2022年1月24日 (月)

苦悩とくやしさ 先生の言葉

-東大前3人刺傷事件-

 もう15年以上も前のこと。私の事務所に声変わりもしていない中学1年生から講演依頼があった。スタッフが不審に思っていると、あとからフォローしてくれた先生が学園祭の企画から出演交渉まで、まずは生徒にまかせているという。

 聞けば愛知で有名な中高一貫の超進学校。学園祭は近隣の人も招いて楽しいものだったが、あとにも先にも〝中坊〟から講演に呼ばれたのは、この時だけだ。

 大学入学共通テストの初日、制服姿の男が地下鉄駅に放火。学校名や偏差値を叫びながら試験会場の東大前で受験生ら3人を刺した事件で、男が名古屋から来たと聞いて私に走った嫌な予感は当たってしまった。

 逮捕されたのは「東大医学部を目指していたけど成績が上がらず、人を刺して死のうと思った」というこの学園の高校2年生(17)だった。生徒を信頼し、教師がやさしく見守るあの校風はどこに行ったのか。事件後に出されたコメントに先生方の苦悩とくやしさがにじみ出ているようだった。

 〈本校は、もとより勉学が高校生活のすべてではないというメッセージを、さまざまな自主活動を通じて発信してきました。ところが昨今のコロナ禍の中、孤立感を深めている生徒が存在していたかもしれません。そのような生徒にどのように手を差し伸べていくかということが根本的な再発防止策と考えます〉(要旨)。

 事件にふれたの記事で読売の「編集手帳」が書いたアメリカ映画のせりふが心に残る。

 「人はなぜ落ちるのでしょう? より良い上がり方を学ぶためです」―

 そんな家庭教育、社会教育、何より学校教育はできないものかと、つくづく思う。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年1月24日掲載)

 

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2022年1月17日 (月)

生き方教えてくれた 94歳恩師を悼む

-コロナ禍で面会かなわぬまま-

 東京・原宿のお店に集まった私たち小学校の同級生4人。だが、お気に入りだったいつもの席には花束が置かれ、内藤美智子先生の姿はなかった。

 4年余り前のこのコラムに、目黒区立緑ケ丘小学校で4年間担任してくださった内藤先生のこと、そして90歳の先生と70歳を超えた教え子が日光の修学旅行以来の小旅行。富士の裾野に足を延ばした楽しい思い出を書かせていただいた。

 その内藤先生が昨年11月24日亡くなられた。94歳。肺炎が急に悪化。コロナ禍で面会もできないままの旅立ちだった。冷たい雨が降りそそいだお通夜。そしてあわただしい年末年始がすぎて、あらためて先生をしのばせてもらった。

 50人もの教え子の名字を見ただけで、60年近くたったいまも下の名前がスラスラと出てくる。そしてもうひとつ。軽くお化粧をして背筋をピンと伸ばし、いつ見てもすごくおしゃれ。「初対面で私の年を言い当てた人はまずいないの」。それが先生のご自慢だった。

 20年も前にご主人に先立たれ、1人娘も若くして亡くなって、先生は一人ぼっち。だけど寂しさを口にされたことはついぞない。「今度はいつ集まるの? 先生の年を考えて早めにしてよ」。そう言い残して、さっそうと引き揚げていく。先生はご自分がそうやって生きていくことで、私たちに生き方を教えてくれていたような気がする。

 60年を越えてなお、先生と呼ばせてもらう恩師にめぐまれたことを心底、幸せに思う。そして60年を越えてなお、先生と慕い続ける教え子がいる。教師という職業の気高さと、素晴らしさをあらためて思う。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年1月17日掲載)

 

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2022年1月12日 (水)

首相のモノ言う力に疑問

-米軍基地から染み出るコロナ-

 新しい年、多くの人が仕事始めとなった4日の読売新聞朝刊「編集手帳」は〈去年今年時は流れず積もりゆく〉の句を紹介。続けて「日常も、社会も、時計の針が進んでいるとは実感しがたいままコロナ禍の2度目の正月を迎えた」とあった。

