日刊スポーツ「フラッシュアップ」掲載について

いつも日刊スポーツ「フラッシュアップ」をご愛読いただき、誠に有難うございます。
2024年9月より、こちらでの掲載を隔週水曜日の21:00に変更いたします。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。

 

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2024年10月 2日 (水)

どうか現実の世界に戻ってほしい

-袴田巌さん再審無罪~保釈決めた村山さん-

 この朝、自宅を出た袴田秀子さん(91)の背中はいつになくこわばっていた。だが、数時間後の記者会見で「(弟は)無罪という判決が神々しく聞こえ、あとは涙がとまりませんでした」と笑顔をはじけさせた。

 58年前、1966年に起きた袴田事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審公判で、静岡地裁は先週、「無罪」を言い渡した。当日、私は静岡朝日テレビの4時間特番に出演。そのなかで、10年前、「このままの状態に置くことは、耐え難いほど正義に反する」として袴田さんの釈放を決めた当時の静岡地裁裁判長で、弁護士の村山浩昭さんも取材した。

 この日の再審判決で國井恒志裁判長は検察側証拠の5点の衣類を捏造と断定。さらに1通の調書も「非人道的調べによる」として証拠から排除するなど、証拠のすべてを「違法」として完膚なきまでにたたきつぶした。

 それにしても警察、検察が証拠をでっち上げ、裁判所もそれを見抜けないまま、これまでどれほどの無辜の人々が死刑になったのかと思うと背筋が凍りつく。

 過去に例のない死刑囚の釈放を決めた村山さんは当時を振り返って、当然のことながら死刑囚を釈放するに当たっての法的根拠などあるはずがない。

 「悩みに悩んだ」末に、これは法律の問題ではない。人権上、人道上のことだと思うに至った。それが「(袴田さんを)このままの状態に置くことは耐え難いほど正義に反する」という決定文につながったという。

 そこまで言って村山さんはしばらく沈黙。いまは拘禁症状のため別の世界をさまよう袴田さんに、「無罪判決をきっかけに、どうか現実の世界に戻ってほしい。いまはただただ、それを願っています」。そう言った村山さんの目に、うっすらと涙が浮かんでいた。

 言うまでもないが、人権とは人の権利。そして人道は人の道。だが、これ以上裁判を長引かせない検察の「控訴断念」の決断は、いまもなされていない。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年9月30日(月)掲載/次回は10月14日(月)掲載です)

 

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2024年9月18日 (水)

おねだり知事の問題はそこじゃない

-公益通報者保護 あり方を問う-

 事態が明るみに出た当初から私は、問題はそこじゃないと言い続けてきたが、やっと県議会百条委員会もその点を追及し始めた。

 「おねだり知事もっくん」なんて異名もついた斎藤元彦兵庫県知事。ワインやカニのおねだりや、机たたきに付箋投げのパワハラはもちろんいけない。だが背筋が凍りついたのは、県の公益通報窓口に知事の行状を告発した県の前局長が死亡していることだ。告発を知った知事は、同時に名指しされた県幹部を使って〝犯人捜し〟。パソコンを押収して通報を認めさせた。 

 だけど現行の公益通報者保護法では通報を受けた人が秘密を漏らした場合にだけ罰則があって、例えばセクハラを告発された社長が社員を使って通報した女性を特定させても、法律は「するべきではない」としながら、おとがめはなし。通報者保護法どころか、実際は通報者あぶり出し法なのだ。

 実態を聞いた知り合いの女性は「身の毛がよだつ法律。私は間違っても利用しない」と切って捨てた。

 私が出演している東海テレビの番組で取材したところ、名古屋の公益法人の職員は国の補助金の不正請求を内閣府に通報したら、あろうことか内閣府が法人に公益通報があったと連絡。職員は法人から「葬り去ってやる」と脅されたという。

 また、和歌山市でも公益通報した市の職員が嫌がらせを受けて自死するなど、すでに何人もがこの法律の落とし穴にはまっている。
 さすがにメディアもこの問題に気づいて法改正を促す報道が出始めたが、それを見て、またびっくり。〈公益通報者保護 罰則を検討 消費者庁〉(朝日新聞)。

