日刊スポーツ「フラッシュアップ」掲載について
いつも日刊スポーツ「フラッシュアップ」をご愛読いただき、誠に有難うございます。
2024年9月より、こちらでの掲載を隔週水曜日の21:00に変更いたします。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
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-名古屋市西区主婦殺害事件-
名古屋市西区のマンションの一室。玄関のたたきには、変色しているが、靴底についた血の痕。食卓のコップも、壁のカレンダーも事件の日のままだ。
1999年11月13日白昼、この部屋で高羽奈美子さん(当時32)が刃物で殺害された事件から25年がたった。
遺体発見時、食卓の子ども用のイスで泣きもせず、ちょこんと座っていた当時2歳1カ月だった航平さんは、27歳になった。
事件から15年の節目。2014年に、やはりこの主なき部屋で取材した夫の悟さん(68)は当時、このまま部屋を借り続けるか悩んでいたが、「血の痕をはじめ、手がかかりは少しでも残しておきたい」と結局、そのまま借り続け、払った家賃は25年間で2188万円にのぼるという。
部屋をそのままにする一方で、高羽さんは航平さんを育てながら前へ前へと歩む年月だった。「この子が大人になっていく中で懸命に犯人捜しをしている父の姿を見せたかった」。そしてもう一つ。「奈美子に限らず、犯罪被害者の死を決して無駄にしてはならないと思い続ける毎日でした」。
25年で大半が入れ替わった所轄署の警察官を現場に招いて、事件の検証と、これまでの思いを知ってもらう。風化という流れは、自分の事件だけに止まらない。世田谷一家殺害事件の遺族をはじめ、被害者家族で作る「宙(そら)の会」の代表幹事をつとめて15年になる。
「悲しみと同時に生活もどん底に突き落とされた被害者への国の対応は、余りに冷たい」「きちんと管理できればDNAはもっと捜査に有効に使えるはずだ」
そうしたことを訴える日々に、うれしい出来事が飛び込んできた。航平さんがこの秋、結婚。お相手は奈美子さんのママ友の娘さん。0歳、1歳児同士で遊んでいた2人が、なんと高校の同じクラスで再会したのだ。
「奈美子が結んでくれた縁なのに…」。高羽さんの声は未解決事件への重く悔しい思いをにじませていた。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年11月25日(月)掲載/次回は12月10日(火)掲載です)
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-17年前の闇サイト強盗の無念-
連日、「闇バイト事件」のニュースにかかわっている。75歳男性は縛られて殺害された。暗証番号を聞き出すため長時間、車に監禁された女性もいる。どれほど怖かったか。背筋が凍る
ここ数年、海外から犯行を指揮したルフィ事件など、サイトを悪用した犯行が後を絶たない。そんなとき署名を呼びかける街頭で、ご自宅で何度もお目にかかった名古屋の磯谷富美子さんの姿が胸に浮かんでくる。
磯谷さんの1人娘、利恵さん(当時31)は17年前の07年8月、帰宅途中の路上で3人の男が乗ったワゴン車に引きずり込まれた。3人はネット上の「闇の職安」で知り合った「闇サイト強盗犯」。利恵さんの顔に粘着テープを23回巻き付けた上、レジ袋をかぶせてカードの暗証番号を聞き出し、さらに31回テープで巻いた。利恵さんの「死にたくない」という声がかすかに聞こえると「こいつ、まだ死なない」と言って頭を40回ハンマーでたたいて殺害。遺体を岐阜の山中に遺棄した。
1歳9カ月で父を白血病で亡くした利恵さんは、母と一緒に住む家のため800万円を貯金。犯人に教えた暗証番号は、うその「2960」(憎むわ)だった。
娘の最期を知った富美子さんは「犯人を死刑に」と署名活動を始め、1年半後の名古屋地裁判決までに実に33万人の署名を集めた。