 私の仕事始めは以前、辺野古の取材でお世話になった沖縄タイムスの阿部岳記者からの電話だった。内容は今後の仕事の日程調整だったが、話は当然、沖縄をはじめ、米軍基地から染み出たコロナの感染に向かう。

 「カメラを前に玉城知事があれほど怒りをぶつけたのは初めてではないか」という阿部記者の激しい憤りも受話器から伝わってくる。

 だが「アメリカの感染をそのまま日本に持ち込んだ」と言われる米軍は、日米地位協定を盾に日本国内の基地ごとの感染状況を一切出さない。それどころか、オミクロン株を判定するゲノム検査も拒否し続けている。

 なのに松野官房長官兼沖縄担当大臣は「沖縄県の米軍感染対策に国としても協力していく」と、まるで人ごと。テレビには連日、へべれけになった米兵がノーマスクで夜の街をうろつく姿が映し出されていた。

 岸田首相はなぜ、駐日米大使なり、米太平洋艦隊付司令官を呼びつけて米兵に基地からの外出禁止を命じろと要求できなかったのか。応じないなら基地周辺の飲食店に補償金を支払ったうえで、米兵立ち入り禁止の措置もとらせると言えないのか。

 この首相、聞く耳と、聞く力は持っていても、モノ言う口と、モノ言う力は持っていないということか。

 コロナ禍の下、日常も社会も進んだという実感はなく、重い荷を積んだまま、2022年の船出である。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2022年1月10日掲載)

 

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お知らせ

大谷昭宏「フラッシュアップ」(日刊スポーツ毎週月曜掲載)が日刊スポーツの公式サイトでもお読みいただけるようになりました。

これに伴い、弊社Webサイトへの掲載日を水曜から月曜夜に変更致します。

どちらも、今後ともよろしくお願い申し上げます。

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2021年12月29日 (水)

病んだ社会 まっすぐ向かい合おう

-無差別放火殺人事件に思う-

 今年最後のこのコラム。大阪で起きた心療内科クリニック無差別放火殺人事件にふれざるを得ないことが、やりきれなく、つらい。

 25人の命を奪った61歳の男は2019年、死者36人を出した京都アニメーション事件と同様の犯行を狙っていたことがわかってきた。いまも重篤な状態にある男は命をとりとめれば逮捕。その後、刑事責任の有無を問う鑑定留置となるはずだ。

 その京アニ事件の被告の男(43)も精神状態をさらに詳しく調べるため、現在2度目の鑑定留置中だ。

 振り返れば今年は9月、小田急線車内で36歳の男が「勝ち組っぽかったから」と女子大生に切りつけるなど10人に負傷させ、車内にサラダ油をまいた。10月、京王線車内で「大勢殺して死刑になりたかった」という24歳の男が刃物で17人にけがをさせ、ライターオイルに火をつけた。

 事件の罪名はいずれも放火殺人、またはその未遂だ。そして4人の男には、そろって鑑定留置の必要がある。

 もとより、こんな事件は断じて許されない。ただ私たちの社会自体も病んではいないか。先日読んだ本で、厳しい階級社会と極端な貧富の差でささくれ立つ英国社会を「ブロークン(壊れた)ブリテン」と表現したBBC放送が、数年前に日本社会を「ブロークンジャパン」と呼んでいたと知った。

 だが激しいデモで、壊れた社会に怒りをぶつけるイギリスの若者に対して、いまさら自由も変革も求めない若者が大多数という私たちの国。病んでいるなら、社会が目をそらさずに、まっすぐ向かい合おう。そこに一筋の光が見えてこないか。そんな思いのなか、2021年が暮れていく。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年12月27日掲載)

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2021年12月22日 (水)

みんなで健やかに育てていく社会に

-こども家庭庁 新設に思う-

 15日の産経新聞朝刊1面を見て、オオッと声をあげた。〈新組織「こども家庭庁」〉。2022年、政府が新設する庁を当初言われていた「こども庁」ではなく、この名にするという。

 その10日ほど前、私は、たまたまこの新設庁の青写真を描いている議員たちと会う機会があって、「『こども』に限定せず、ぜひ『家庭』も加えて」と結構、熱く語ってしまったのだ。