 なんと知事のパワハラも会社内のセクハラも、15年前、マツタケなど食品の産地偽装が問題になって設けられた消費者庁が、いまもって所管しているのだ。

 連日、浮かれた報道が続く与野党の総裁、代表選。本来の政治とメディアの役割は、そこではないはずだ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年9月16日(月)掲載/次回は9月30日(月)掲載です)

 

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2024年9月 4日 (水)

先生ほどステキな仕事はない

-33回目を迎える群馬の講演会を前に-

 文科省が公立小中学校の教員の残業代のアップや7700人の増員など待遇改善に乗り出したことを雑誌のコラムで取り上げようと、先生方についてあれこれ調べていて愕然とした。教員採用試験の倍率は小学校が2000年12・5倍だったものが2023年には2・3倍。中学が同17・9倍だったものが4・3倍と、見る影もなく落ち込んでいた。

 日ごろ「先生ほどステキな仕事はない」と言い続けている私が、なんで若者の心は先生という仕事から離れてしまったのか、とがっかりしていると、それを見越したように群馬県粕川村(現・前橋市)の元小中学校の先生、桃井里美さんから「今年の講演会は11月17日(日曜日)に決まりました」とメールが届いた。

 粕川での最初の講演会は1992年。3年前に30回を迎え、「ここでひと区切り」という思いもあったが、みなさんから「ぜひ続けて」という便りと一緒にシクラメンの鉢植えも届いて、そのかほりに誘われるように続行を決め、この秋は33回目。

 いつも講演会の会場や会が終わったあとに感想を寄せてくださるのは、桃井さんのような元先生。そして現職の先生方。さらには担任や特別支援学級で先生方にお世話になった若者や保護者のみなさんだ。

 その声には、先生という仕事に対するみんなの思いがにじみ出ている。

 〈教育の現場で、またがんばってみようという気持ちになりました〉

 〈今年で辞めようと考えていたのですが、もう少しやってみようと思いました〉

 年配の女性からは〈一度はリタイアしたのですが、校長先生にお願いされて、もう一度、若い先生のお役に立つことにしました〉 

 みんながこんな思いを持っているのに、なぜ若者の気持ちは離れてしまったのか…。講演会は昨年は会場とオンラインの2段構え。ぜひ会場外の方にもこんな声を届けたい。猛暑の中で、私は早くもシクラメンのかほりに引き寄せられている。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年9月2日(月)掲載/次回は9月16日(月)掲載です)

 

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2024年8月20日 (火)

予知できぬ地震 できるのは備えだけ

-「南海トラフ」評価委員の重い言葉-

 「私も、家のタンスの固定はこれでいいのか。落ちてくるものはないか。改めてチェックしています」。気象庁の南海トラフ巨大地震評価委員をつとめる山岡耕春名古屋大名誉教授の言葉が、素直に心に響いた。

 宮崎・日向灘の地震で出されていた南海トラフ地震臨時情報は1週間を過ぎて15日解除されたが、発生の翌9日夕、東海テレビのニュース番組に山岡先生が生出演してくださった。先生は臨時情報が出されるまでの流れなど、立ち入った質問にも気さくに答えてくれた。

 発生から1時間足らずの午後5時30分に評価委員会開始。といっても、気象庁にいたのは委員長だけ。山岡先生をはじめ、他の5人の委員は全員リモート参加。こうした事態に備えて、委員は肌身離さずタブレットを持ち歩いているという。

 評価委員会の招集は初めてのことだったが、全ての科学的データが「巨大地震注意」を示しており、即刻、臨時情報の発表になった。

 ただ山岡先生が何度も口にされたのは、それは地震への備えを促す情報ということだった。残念ながら私たちはいまだ地震の予知はできない。とすると、できるのは備えしかない。個人としては家の中の点検。ハザードマップや避難所の確認。そしてもう1つ、国や自治体の対応にも、先生は厳しい目を向けられていた。