だが地裁判決は2人を死刑としたものの、仲間割れから警察に密告した男を自首扱いにして無期懲役の判決。さらに控訴審、名古屋高裁は母の気持ちを逆なでするように死刑判決の1人を無期懲役(後に別の殺人事件が発覚、死刑に)に減刑した。
減刑の理由として高裁は「死刑を回避できないほどの悪質性はない」としたうえで「ネットの闇サイト悪用も過度に強調する必要はない」と判断。
「闇サイト」から「闇バイト」に。この高裁判決の裁判官たちは17年後の今をどう見ているのだろうか。社会性、先見性のカケラもない、お粗末な司法。人々が闇に怯える日々は、まだまだ続く。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年11月12日(火)掲載/次回は11月25日(月)掲載です)
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-「福井女子中学生殺害事件」-
袴田事件では物的証拠を捏造し、福井の事件では証言を捏造する。検察、警察の許し難い不正が、また暴き出された。38年前、1986年に起きた「福井女子中学生殺害事件」で殺人罪に問われ、7年間服役した前川彰司さん(59)の再審請求に対して、名古屋高裁金沢支部は先週、再審を決定。きのう28日開始が確定した。
私は20年前、出所直後に入院した前川さんに代わって、ひとり冤罪を訴え続けるお父さんや現地を取材。決定当日は福井テレビにリモート出演させていただいた。
それにしても、この金沢支部の決定は検察の証拠捏造を弾劾した袴田さん無罪判決以上に、これでもか、とばかりに警察、検察を断罪、糾弾。たたきのめしている。
突然、前川さんを名指して「犯人だ」と言い出した拘留中の暴力団員と、女子中学生事件の捜査員は再々接触。暴力団員の留置場での処遇や取り調べ中の覚醒剤事件で刑を軽くできないか、何度も話し合っていた。
さらに1審福井地裁の前川さん無罪判決にあわてた検察は、2審の公判に「犯行当日、シャツにまっ赤な血をつけた前川さんを見た」とする男を証人に立てた。だが、この男は今回の再審審理で「出廷を条件にあの時、顔見知りの警官から結婚祝いの名目で金をもらった」と証言。検察に対して、その時の祝い袋まで出してきた。
こうした検察、警察について、決定書で裁判長は「なりふり構わぬ捏造」としたうえで「(前川さんだけでなく)国民に対する裏切り」とまで激しく指弾している。
福井事件、袴田事件という重大な殺人事件でさえ、なりふり構わぬ捏造を繰り返す警察、検察。ならば万引、痴漢、少年犯罪…。一体、この国で何万、いや何十万の人々が、でっち上げられた証拠、証言によって生涯、「犯罪者」の汚名をかぶせられていることか。
近々晴れて無罪が確定する前川さんは、それでもなお、「まだ戦いは続く」と言う。戦うのは、決して前川さんだけではないはずだ。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年10月29日(火)掲載/次回は11月12日(火)掲載です)
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-朝日新聞記者の小泉信一さん悼む-
朝日新聞記者の小泉信一さんが亡くなられた。末期がんで余命宣告を受けていたことは知っていたが、折にふれて私の事務所のスタッフに闘病生活を知らせてくれていたし、5日の夕刊に連載「昭和怪事件」が掲載されていたので、まったく予期せぬ訃報。残念で、悔しくてならない。
朝日新聞でただ1人の「大衆文化・芸能担当」編集委員。前橋、根室、稚内、横浜、多くの新聞記者がそうであるように、赴任地をいつまでも大切にされていた。
記者生活の神髄は、大衆演劇に居酒屋、昭和歌謡、銭湯…いつも町場の人々の息づかいのなかにいた。
とりわけ山田洋次監督、渥美清さん演じる「フーテンの寅さん」は、小泉さんが追い続けた大衆芸能の主役だった。
長いマフラーに、よれよれのジーンズ、どた靴姿は小泉流車寅次郎だったのかもしれない。