 もちろん、それが影響したなんてまったく思っていないが、この国では幼稚園は文科省、保育園は厚労省、危ない通学路は国交省、こどもの人権は法務省と、所管という名の縄張りで、がんじがらめになっている。

 そうしたなか私は、いじめに非行に引きこもり、介護疲れ、児童虐待…いや、事件ばかりではない。夫婦別姓に成人年齢の引き下げ。そういった問題を取材するたびにそれぞれの所管省庁ではなく、ドイツなどにある家庭省、「ひとつ屋根の下で起きることは何でも持ってこい」。そんな省庁ができないかと訴えてきた。

 お会いした議員によると、いまのところ庁名を「子供」や「子ども」ではなく「こども」とすること。保育園も幼稚園も所管すること以外、ほとんど何も決まっていない、ほぼ白紙状態だという。

 かえってそれがいいのではないか。政府は新設庁にどんなことをしてほしいか、広く国民の声を聴く。テレビは高齢者、子育て中のパパ、ママ。学校、幼稚園、保育園の先生、児童相談所の職員などに、どんな庁がいいのか、議論してもらう。

 みんなの手で産声をあげさせ、みんなの手ですこやかに育てていく。そんな「こども家庭庁」も、また楽しいのではなかろうか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年12月20日掲載)

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2021年12月15日 (水)

置き去りにされた「人」の捜査

-届いた1通の喪中はがき-

 師走に入ってから1通の喪中はがきが届いた。川畑久廣さんが11月10日、92歳で亡くなられた。

 私が新聞記者2年生で徳島県警を担当していたとき、30代の捜査二課長として赴任してこられた。エリート官僚といってもノンキャリアの警察官から数千人に1人の推薦枠でキャリアになった、いわばたたきき上げの現場捜査官。法律知識、捜査手法、独特な警察用語。駆け出し記者の私に個人授業のように教えてくれた。

 15年後の1984年、大阪社会部の記者として私は再び川畑さんと出会うことになる。川畑さんは近畿管区警察局保安部長として、その年起きたグリコ森永事件の広域捜査を指揮する立場だった。そのグリ森事件の捜査をめぐって川畑さんは手詰まり状態にあせる警察庁と激突することになる。

 一刻も早くキツネ目の男の似顔絵を公開しろと迫る本庁に対して川畑さんは、似顔絵が犯人と似ていなかったら大変なミスリードになる。情報がキツネ目男に集中して捜査員はそのつぶしに追われる。ブツを追ったり、人間関係に迫る捜査が置き去りにされる―などとして真っ向から対立した。

 だが川畑さんは押し切られ、そのせいばかりではないだろうが、事件は未解決のまま時効となった。

 時は流れ、いまは似顔絵どころか防犯カメラ映像の全盛時代。地をはうのではなく、上を見てカメラを探せというのが捜査の主流だ。その陰で靴底を減らしながらの聞き込みや、人と人が絡みあった糸を丹念にほぐしていく根気のいる捜査はおろそかにされていないだろうか。

 川畑さんに感謝しつつ、さまざまな思いがめぐる年の瀬である。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年12月13日掲載)

 

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2021年12月 8日 (水)

講演会 来年も続けるべきか…

-30回目終え 届いた感想文-

 厳しい冷え込みの中、リビングに置いたシクラメンの花が鮮やかさを増している。群馬県旧粕川村(現・前橋市)で1992年から続けてきた講演会は11月20日、30回目が終わった。いつも控室を訪ねてこられる大戸知子さんが「お疲れさま」と贈ってくださった。

 昨年はオンライン、今年は人数制限した会場とオンラインの2段構え。コロナ禍のこと、秋の総選挙、そして何よりこの講演会を引っ張ってくれた桃井里美さんをはじめ、学校の先生方への思いを語らせてもらった。

 ただ最後に司会が「また来年と言いたいのですが、この先のことは大谷さんとも相談して」と伝えると会場から「えっ」という声とため息が漏れてきた。

 5日と置かず桃井さんから届いたみなさんの感想文。

 「(当初8月の終戦の日ごろに開かれていた)夏に子どもと一緒にお邪魔して朝顔の種をもらい、講演会も聞かせていただきました」「教員のことを多く語っていただき、また現場でがんばってみようという気持ちになりました」。