 聞きながら私は、反射的に1月の能登半島地震を思い出した。極寒の中、体育館の床に敷き詰められた雑魚寝用の布団。倒れたら惨事になりかねない石油ストーブ。東日本大震災から13年。私たちは何をしてきたのか。

 そして今回は極暑の中。雑魚寝は解消されたのか。トイレは、水は。なにより広い体育館や講堂にエアコンは設置されているのか。だが、臨時情報の間、国が総点検したとは聞かない。

 9日、珠洲市などが避難所で体調を崩すなどした震災関連死に、新たに21人を加えると発表。能登半島地震の死者は341人。うち関連死121人となった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年8月20日(火)掲載/次回は9月2日(月)掲載です)

 

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2024年8月 5日 (月)

生活文化の西風東風はやんでほしくない

-毎日新聞9月で富山配送中止-

 順調というより日本好調のパリ五輪。体操の男子団体総合金メダルなど歓喜に沸くテレビスタジオでは、新聞の号外紹介も恒例行事だ。

 ただ近ごろ号外は、ほとんど読売1紙だけ。メダル獲得の保証もないのに記者を待機させ、発行となれば主要駅での配布要員の確保。経費面で朝日、毎日といった全国紙も二の足を踏んでいるのが実情だ。だけど号外はある意味、歴史の証言者。コレクターもいるのに、と思っていたら、もっと深刻な話が飛び込んできた。

 毎日新聞が9月末をもって富山県内の配送を中止すると発表した。聞けば、県内の販売部数は約850部。営業面で耐えきれなくなった。県内取材は続け、郵送講読も可能というが、「全国紙」とは言い難い。

 残念と思いつつ、東京のホテルで、毎日の朝刊を繰っていると、生活面の「女の気持ち」欄に〈かす泥棒〉の見出しで長野県大町市の79歳女性のほのぼのとした投稿が載っていた。

 小さな畑で取れたキュウリをかす漬けにしたが、おいしくなったお正月には食べきれず、かめにポリ袋でフタをして物置に―

 〈4月ごろ、ふと思い出して見に行くと、ポリ袋がズレてアメ色のキュウリが3本。かめの深さの半分以上あったかすは? 一瞬、目が丸くなりました。「かす泥棒がいる!」〉

 女性の家は山の中。熊も鹿もカモシカもイノシシも。でも、かめの穴は小さいから、キツネ、タヌキ、それとも猿?

 〈だけど、あんなにたくさんかすをなめてしまったら、酔っぱらうに決まってます。千鳥足で帰っていった動物の姿を想像し、クスッと笑ってしまいました〉

 大町はアルプスの麓の市。その山の中の女性のお宅に毎日新聞が配られていたからこそ届いたこの便り。新聞はニュースを送り届けると同時に、人々の生活や文化を運ぶ西風東風。酔った熊も猿も〝大トラ〟って呼ぶのかな、なんて考えながら、この風はやんでほしくないな、と願っていた。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年8月5日(月)掲載/次回は8月20日(火)掲載です)

 

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2024年7月22日 (月)

救急隊 見事なプロの仕事ぶり

-側溝にはまったご近所のお年寄り-

 東海テレビ(名古屋)の番組で、三重県松阪市が救急搬送したなかで入院しなかった軽症者に診療費を払ってもらう有料化を導入したというニュースを伝えながら、7月初めの出来事を思い出した。

 朝7時過ぎ。リビングにいた妻が「私は子どもと保育園に行くので」「わかった。ぼくも急いでいるけど、あとは任せて」という緊迫した外からの声を聞いたという。

 あわててパジャマを着替えていると、ものの4、5分でピーポーという音と赤色灯。救急車が目と鼻の先に止まった。家から飛び出すと、道にツエが飛び、深さ30㌢ほどの側溝に90歳を超えていそうなお年寄りが腰からすっぽりはまって首もとに血がにじんでいた。

 次々飛び出してきた向こう三軒両隣。4、5人で助け出そうとすると、「ここは救急隊に任せて。それよりこの方をご存じありませんか」「ハイ、あの四つ角の向こうのお宅。いま主人が知らせに行きました」。