小泉さんはまた、まれに見る聞き上手な記者だった。2019年、朝日新聞の文化面、「語る-人生の贈りもの-」が15回にわたって私のジャーナリスト生活を取り上げてくれたときの聞き手が小泉さんだった。
社会部記者だった私の担当地域で労働者の町、「釜ケ崎」(あいりん地区)。〈小さな一杯飲み屋。コトコト煮込んだスジ肉。ふるさとを捨て、家族を捨てて流れてきた人たち。「泣きたくなるほど切ない街。泣きたくなるほど好きな街」〉
気がつくと、あの日、あのころの釜ヶ崎の情景とともに、私の胸の底に沈んでいた思いが、ものの見事に引っ張り出されていたのだった。
63歳。あまりに早い死。いただいた「わたしの寅さん」の本の中にあった渥美さんの遺言と同じように家族だけに見送られたという小泉さん。渥美さんの死に接して、小泉さんは〈車寅次郎という架空の人物は…深い哀しみをたたえつつ、私たちを笑わせ、泣かせた不世出の名優〉と書く。
その寅さんの姿は、いまペンを置いて去って行く小泉さんと重なって見えるのだ。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年10月14日(月)掲載/次回は10月28日(月)掲載です)
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-袴田巌さん再審無罪~保釈決めた村山さん-
この朝、自宅を出た袴田秀子さん(91)の背中はいつになくこわばっていた。だが、数時間後の記者会見で「(弟は)無罪という判決が神々しく聞こえ、あとは涙がとまりませんでした」と笑顔をはじけさせた。
58年前、1966年に起きた袴田事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審公判で、静岡地裁は先週、「無罪」を言い渡した。当日、私は静岡朝日テレビの4時間特番に出演。そのなかで、10年前、「このままの状態に置くことは、耐え難いほど正義に反する」として袴田さんの釈放を決めた当時の静岡地裁裁判長で、弁護士の村山浩昭さんも取材した。
この日の再審判決で國井恒志裁判長は検察側証拠の5点の衣類を捏造と断定。さらに1通の調書も「非人道的調べによる」として証拠から排除するなど、証拠のすべてを「違法」として完膚なきまでにたたきつぶした。
それにしても警察、検察が証拠をでっち上げ、裁判所もそれを見抜けないまま、これまでどれほどの無辜の人々が死刑になったのかと思うと背筋が凍りつく。
過去に例のない死刑囚の釈放を決めた村山さんは当時を振り返って、当然のことながら死刑囚を釈放するに当たっての法的根拠などあるはずがない。
「悩みに悩んだ」末に、これは法律の問題ではない。人権上、人道上のことだと思うに至った。それが「(袴田さんを)このままの状態に置くことは耐え難いほど正義に反する」という決定文につながったという。
そこまで言って村山さんはしばらく沈黙。いまは拘禁症状のため別の世界をさまよう袴田さんに、「無罪判決をきっかけに、どうか現実の世界に戻ってほしい。いまはただただ、それを願っています」。そう言った村山さんの目に、うっすらと涙が浮かんでいた。
言うまでもないが、人権とは人の権利。そして人道は人の道。だが、これ以上裁判を長引かせない検察の「控訴断念」の決断は、いまもなされていない。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年9月30日(月)掲載/次回は10月14日(月)掲載です)
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-公益通報者保護 あり方を問う-
事態が明るみに出た当初から私は、問題はそこじゃないと言い続けてきたが、やっと県議会百条委員会もその点を追及し始めた。
「おねだり知事もっくん」なんて異名もついた斎藤元彦兵庫県知事。ワインやカニのおねだりや、机たたきに付箋投げのパワハラはもちろんいけない。だが背筋が凍りついたのは、県の公益通報窓口に知事の行状を告発した県の前局長が死亡していることだ。告発を知った知事は、同時に名指しされた県幹部を使って〝犯人捜し〟。パソコンを押収して通報を認めさせた。