 やはり学校の先生で、昨年の講演会のあと「辞めようと思っていたのですが、もう少しやってみようと思いました」と書かれていた女性は「来年も開かれるとありがたいのですが」。そして、最後にショッキングなことを聞いた、という方は「桃井さんたちが引っ張って、よりパワーアップした会を期待しています」。

 30年間、小さな村の、小さな講演会にみなさんが寄せてくださっていた大きな大きな思い。さて、どうしたものだろうか。まだ1年先のことと思いつつ、シクラメンのかほりのなか、私の心は揺れ動いている。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年12月6日掲載)

 

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2021年12月 1日 (水)

生徒 先生 保護者が本気で向き合って

-弥富市の中3同学年殺害-
  厳しい作業だけど…

 先週の東海テレビ(名古屋)「ニュースOne」は、いつもの特集コーナーを急きょ、弥冨市で起きた中学3年同学年殺害事件に差し替えた。まだ事件は闇に包まれたままだが、私が抱いている疑問と不審点をコメントさせてもらった。

 加害者の生徒は、ネットで包丁を買ってリュックに入れていたと供述しているが、刃渡り20㌢、全長35㌢もの凶器を所持していることに、家族も学校もまったく気づかなかったのか。たとえそうだとしても、私の長い取材経験から、これだけの事件を起こそうとしたら大人でも足が震えるほど緊張する。そんな兆候はまったくなかったのか。

 被害生徒に「嫌な気持ちにさせられた」としているが、直近10月のいじめについてのアンケートに他の生徒を含めてそうした記述はない。殺人事件に発展する事態の片りんさえ見えてこないアンケートとは何なんだ。

 市教委も学校も、その日のうちに第三者委員会を立ち上げるとした。一見、中立性と公平性を担保したようではあるが、果たしてそれでいいのか。

 これまで学校に1歩も踏み入れたことのない教育、法曹関係者、心理学者らが作成した調査報告書を押し頂いて、事件の全容解明、再発防止につながると思っているのか。

 いま、事件がなぜ起きたのか、なぜ防げなかったのか、涙を流し、歯がみする思いで自らの胸に問いかけているのは第三者ではない、生徒、先生、保護者の3者ではないのか。つらくて、しんどいことだが、この3者が本気で向き合おうよ。

 血のにじむ、厳しい作業になるだろうが、事件の真実は、そこからしか見えてこないように思うのだ。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年11月29日掲載)

 

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2021年11月24日 (水)

18歳とはなんぞやと考える

-裁判員裁判の目的は?-

 先週に続いて今回も裁判への疑問。市民が裁判に参加する裁判員の年齢が引き下げられ、再来年には18、19歳も対象になるという。裁判員裁判は故意に人を死に至らしめた事件について開かれるので、最高刑死刑もある殺人や強制性交殺人などの裁判に高校生が参加するケースも出てくる。

 その理由として、裁判員は衆院選の選挙権を持つ人から選任されるが、公選法の改正で18歳以上が対象となった。また少年法も改正され、18、19歳でも一定の厳罰が科せられることになった―などが挙げられている。

 だけど、これはあまりに短絡的ではないのか。あらためて18歳とはなんぞやと考える。たしかに公選法と並んで民法も改正され、18歳でもローンを組んだり、住宅の賃貸などさまざまな契約ができるようになった。

 その一方でコロナ禍対策の10万円の給付は「18歳以下の子どものいる家庭」への子育て支援となっている。ここでは18歳は、あくまで子どもなのだ。

 裁判員裁判に話を戻すと、残忍極まりない殺人。目を覆いたくなる強制性交殺人。それらの事件の証拠写真は成人の裁判員でも精神的負担が重すぎるとして最近はイラストにしているケースも少なくない。また取り調べの録画も映像だと裁判員が情緒的になる恐れがあるとして検察官に文字で読み上げさせる公判も出てきた。

 こうした裁判に高校生が入っていく。そのことについてしっかり議論されたのか。最高裁は、7月、HPに掲載しているとしているが、こんな大きな問題にそれでいいのか。

 裁判員裁判の目的は「広く国民の声を反映させること」にあったのではないのか。

 

(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2021年11月22日掲載)

 

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