私、「徹子の部屋」は、おぼろげに記憶はあるが、ほかのことは、すっぽり抜け落ちている。改めて「心の断層」のページを繰ってみると―。

 その焼山さんは、かつてはゴンタクレ(暴れん坊)だったが、震災当時46歳。高齢者、外国人が市内で最も多い神戸市長田区で4町連合の自治会役員をつとめる、うどん屋のおっちゃんだった。

 大火に見舞われた長田で震災当日、地区唯一の総合病院は裏手まで火が迫っていた。待合室のソファに乗った焼山さんは冷静に患者に呼びかけ、歩ける人は点滴をしたまま歩き始めた。

 圧巻は、そんな現場を冷やかしに来た〝腐ったサバの目〟の少年たち。焼山さんは胸ぐらをつかんで彼らに4、5人ずつ隊を組ませた。すると少年たちは、病院の長いす、そばにあった戸板、何でも担架にして、患者を近くの公園に運んだ。

 藤本さんのメールは〈「徹子の部屋」で大谷さんはそんな焼山さんの「みんな素晴らしかった」という言葉を紹介され、番組を見ていた焼山さんは、お母さんに「ばあさん、俺のことを言うとる。生きていれば、いいことがあるよな」と言ったそうです〉と結ばれていた。

 顔も知らない方々が織りなしてきたこんな思いもしっかり受け継いでいきたい。震災から31年となった今年、慰霊の集いに浮かんだ竹灯籠の文字は「つむぐ」だった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年1月26日(月)掲載/次回は2月9日(月)掲載です)

 

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