だけど現行の公益通報者保護法では通報を受けた人が秘密を漏らした場合にだけ罰則があって、例えばセクハラを告発された社長が社員を使って通報した女性を特定させても、法律は「するべきではない」としながら、おとがめはなし。通報者保護法どころか、実際は通報者あぶり出し法なのだ。
実態を聞いた知り合いの女性は「身の毛がよだつ法律。私は間違っても利用しない」と切って捨てた。
私が出演している東海テレビの番組で取材したところ、名古屋の公益法人の職員は国の補助金の不正請求を内閣府に通報したら、あろうことか内閣府が法人に公益通報があったと連絡。職員は法人から「葬り去ってやる」と脅されたという。
また、和歌山市でも公益通報した市の職員が嫌がらせを受けて自死するなど、すでに何人もがこの法律の落とし穴にはまっている。
さすがにメディアもこの問題に気づいて法改正を促す報道が出始めたが、それを見て、またびっくり。〈公益通報者保護 罰則を検討 消費者庁〉(朝日新聞)。
なんと知事のパワハラも会社内のセクハラも、15年前、マツタケなど食品の産地偽装が問題になって設けられた消費者庁が、いまもって所管しているのだ。
連日、浮かれた報道が続く与野党の総裁、代表選。本来の政治とメディアの役割は、そこではないはずだ。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年9月16日(月)掲載/次回は9月30日(月)掲載です)
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-33回目を迎える群馬の講演会を前に-
文科省が公立小中学校の教員の残業代のアップや7700人の増員など待遇改善に乗り出したことを雑誌のコラムで取り上げようと、先生方についてあれこれ調べていて愕然とした。教員採用試験の倍率は小学校が2000年12・5倍だったものが2023年には2・3倍。中学が同17・9倍だったものが4・3倍と、見る影もなく落ち込んでいた。
日ごろ「先生ほどステキな仕事はない」と言い続けている私が、なんで若者の心は先生という仕事から離れてしまったのか、とがっかりしていると、それを見越したように群馬県粕川村(現・前橋市)の元小中学校の先生、桃井里美さんから「今年の講演会は11月17日(日曜日)に決まりました」とメールが届いた。
粕川での最初の講演会は1992年。3年前に30回を迎え、「ここでひと区切り」という思いもあったが、みなさんから「ぜひ続けて」という便りと一緒にシクラメンの鉢植えも届いて、そのかほりに誘われるように続行を決め、この秋は33回目。
いつも講演会の会場や会が終わったあとに感想を寄せてくださるのは、桃井さんのような元先生。そして現職の先生方。さらには担任や特別支援学級で先生方にお世話になった若者や保護者のみなさんだ。
その声には、先生という仕事に対するみんなの思いがにじみ出ている。
〈教育の現場で、またがんばってみようという気持ちになりました〉
〈今年で辞めようと考えていたのですが、もう少しやってみようと思いました〉
年配の女性からは〈一度はリタイアしたのですが、校長先生にお願いされて、もう一度、若い先生のお役に立つことにしました〉
みんながこんな思いを持っているのに、なぜ若者の気持ちは離れてしまったのか…。講演会は昨年は会場とオンラインの2段構え。ぜひ会場外の方にもこんな声を届けたい。猛暑の中で、私は早くもシクラメンのかほりに引き寄せられている。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年9月2日(月)掲載/次回は9月16日(月)掲載です)
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-「南海トラフ」評価委員の重い言葉-
「私も、家のタンスの固定はこれでいいのか。落ちてくるものはないか。改めてチェックしています」。気象庁の南海トラフ巨大地震評価委員をつとめる山岡耕春名古屋大名誉教授の言葉が、素直に心に響いた。