 3人の救急隊員は声をかけながら、ゆっくり時間をかけてお年寄りを溝から抱え出し、「大丈夫、歩いて帰ります」と言う本人の言葉をやんわり押さえて「血が出ているし、脳の検査もしましょう」とストレッチャーに乗せ、私たちには帽子を取って「応急手当ての後、病院に搬送します。ご協力に感謝します。どなたか残って、ご家族が見えたら救急車をノックしてもらえると助かります」。かくしてご主人が連絡に走った奥さまを残して、私たちも解散となった。

 夜遅く帰宅すると妻が、夕刻、お年寄りのご家族がお礼にまわって来られたという。結局、保育園に向かった女性と、119番してくれた男性はわからずじまいだったが、お年寄りの首もとは10針も縫う、意外と深い傷。「みなさんと救急隊のおかげです」と何度も頭を下げていたという。

 いささかご近所自慢になるが、みんなでできることは協力し、あとはプロの救急隊におまかせする。当たり前だけど、梅雨空に少し晴れ間を見た思いだった。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年7月22日掲載/次回は8月5日(月)掲載です)

 

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2024年7月 8日 (月)

なぜこうまで米軍にひれ伏すのか

-辺野古埋め立て 米軍性犯罪隠し-

 いま東京、大阪のミニシアターで「骨を掘る男」という変わったタイトルの映画が上映されている。6月23日の慰霊の日を前に、私はその男、具志堅隆松さん(70)を沖縄に訪ねた。

 自らを「ガマフヤー」と呼ぶ具志堅さんは、かつての戦争で県民や兵隊20万人が亡くなった沖縄で、いまも壕(ガマ)に眠る遺骨を掘り(フヤー)続けている。案内していただいた南部の平和創造の森近くの壕をはじめ、これまで400体の遺骨を掘り出したという。

 「NO WAR」と書かれた帽子につけたランプの明かりが頼りの手作業。遺骨の近くに散らばるキセルとカンザシ、乳歯は、祖父と嫁、孫を想像させる。あごの骨が砕けた遺骨は小銃で自害した兵士のものか。

 だが、その具志堅さんが怒りで震えてくるようなことがいま起きつつある。

 海底が軟弱地盤で底なし沼のような辺野古新基地の埋め立てに、国などは沖縄南部の土を使う計画だという。沖縄県民が最後に追い詰められた南部は、いまも3000体の遺骨が眠っているといわれている。戦争に散った遺骨を、また戦争のための基地に運ぶのか。具志堅さんたちの怒りは治まらない。

 そんななか、またしてもこの1年で計5件の少女を含めた沖縄の女性に対する米兵の性犯罪が明らかになった。だが驚くことに政府と外務省は事件を知っていながら、沖縄県(県民)には県議選と沖縄慰霊の日がすむまでひた隠しにしていた。県民の反米軍感情の高まりを恐れたに決まっている。

 女性の生涯消えない傷に思いを寄せることもなく、なぜこうまで米軍にひれ伏すのか。いざというときに「私たちの国は二度と戦争をしない」と言えるのか。慰霊式での高校生の詩が浮かぶ。

 大切な人は突然 誰かが始めた争いで 夏の初めにいなくなった 泣く我が子を殺すしかなかった 一家で死ぬしかなかった― 

 また誰かが争いを始めようとしていないか。しっかりと目を見開いておきたい。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年7月8日掲載/次回は7月22日(月)掲載です)

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2024年6月24日 (月)

声がよみがえる―「話になりまへんがな」

-今くるよさん 桂ざこばさんへの思い-

 国際花と緑の博覧会(大阪花博)の開幕が近づいた1990年春、大阪のテレビ番組の花博にちなんだクイズで、なぜか漫才の今くるよさんとコンビを組んだ私は、まぐれもあってあれよあれよという間に優勝。結構な旅行券をいただいた。

