「巌ひとりが助かっただけではダメなのよ」
-「再審法改正案」が廃案-
取材を続けて30年。袴田事件の袴田巌さん(89)と初めて話をさせてもらった。事件から58年、死刑の恐怖にさらされてきた袴田さんは、刑務官を思い起こす男性と会うことを嫌った。
無罪確定から2年。「もう大丈夫。おいでよ」という姉のひで子さんの言葉で、浜松の自宅に静岡朝日テレビのクルーとお邪魔した。
「いつものドライブ、きょうはどちらへ?」「うん、浜松駅だね」。巌さんは、その先は自分に向けて二言三言話すだけだが、冬の日差しが届くリビングに、ゆったりとした空気が流れる。
そんななか、ひで子さんは「巌ひとりが助かっただけではダメなのよ」と、湧き起こる憤りを懸命に抑えこんでいるようだった。
真冬の突然の衆院解散総選挙。それによって74本もの法案が廃案になってしまった。そのなかには袴田事件をきっかけに、議員立法で出されていた再審法の改正案も含まれていたのだが、雪崩に巻き込まれるように押し流されてしまった。
それを横目に法務省(国)は法制審議会の再審法の見直し要綱の採決を急ぎに急ぎ、2月2日、委員の賛成多数で可決した。委員には冤罪事件の被害者や家族は1人も含まれず、13人の委員のうち10人が検察官や学者ら再審法の抜本的改正に慎重な立場の人たちだった。
可決された要綱では、袴田事件で無罪確定まで半世紀以上かかった長期化の元凶とされる検察が抗告、特別抗告を繰り返す不服申し立てを全面的に認めている。
また多くの事件で検察の証拠隠しが問題となったことから証拠開示を義務化したが、その一方で関係者やメディアへの使用を禁じ、社会からの目をふさいでしまった。
針の穴にラクダを通すというほど困難な再審の道で、針の穴を小さくしてラクダをより大きくしてしまったのだ。
「検察は反省していると言うけど、巌の事件で証拠を出しすぎたという反省じゃないの?」。怒りのなかで、ひで子さんは8日、衆院選の投開票日が93歳の誕生日だった。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2026年2月9日(月)掲載/次回は2月23日(月)掲載です)
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