宮崎・日向灘の地震で出されていた南海トラフ地震臨時情報は1週間を過ぎて15日解除されたが、発生の翌9日夕、東海テレビのニュース番組に山岡先生が生出演してくださった。先生は臨時情報が出されるまでの流れなど、立ち入った質問にも気さくに答えてくれた。
発生から1時間足らずの午後5時30分に評価委員会開始。といっても、気象庁にいたのは委員長だけ。山岡先生をはじめ、他の5人の委員は全員リモート参加。こうした事態に備えて、委員は肌身離さずタブレットを持ち歩いているという。
評価委員会の招集は初めてのことだったが、全ての科学的データが「巨大地震注意」を示しており、即刻、臨時情報の発表になった。
ただ山岡先生が何度も口にされたのは、それは地震への備えを促す情報ということだった。残念ながら私たちはいまだ地震の予知はできない。とすると、できるのは備えしかない。個人としては家の中の点検。ハザードマップや避難所の確認。そしてもう1つ、国や自治体の対応にも、先生は厳しい目を向けられていた。
聞きながら私は、反射的に1月の能登半島地震を思い出した。極寒の中、体育館の床に敷き詰められた雑魚寝用の布団。倒れたら惨事になりかねない石油ストーブ。東日本大震災から13年。私たちは何をしてきたのか。
そして今回は極暑の中。雑魚寝は解消されたのか。トイレは、水は。なにより広い体育館や講堂にエアコンは設置されているのか。だが、臨時情報の間、国が総点検したとは聞かない。
9日、珠洲市などが避難所で体調を崩すなどした震災関連死に、新たに21人を加えると発表。能登半島地震の死者は341人。うち関連死121人となった。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年8月20日(火)掲載/次回は9月2日(月)掲載です)
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-毎日新聞9月で富山配送中止-
順調というより日本好調のパリ五輪。体操の男子団体総合金メダルなど歓喜に沸くテレビスタジオでは、新聞の号外紹介も恒例行事だ。
ただ近ごろ号外は、ほとんど読売1紙だけ。メダル獲得の保証もないのに記者を待機させ、発行となれば主要駅での配布要員の確保。経費面で朝日、毎日といった全国紙も二の足を踏んでいるのが実情だ。だけど号外はある意味、歴史の証言者。コレクターもいるのに、と思っていたら、もっと深刻な話が飛び込んできた。
毎日新聞が9月末をもって富山県内の配送を中止すると発表した。聞けば、県内の販売部数は約850部。営業面で耐えきれなくなった。県内取材は続け、郵送講読も可能というが、「全国紙」とは言い難い。
残念と思いつつ、東京のホテルで、毎日の朝刊を繰っていると、生活面の「女の気持ち」欄に〈かす泥棒〉の見出しで長野県大町市の79歳女性のほのぼのとした投稿が載っていた。
小さな畑で取れたキュウリをかす漬けにしたが、おいしくなったお正月には食べきれず、かめにポリ袋でフタをして物置に―
〈4月ごろ、ふと思い出して見に行くと、ポリ袋がズレてアメ色のキュウリが3本。かめの深さの半分以上あったかすは? 一瞬、目が丸くなりました。「かす泥棒がいる!」〉
女性の家は山の中。熊も鹿もカモシカもイノシシも。でも、かめの穴は小さいから、キツネ、タヌキ、それとも猿?
〈だけど、あんなにたくさんかすをなめてしまったら、酔っぱらうに決まってます。千鳥足で帰っていった動物の姿を想像し、クスッと笑ってしまいました〉
大町はアルプスの麓の市。その山の中の女性のお宅に毎日新聞が配られていたからこそ届いたこの便り。新聞はニュースを送り届けると同時に、人々の生活や文化を運ぶ西風東風。酔った熊も猿も〝大トラ〟って呼ぶのかな、なんて考えながら、この風はやんでほしくないな、と願っていた。
(日刊スポーツ「フラッシュアップ」2024年8月5日(月)掲載/次回は8月20日(火)掲載です)
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