 そのくるよさんが亡くなって、あのとき得意の「どやさ」は出たのかな、なんて思い出にひたっていると、追いかけるように桂ざこばさんの訃報が届いた。お二方とも私より若い76歳。寂しさが募る中、スタジオでご一緒することの多かったざこばさんへの思いも尽きない。

 とりわけ2012年大阪でのトーク番組。そのころ関西の人気漫才芸人が高額な年収があるのに母親に生活保護を受けさせていたことが問題となり、この日のゲストはその芸人批判の急先鋒の女性国会議員だった。

 それ以前に芸人が記者会見で「浮き沈みの激しい仕事なので母に生活保護をそのまま受けさせていた」と泣いて謝罪した場面の映像が流れても「制度の悪用は許さない」と息巻く議員に、ざこばさんは一言、「そこまで言うんは(芸人への)みせしめでっか」。その言葉とともに番組はCMに入った。

 すると議員はCMが流れる中、だれに言うともなく、「大阪っておっかしなところよねえ。こういう政治的なことにも芸人が口をはさむのね」とやったから、ざこばさんの怒りの導火線に火がついた。

 「あんたもまた妙なことを言う人でんな」とうなるような声。だけど議員は引っ込まない。「留学していたフランスでもコメディアンは尊敬されてるわ。でも立つ舞台が違うのっ」。

 だが議員は、ざこばさんの「話になりまへんがな」のひと言で完全に浮き上がってしまった。まさに強い者に厳しく、弱い者にはやさしい浪速の笑いの真骨頂。

 だけど、あれから10年余り。時の総理がなんば花月の舞台に初めて立ち、悪評ばかりの万博アンバサダーも浪速の芸人がつとめる。

 話になりまへんがな―あの日のざこばさんの声がよみがえる。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年6月24日掲載/次回は7月8日(月)掲載です)

 

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2024年6月11日 (火)

思い出す門田博光選手の言葉

-Eテレ特集「ある野球人の死―」-

 何で今ごろ? 何で私に? 一瞬、そう思った取材依頼がNHKからあった。

 〈プロ野球南海ホークスなどで活躍され、本塁打にこだわって、王選手、野村選手に次ぐ歴代3位のホームランバッター。昨年亡くなられた門田博光さんの特集をただいまEテレで進めております〉

 メールには1988年に私が月刊誌、「中央公論」に書いた〈門田博光 おじさんの出番〉が貼付されていた。

 瞬く間に私は36年前にタイムスリップした。

 浪速っ子にこよなく愛された南海球団の本拠地、大阪球場は新聞記者時代の私の持ち場。難波のど真ん中にあって、その時すでに築38年。振り返れば、1988年は昭和最後の年の前年。40歳の門田選手はこの年、ホームラン44本で本塁打王に輝き、MVPも獲得した。

 私は何試合も足を運んでスタンドから門田選手の姿を追った。この4番DHは、どの試合でも自分の打席の2人も前からベンチを出て、思い切りバットを振り回す。

 試合が終わって汗びっしょりのユニホーム姿で、気さくに取材に応じてくれる。

 「うん、DHいうんは試合の流れをつかみにくいんや。そやから少しでも早く出て行って試合の流れに体を合わせなならんのや」

 その門田選手のこだわりは、希代ののアーチストとまで呼ばれたホームラン。ヒットには当たり損ないもボテボテもある。だけど本塁打は「バットの芯でとらえて、そのあとのフォロースイングも完璧でないとホームランにはならんのですわ」。

 ベンチ横、ひびの入った壁に南海沿線の水間観音のお札が貼られた控室。時は流れ、昨年、門田選手がひっそりと旅立った一方で、大リーグでは10人以上の日本人選手が活躍している。

 Eテレの取材では、その南海ホークスを描いた水島新司さんの漫画の主人公、あぶさんがこよなく愛した通天閣界隈にも足を延ばした。

 NHKETV特集「ある野球人の死 門田博光とその時代」は、15日(土)深夜11時から。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年6月11日掲載/次回は6月24日(月)掲載です)

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«「真実明らかに」胸に刻むべきは